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異世界。  作者: yu000sun
一章 テストプレイ
25/44

18 エルフィン

「今、時間空いてるかしら?」


 じっと透の目を覗き見る彼女は、パッと離れたかと思うと聞いてきた。


「……ええ、そうですね」


 透は少し考えてから笑顔で頷いた。疲れてはいるが、すぐに眠る……という程でもない。


「なんでですか?」

「さっき、あなたの魔法は異質だって、言ったわよね? そもそも、あなたは魔法をどれくらい知っているのかしら」


 透が聞くと、アーウィンは肩をすくませ小首をかしげながら聞き返した。どのくらい……、そう呟きながら廊下の端に目をやりつつ透は少し考え込む。


「……さぁ、どのくらいと言っても。明日調べに行くつもりでしたから」

「そうなの?」

「ええ、こっちにきてもう二~三週間経ってるんでしょうけどね。初めから魔法を使えたので」

「『こっち』?」


 彼女が怪訝そうに聞き返す。


「由久と松之介の二人に担がれてこの街(・・・)に来た日です」


 透の返す答えに、ああ、そういうこと、と彼女は納得したように頷いた。


「――じゃぁ、失礼だけど、あなたは『プレイヤー』とかじゃないの?」

「?」


 失礼? 何が失礼なんだろうか。透は変に思いながらも、その単語が出たことに、もしかしたら、と聞き返す。


「じゃぁ、アーウィンさんも『プレイヤー』ですか?」

「……いいえ」

「?」


 彼女が眉間に皺をよせ、不機嫌そうな表情になった。……なんで? 透は不思議に思いながらも、取り合えず『失礼だけど』と付ける辺り、彼女は『プレイヤー』と呼ばれるのはあまり嬉しくないようだ。


「そうなんですか。俺は……」


 透は、どう答えようかと迷う。あまり悪い印象は与えたくはない。彼が迷っている内に彼女は口を開く。少しの沈黙を肯定と捉えた様だ。


「……そう。まぁ、皆が皆、ああいう風(・・・・・)みたいなのとは限らないわけだし」

「『ああいう風』?」

「ええ――」


 表情を戻したアーウィンは頷きながら言いかけ、ちらりと目を走らせる。透がその視線を追う前に、アーウィンは視線を戻した。


「――ところで、私の部屋にいかないかしら?」

「へ? ……あ~」


 突然言われたことに、ドキっとして思わず顔を俯かせる。


「……ええ、そうですね」


 少しの間の後に、透は顔を上げる。女性の部屋に招かれる、そのことを思い出した透の声が浮ついた。


「もしかして、嫌かしら?」

「ぜ、全然」


 困ったような笑みをしながら聞く彼女に、透は慌てて首を振った。アーウィンは困ったような片眉を吊り上げながら微笑む。


「無理しなくてもいいわよ?」

「じゃぁ……」


 透は自分の部屋の扉を一瞥する。


「先にシャワー浴びてきていいですか? 手伝いの後なので、汗が……」

「そうなの? 別に気にはしないけど……」


 アーウィンは言いかけ、その後に「そうね」と言うと頷いた。


「ええ、構わないわよ。汗だくの服を着てるのは気持ち悪いものね」

「はい」


 微笑んで相槌を返す。実のところ、そこまで気にしていない、とはアーウィンに言えない。


「じゃぁ、また後で……。一番奥の部屋。左奥の角の部屋よ」

「わかりました」


 透が頷くと、彼女は振り返って廊下を歩いていく。その背を横目に扉に手を掛ける。部屋に入って早々、彼はため息を漏らした。

 良かった……。今更ながら赤面しつつほっと一息する。

 (まが)いながらも今は女性体である自分が彼女の前で赤面するのは、あまり良いシチュエーションとは言えない、なぁ。 

 上気した頬がじれったい。熱を冷ますことを考えた透は、戸棚を開けてくすんだ(・・・・)色をしたグラスを一つ取ると、簡易キッチンに置いてある小さめの樽の蛇口を捻る。


 この樽の下部には蛇口は付いておらず、飛び出したパイプに栓がされてあっただけだが、一昨日、透が蛇口を作って取り付けてみた。 元々、蛇口というものはあったが――シャワーもあるので、当然といえば当然なのだが――樽にくくりつけるような蛇口はなかったらしい。

 そもそも、そういうものはお手製か、大工に頼むのが普通で、完成品が売られているということは、この街ではないということだ。お金になりそうだけども。……分からないなぁ。


 透の作ったその蛇口は、いたって簡単な作りだった。

 筒の中心に筒の内側と同じ太さより少しだけ太い棒を垂直に通して、その棒に穴を入れて水が流れ出るようにする。捻れば栓の役割をするという蛇口だ。 棒と筒の隙間から水が漏れてくるが、そういうとき隙間を丈夫な紐で固めて、筒の方は別で栓をすればいい。

 しかし、結局のところ水は漏れ出ていて、粗末な蛇口の下には雑巾が敷かれていた。

 出来あがった時、作り上げた蛇口から水が出てくる様子を、隣で見ていたスティルに「器用だね」と一言だけ褒められたが、同時に料理の出来具合や遅さについても言われ、微妙な気持ちになった。



「まぁ、お褒めの言葉が有った分だけ、まだましなのかな?」


 考えてみると本当にあれが最初……で、今のところ最後の称賛(しょうさん)だった。 勢いよく出てくる水を眺めながら、透はその時のことを思い出して笑いつつ呟いた。グラスが満たされると、蛇口を閉め、木を切り出した栓を押し込む。樽が多少軽くなっていたのか、力強く押すとググっと後ろへ下がってしまった。

 水を飲もうとグラスを上げ……。頬が熱い。透はじっとグラスの水を見つめる。


 ぱしゃっ。


 何を思ったのか、突然、彼は水をかぶった。頭から被った水が音を立てながら、床を叩く。はっとして、自分が一体何をしているか気付いた。


「……。」


 コップを頭の上でひっくり返したまま固まる透。俺は……何をしてるんだ? ゆっくりとした動作で、足元にブチまかれた見る。木板を敷き詰められた床に、水が水たまりを作っている。そこへ、濡れた髪やら顔やら。服の端々から水滴が垂れて行く。

 俯いて一人、黙り込む。ふと、辺りを見渡した。ベッドを見ると松之介の姿はなく、ソファに寝ていた。


 そして、窓が木の戸で占められていることに気が付く。日が経つに連れ、気温が下がっているので当然といえば当然だった。

 由久の姿も無いので、こっそりと隣の部屋をのぞいてみる。歩いて行くと、それに連なって水滴の足も床へ落ちて行く。


 こちらの部屋は戸を閉めておらず、広い窓から月明かりが差すなかで、由久が片腕を枕にして寝息を立てていた。 静かに扉を閉めると、くるりと向きを変えてカウンターキッチンの方を見る。ここからだと部屋の中央に取りつけられた、オレンジに揺れるランタンの光を受けて優しく明るい。

 ……よし、なかったことにしよう。 透は一人「よし」と頷くと足早に脱衣室へ向かった。


 ――この体に早くも慣れてきてしまった自分がいる。


 少し派手な紳士服にも、気品のあるお嬢様の服ともとれる、フリルのついたブラウスのボタンをはずしつつ、透は思った。口の中に酸っぱさを伴った嫌悪感が広がる。

 初めのころは――大体、二日、三日あたりのことだが――鼻血という出血を伴っていたが、段々とそういうことはなくなり、赤面から今度は次第に嫌悪感を(ともな)うようになってきた。


 ブラウスを、自分の使っているいちばん上の洗濯籠に投げ込む。


 体型の違うこの体を洗っていると、妙に意識してしまうのだ。柔らかい手触りに何時も複雑な気持ち湧き、自己嫌悪の気持が大体(・・)を占める。 女性の裸体など、透には程遠い生活を今まで送ってきた。バイトのお金をそういう雑誌に使うわけにはいかないし、他にももっと欲しいものが幾つかあった。

 第一、恥ずかしくて手が出せなかったのである。 人の目もそうだし、それを見る自分の姿を想像しても、なんだか笑い飛ばしてしまいたくなる。


 黒のパンツを脱ぎすてる。

 このパンツは紳士服セットなる物のスーツのパンツで、買ったばかりのパンツは黒のパリパリに固い。上着の方は、着ていると動きにくかった為に、後になってエルフィンが上着だけ返品してきてくれた。


 ――そういえば、「返品と言っても、お金は戻ってこなかった」ってエルフィンさんが言っていたな。代わりにもう一着、服を貰ったらしいけど。


 足のつま先でけり上げたパンツの袖をつかみ、籠に投げいれながら思い出した。なんだかエルフィンは袋を抱きしめたまま、満面の笑みを浮かべて喜んでいたっけ。


 桃色の髪に黒色の瞳。セミロングは透も同じだが、彼女は後ろ髪が短く、横がふんわり長い。


 毛先が内側にゆるやかにカールした全体的にボリュームのある髪形で、童顔におしゃれ好きな乙女の彼女は、ピンク色が好きな様で、フロアーの制服もこだわっていた。

 ショートブラウスの下に長袖のニットシャツ。スカートは少々厚手のものなのか、ふんわりとした形状を保つなんとも不思議なスカートを着ていた(透は、パニエという下着があることを知らない)。

 彼女のお店の服は、その全てが色調の違うピンク色をしている。具体的には、下、内側に着るものほど薄く、上に着るものほど柔らかめの濃いピンク色である。

 

 一方で、白のブラウスに黒のパンツ、黒のエプロンに革靴が、透のフロアーの仕事をする時の制服だ。 彼女は全体的にピンクで可愛らしいが、同時に透の苦手なタイプでもあった。


 ――あんな感じの人って裏表が激しそうだからね。


 苦笑いしながらいつの間にか脱いだ下着を、脇目もふらずに籠に投げいれる。全裸になったところで、透はため息をした。 嫌になる気持ちもあるが、シャワーを浴びないと言う選択肢はない。

 透は気を紛らわせるために、先程もまで考えていたエルフィンについて、再び思い出し始めた。

 気を紛らわせるのにはとっておきな、面白い話を思い出す……。


 彼女は、時々現れるセクハラな事をするお客には、こっそりと悪戯をしていた。塩や胡椒――どちらも、ここらでは少々高めの調味料――を余分につけたして辛くしたり、大半は砂糖をぶち込んで甘くしたり。


 だが、それに気付かずに常習犯に近くなってくるお客になると、悪戯は加速する。


 料理の中に雑巾の絞り水を注いだり、死んだ虫を、虫だと分からない様にすりつぶして混入させたりと、えげつないことをしているところを、透は目撃してしまった。

 バラザームもそれを横目で見ていたが、驚いた(というよりも信じられない)事に彼は呆れたように笑いながら首を振ると「せいぜい、ばれない程度にしておけ」と小さい声で忠告した――。



 透はシャワーの前に立って大きめの蛇口を回した。体温より少しだけ温度の高い、生ぬるいお湯が降りそそぐ。髪に手をのばして濯ぎ洗い、その後、石鹸を手にとって腕を洗い始める。泡立てたそばから泡が流れて行ってしまうが、寒いのでシャワーはそのまま流し続けた。


 ――あの後、ダット(厨房で働くもう一人の料理人。長身緑髪)に 「何故、オヤジさんは彼女の悪戯を止めないのか」 と尋ね聞く。彼は 「いや、最初は止めていたんだよ」 と、野菜を切りながら答えた。


「嫌がらせに料理に何か得体の知れないものを混入していたのを見たオヤジさんが、彼女の復讐を止めるようにしていたんだが……、そうしているうちに彼女が耐えがたくなってね。

 ある日、彼女がお客さんに出した料理に全部に、得体のしれない薬を混入させてね。

 なんと、僕たちの昼食にも混ぜてあって、料理を食べた後に倒れて……確か、三日間は寝込んだな。街から危うく閉店させられそうになった。それ以来、やりすぎない限りは止めなくなったのさ」


 苦虫を噛み潰したような、なんとも言えない苦笑いをしつつ、話してくれた。

 あの時、料理を取りにきたエルフィンが少し立ち止まってこちらをみると、その可愛い顔でとびっきりの笑顔を二人に見せたのち、忙しそうに料理を持って行った。

 なぜかゾクゾクっと背筋に寒気が走った。ダットも同じだったのか、ブルブルっと身震いしていた――。



「エルフィンさんは怖いね。遠目で見る分には、面白いからいいけど」


 呟いた透の声とともに、蛇口の閉める音が響く。


「ん? あ、もう終わったのか」


 無意識に体を洗っていたりするものだから、終わった事もなぜか他人事のようにこぼした。ふと、漂う匂いを嗅ぐ。 花のやわらかで良い匂いを感じ取った透は、よし、と頷いた。


 幾日か前にエルフィンから、シャワーではこの保湿剤を髪に馴染ませると良い、と渡されたものがあったのだ。 花の香りがするそれは、そのまま正しく花のエキスを濃縮させたオイルの様なものなのだが……。

 五日目あたりからぼさぼさし始めた――というより鳥の巣の様にクシャクシャとハネ始めた――透の髪を見て、渡してくれたものだった。 それを付けてからと言うもの、髪は以前の状態へ戻り、そこからさらに艶やかで重みのある髪になった様な気がする。

 透としては、どちらでもいい様な……でも、そういう香りを嗅ぐのは嫌いでもないので、有り難くつかわせてもらっている。

 使い続けるその本音は、使ってないとエルフィンにばれると怒られるからなのだが。三人の中で透が女性体であるせいか、彼女が妙に気を使って来て、つまりは一番からかってきた。


 水を(したた)かせる髪を絞り上げながら脱衣室に戻っていくと、ふと、アーウィンとの約束を思い出した。


「魔法……か」


 脱衣室に入った透は、タオルで体を拭きつつ、ぽつりと呟いた。


 これは俺の能力じゃない。この姿のモデルの元になった架空の人物の能力を持っているだけであるし、自分自身、才能と呼べるものはない。


 アーウィンの、あの少し興味深げな瞳には、「期待」の二文字が込められているような気がしていた透は、急に申し訳ないような気持ちになった。 エルフィンが買ってきてくれた部屋着を着ながら透は心の内で呟く。


 もし、魔力であるなら、それは自分の力じゃない。仮に、あの戦い方であっても、それは他にプレイヤーにだってありうることだ。ここが「現実」だって思ってなければ、「死」に対しての恐怖など、あまり意識しない。むしろ、それさえたの――。


 透は鋭く舌打ちをした。


「……いや、今、考えるのはやめよう」


 頭を切り替える為に一つ深呼吸をし、肺に新鮮な空気を送り込んで盛大にため息を吐いた。 マンネリ感が戻ってこない内に、紺色の地味なシャツを着る前に胴巻きを頭からかぶさって着る。


 ささっと、下着を取って穿()くと、続いて足回りの広いズボンに足を通す。胸に巻く腹巻きと、長袖のニットシャツに上半身を突っ込むと、扉を開けて脱衣室を出た。足早に部屋を出て彼女の部屋に向かう。


魔法のことについて教えてもらえるのだったら、彼女の気が変わらぬ前に聞かなくては。


「あ、少年! こんな夜中になにしてるんだっ!?」

「?」


 夜の静寂の中、不意に、可愛げを作った怒声が聞こえたので、思わず立ち止まって声のする左の方に視線を移した。


 見ると、パジャマ姿のエルフィンがタオルを首にぶら下げて立っていた。腰に左手を当て、こちらに向かって小悪魔な笑みを浮かべつつ、指差している。


 透は、この廊下は一本道ではなく、途中で一本だけ左に廊下が分かれているのを忘れていた。

 宿となっている二階は階段を底辺に、逆F字に廊下がつながっている。階段から廊下の突き当りまでまっすぐ見た視点で、途中で左に一本廊下が分かれ、その更に奥の突き当りでも左に曲がっていく。 廊下の入っていく左側の部屋からは、表通りが見え、透たちの使っている部屋――階段から右側の方は、街の住宅区、その遠くに巨大な山脈を見ることができる。


 最近、気になったので調べて知ったことだが、部屋は全部で大小八つの部屋があって、そのうち、住宅区側の階段に一番近い部屋を透たちの使っている。部屋分けの中では二番目に広いらしい。

 アーウィンは、階段から廊下をまっすぐ進んで、左に曲がる付きあたりを曲がった一番奥、二番目に小さい部屋にいる。


 エルフィンの部屋は廊下を途中で曲がって、その右側の部屋だ。鍵付きと言うこともあり広さは想像でしかないが、それほど広くない。 彼女の向かい側の部屋が一番広い部屋で物置部屋になっており、屋上へ続く階段がある。



「……。」


 透は、タイミングの悪さに絶句していた。

 例にもれず、彼女のパジャマはピンクだった。その、あまりにも「あたし、可愛いでしょ〜」なオーラに透は右頬がぴくっと引き攣る。 幸い、彼女は透の左から現れたので、おそらく見えてないだろう。


「まったく……明日は手伝いが休みだろうと、ちゃんと寝なよ? 明日は服の調達しにいくから」

「は、はぁ………」


 声の調子からして、バレてなかったらしい。

 近づいてくるエルフィンに、後ずさりしたいと思いつつも対応に困りながらあいまいに答えた。 彼女は、お金さえ払ってくれれば、宿に泊っている客人に、宿に泊っている間に衣服を買いに行ってくれる。


 俺達の分は、町長の補助金からきてるんだっけ?


 買いに行ってくれる理由は、単純に服が買いたいだけならしい。おしゃれ好きで、買い物好きなだけあり、自分の服は、箪笥が一杯でもう買い切れないと言っていた。

 だから彼女は、宿に泊っている間の服を、自分のセンスと相手の容姿や性格を照らし合わせて、服を選んでくるのだ。 幸い、旅人の多くは着の身着のままか少ない衣服で旅をしているので、しばらく留まる様な旅人や、ちゃんとした服が欲しいといった一部の旅人関しては人気があるらしい。



「……で、少年。君が頼んだから買ってきた男物の服――」


 エルフィンは顎に手を当てながら腕を組み、ワザとらしく、反目に眉間のしわを寄せる。透は顔を背けていたので、どこを見ているかまでは気にしていなかった。 透の今の服装は、紺色の長袖ニットシャツに、ポケットのいっぱい付いた、脛の途中まで丈のある黒のハーフズボンだ。


 透は一週間ほど前からエルフィンに頼んで、せめて部屋着だけでも男物がいいと懇願(こんがん)してきていた。


 最初は、首をかしげて可笑しなものを見るような目で透を見ていたが、必死にお願いしているうちに、エルフィンが「いいよ」頷いてくれたのだ。 代わりに、外出用の服はエルフィンの希望通りにすることと、一緒に服を買いに行くという条件を出された。


 それが先ほどの、「明日は服の調達に行く」と言った理由だ。


 女の子に、男物の服を着させるなど考えたことも無かった彼女は、欲しがる本人も連れて行って、選んだ方が楽だと思ったらしい。 事実、透の欲しがる服は単色の地味な服ばかりで、それに比例して外行きの服はどんどん「女の子らしさ」を増した。


「着てくれるのは嬉しいんだけど――いや、似合ってるよ? でもほら――ちゃんと胴巻きを胸にまかないと大変なことになるよ?」

「へ?」


 ニヤニヤしながら言うので、何かあると思ったが、エルフィンが視線をちらっと下に逸らして意地の悪く笑ったのをみて、慌てて胸を見る。


「ニットシャツでも特に伸縮のあるシャツだから、ボディラインとかが〜」


 ニッシッシと口に手を当てて卑しく笑う。 慌ててシャツの下に手を入れて、腹に巻いてた胴巻きを引き伸ばし、上がるところまで上げる。肺に息苦しさを感じるが、ニットシャツの上からは、平坦に近くなった。


「そそ。そうしないと、少年じゃなくて、大胆な少女だからね。気をつけなよ、しょ・う・ね・ん!」


 顔を赤らめる透に、クスクスと笑うエルフィン。その表情はまさに、とっても面白いからかい相手を見つけた時の表情そのものだった。


 やっぱり、この人苦手だ。


 顔面の紅潮はまだ引かないが、体を軽くのけぞらせつつ腕を組み、目を細めてエルフィンを軽蔑した目線で見る。


「んん? なんだね、その反抗的な目わ!? あたしが言ってあげなかったら、恥ずかしい格好のまま行くところだったでしょ?」

「……まぁ、そうだったかもしれないですけど……――あ!」


 アーウィンさんに会いに行く途中なのに、なんでこんなところで立ち話をしているのだろうか。そうだ。急いで着替えてまで早く会おうとしてたのに、何をしているんだ。

 透が狼狽する……のを見て、エルフィンの目が怪しく光る。


「あの、俺、人を待たせてるんで………」


 逃げようとしていることを察したエルフィンが掴みかかるのを、後ろに後ずさりして避けながら早口に言う。次第に彼女が透に対して、態度を軟化させてくと共に頻度の増す、『抱きつく』攻撃をかわすのが最近、上手くなってきた。

 恥ずかしくて避けるのだが、本音は嬉しいなどと、透は認知すらしない。


「ん? 待たせる?」


 掴みそこなった腕を、ふむっと口に手を当てつつ腕を組み、可愛らしく呻きながら視線を泳がす。 可愛らしいとは思うけど、わざとらしさが……。勝手な考えで失礼なのだが、でもワザとっぽく見えてしまう。


「ああ〜この先の部屋と言ったらルーさんの部屋ね」

「?」


 ルーという名前の人なんていたっけ? と腕を組んで顔を横に向けて少々俯かせる。


「やだな、テラス・ル・アーウィンよ。ミドルネームが「ル」だから、ルーさん――」

「え、テラス・ル・アーウィン?」


 頓狂な言葉に、透は思わず聞き返してしまった。エルフィンは、一瞬驚いて、こちらを睨んできたが、少し間を開けたのち、ハァっとため息を吐いた。


「君ね〜、女の子の名前に『アーウィン』なんて、いかにも血筋の名みたいなものをつけると思ってるわけ? テラスが名前よ」


 あ、と声を漏らして頷く。そうか、日本名と同様に考えてしまった。だが、納得した後「ん?」とまた、新たな問題が浮上してきた。


「アーウィンさんて、『アーウィン・ル・テラス』って自分から名乗ってましたよ?」

「………あの子、自分の名前を逆に言う癖があるの」


 肩をすくませて、どうにもならないと首を振る。


「でも、なんでそんなこと――」

「ト・オ・ル・君?」「――うっ」


 困惑顔でエルフィンに聞き返そうとしたら、間近でアーウィンの声がした。ゆっくりと右横に向いて、少し見上げる。 いつの間にか話に夢中になっていた透は、アーウィンが近づいてくるのも気づかずにいたらしい。不機嫌な表情で立っていた。


「あなた、一体どれくらい時間が経ってると思ってるの?」


 右手首を左手の人差し指で叩きながらアーウィンが言った。


「えっとあの……今行こうと思っていた所で――」


 ――何度も思い出したのに、その度に脇道にそれるなんて……。透は、顔を青くさせて冷や汗をかきながら、自分の実行力の無さに悔いた。


 ふと、横を見ると、エルフィンがにやにやと笑っている。と、急に顔を深刻そうにした。アーウィンがそちらを向いたからだ。

 少し間を置くと、アーウィンの視線が透に戻ったのか、またエルフィンの顔がにやける。


「……まぁ、いいわ。どうせエリーの所為でしょに」

「ありゃ、バレてた?」


 アーウィンが呆れた顔でエルフィンを見ると、ニヤッと笑って舌を出す。


「悪戯好きのあなただもの。大方、トオル君が部屋に戻っていく時の会話を盗み聞きしてたのでしょう?」

「盗み聞きとは失礼ねぇ〜あたしは、ただ、トイレに行こうと思っていたところに、たまた、彼が通って、今に至るという所よ?」


 そういうも、エルフィンの顔は未だ愉快そうに笑っていた。


「はいはい、わかったわ――それで、トオル君」

「はいっ!?」


 呆れてものも言えないといった感じのアーウィンは、急に透に話かけた。返事をするも恐怖に(おのの)き、声をうわつかせた。 透は九日目の一件以来、物凄く強い|冒険者(ルタエ-ラザ)というアーウィンの噂を聞いて、彼女が尊敬と恐怖の対象になっていた。由久から、一撃をくらった時の感想を聞いてからは尚更に。


「今日はもう遅いわ。明日、また話すからいいわね?」

「あ、は――」「あ、だったら〜」


 透が頷きかけたところに、エルフィンが横から透に抱きついて、アーウィンの注意をひきつつ割り込んだ。


「明日、ルーさんも服をかったりするのに一緒に行く? 丁度この少年は、あたしと服を買いに行く予定が入っていてね」


 透が小さく悲鳴を上げたことに、エルフィンはまたニヤッと笑うも、気付かなかったふりをして続ける。透の顔が瞬時に燃え上がりそうなほど赤面した。


「たまには、一緒に買い物に行かない? お話は、買い物しながら話すか、落ち着いたところで話たいなら、あたしお勧めの喫茶店でさっ?」


 肩に腕をまわして、嬉々として楽しげに話すエルフィン。迷惑そうに顔をしかめながら腕を振りほどこうとしていた透は、その表情を見た途端に、意欲を失う。


「……まぁ、それもいいかもしれないわね。でもあなたのお勧めって、前に教えて貰ったわよね?」

「フフ、それがまた新しい喫茶店が開いたの! 表通りから少し外れた住宅区の方に――ねっ!」「うわっ!?」


 諦めて、されるがままにしていると、エルフィンが腕に力をいれて思いっきり抱きついた。我慢ならなくなった透は全力で腕をふりほどいて、二、三歩後ろに飛び退く。


「あ、逃げれらちゃった」

「……何がしたいの、エリー」


 残念そうに言うエルフィンに、先程からのやり取りに呆気にとられつつアーウィンが聞くと、彼女はニヤリと悪戯好きな笑みを再び浮かべる。


「え? 楽しくない? 彼で遊ぶの。まるで初々しい少年の様で――」

「あ、遊ばないでください!」

「こら、今は夜中よ? 静かにしなきゃ怒られるわよ?」


 エルフィンの言葉に全力で腕を横に振りつつ、怒鳴るとエルフィンが人差し指を立てて声をひそめた。 正論も混じっているので否定できない透は、歯を食いしばって握りこぶしを作って唸りつつ、エルフィンを睨んだ。


「ほら、顔を真っ赤にして! かわいいじゃない?」

「……とりあえず、彼女を男の子扱いするのはなぜ?」


 手を叩いてはしゃぐエルフィンに、先程からずっとあきれ顔のアーウィンが聞いた。


 エルフィンはちょこちょこっと手を手招きして、アーウィンを少しかがませる。それでも足らない彼女は、つま先立ちで背伸びをして耳打ちをする。


「………。」

「へぇ――あ、それで――え? まさか――ふぅん」

「と、言うわけですよ」


 エルフィンが何を言ったか透には聞こえなかったが、これで、男扱いされるようになれば、過ごしやすいことこの上ない。

 女の子扱いをされても、透は戸惑うばかりだ。だが、アーウィンの答えは……。


「服の好みだけで、男の子扱いは良くないわ」

「ええ〜? そうかなぁ」


 当然と言えば当然な、無難な答えだった。かく言うアーウィンも、透が『女性的名助詞(ちゃん・さん)』付けではなく『男性的名助詞(くん)』、せめて『無性別名助詞(さん)』や、もしくはそれらを使わないで呼んで欲しいとお願いしたところ「じゃぁ、トオル君で」ということに決まったのだ。

 そうまでした、これらの行動の原動力は、由久と松之介のからかいによるものである。


 このまま頑張れば、男扱いになる日も来るのかな……などと思う。


 ふと、透は顎の付け根辺りに違和感を覚え、こらえきれずに顔をそけると、大きく欠伸をした。 なんだかんだいって、アーウィンが現れてからも時間がたっている。


「お、少年はもう眠いのか?」


 元気一杯なエルフィンが聞いてきた。こっちは疲れてるんだ、と思いながら目をこする。


「今日は彼女が当番だったもの、当然でしょう。さ、明日の朝に起きれなくなる前に寝ましょう!」

「はい」「え〜」


 アーウィンの一言で、透は頷くと部屋に足をむけるが――


「うわっ」

「お姉さんと一緒に楽しまないか? 少年」


 背中を向けた透に、なんだか紳士的な男性の声色を作って言いつつ、エルフィンが背後から飛び付いた。


「ちょ……やめてください!」

「ハッハッハ――」


 脇の下から腕を回された透は、必死にもがくが解きにくい。エルフィンがとってつけたような笑いをしていると「いい加減にしなさい」アーウィンがエルフィンの首をつかんで引っぺがした。


 ――さすが、街のハンター(レティエ)たちが恐れるベテラン。


 透はエルフィンを猫のようにつかみ上げるアーウィンを見ながら思った。


「フフフ、焼き餅を焼いたかい? それなら、私と――」

「はいはい、よかったわね。あまりあの子のことをからかわないの」

「ふん、ルーさんつまんないっ!」

「詰まらなくてもいいわ――あ、気にしなで寝ていいわよ?」


 腕を組んで不機嫌そうな顔をするエルフィンと、ふぅっとため息を吐きながらエルフィンを引きずっていく様子を眺めているとアーウィンが言った。


「あ、はい。おやすみなさい」


 面白いから眺めていた透だったが、促される様に就寝の挨拶を言うとアーウィンも笑って「お休みなさい」と返してくれた。


 透は、小走りに近い早歩きで廊下を歩いて部屋に戻り、まっすぐベッドにまで歩いて行って、倒れこむように寝ころんだ。

 透の気力が限界に来ている。


 ――……。明日、松之介どうするんだろう。図書館は?


 ふと思いつつ、疲れていた透はあっと言う間に意識を失って夢の中にすべり落ちていった。


 暫くすると、寒さでまた起きることになるが。寝るときはちゃんと布団をかぶりましょう。「寒い」と呻きながら、透は改めてそう思った。

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