表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界。  作者: yu000sun
一章 テストプレイ
19/44

12 手伝いは食器洗い

「――手伝わせてほしい?」


 食材などを置いておく倉庫部屋で素っ頓狂な声が響き渡る。言いにくそうに申し出た透に、レストランの店長であるスティルの父「オヤジ」は声を裏返させたのだ。

 結局、ジャンケンでの代表決めは、びっくりするくらいあっけなく透の敗北で終わった。まさか、出した一発目で一人負けになるとは思いもよらなかった。


「あ、はい。あの、街の要請とか、旅に出る為の資金が出来るまでの間、お願いしたいのですが……」


 驚いた表情のオヤジに恐縮しきっている透は、気まずそうに顔を赤らめた。『働きたいときは……~』などと言っていたが、あれは冗談のつもりで、きっと次の瞬間には困った顔をされる、と透は思っていた。

 だが……。


「それはいい! 丁度良かった!」


 オヤジは上機嫌な様子で手を叩くと、大きい声でそう言った。そのあまりの声に透は驚いて小さく飛び上がった。


「今、このレストランに働きに来ていた奴が隣町の方へ行っちまっててな。人手が足りないところだったんだ!」


 豪快に笑うオヤジに、透はただ「そ、そうなんですか」と愛想笑いを浮かべることが精いっぱいだった。


「はは、なぁに、仕事ができるまでとは言わずに、ずっと働いてくれたっていいだぞ?」


 陽気に笑って、後ずさりを(すん)でのところで(こら)えていた透の頭を()でた――つもりなのだろうが、わしわしとやられ、意外に痛い。どうやら、男気のある撫で方は、相手の頭部にダメージを与えるようだ、なんてふざけた考えを巡らせていた。


 その後、ちょっとした説明を受けた後、透は解放された。

 くしゃくしゃにされた髪に手串を入れながら――絡まっているような気持ちの悪い感じがして、なんとなく気になった――部屋に戻ってみると、二人は窓際にあるソファに向かい合って座っていた。 部屋の中央にある脚の高い円形のテーブルには、既に料理が並べてある。


「? あ、透か」


 こちらを向いて立ち上がりかけた由久が、ドアを開けて入ってきたのを透だと確認すると、再びソファの背もたれに深く座りこんだ。


「どうだった?」

「オヤジさん、働かせてくれるってさ~。早速今日の午後から」

「そうか」


 透の答えを聞いた由久は、ほっと笑みを見せた。その笑顔の自然さの(かも)し出す雰囲気は、由久とは全くの別人と会話している様な気がしてしまう。


「……」

「? どうした?」

「……いや?」


 透が違和感を覚えているのが表情に出てしまったのか、松之介が片眉吊り上げて聞いてきたのを、彼女(?)は少しの間をおいてから聞き返すように言いながら首を振った。

 松之介も松之介で随分とかっこよくなっている。もっとも、どちらかと言えば、透の見知っているゲームのキャラクターよりも、松之介よりになったガタイ(・・・)の良い外見だ。


「……なんだか気色悪いな」

「……」


 誤魔化しに笑った透の反応を見た由久が少し眉間に皺を寄せながら言った。透は木のささくれが浅く刺さった程度の痛みに、少し気負いしたように、表情を険しくしながらも絶句した。

 妙な沈黙が漂う。


「――まぁ、お前の意図したところじゃないとは思うが」


 言い返す機会を少しばかり逃した所を変に思って、由久が自分からフォローを(彼なりのだが)入れつつ、首を振りながら立ち上がる。

 が、ふと、立ち上がりかけている松之介の顔を見た途端に由久の動きが一瞬鈍った。松之介の表情があからさまに非難がましい表情だったのだ。


「……あ、いや、すまない」


 ちょっとした冗談のつもりで言ったんだが、と由久が呟くも、松之介は「今のはな……」と言いつつ首を振る。


「そうか?」


 独り言のように聞き返す由久に特に応えることもなく、由久の前を歩いてベッドを回り込むようにテーブルの方へ歩いて行った。

 思い出してみると、やや言い方もアレだったかもしれない、と由久が呟く。軽い調子で言い返されると思っていたが、漂う空気も由久が意図していたものとは大分違って、嫌なものになっていることに気付いた。


「あ~……わるかった。本当に冗談のつもりで言ったんだ」


 口は災いの元、という言葉があったななどと思いつつ、クシャクシャと後頭部を掻きながら軽く頭を下げる。 部屋には沈黙が流れた。透が一瞬、口元を歪ませたが、はぁっとため息と共に目をつぶった。


「……いや、許さん。当分、根に持つ」


 腕を組んで透は静かに言うと、座った目で由久を見た。


「お前、他人の格好を変えられる魔法とかあったら、速攻でお前にかけてやるかんな」


 そういう透の口元は笑っていた。


「ああ、別にかまわない。むしろ、楽しみだな」

「……え?」

「『そんなの無理だ』と言う意味でいったんだ」


 予想の斜め上の答えに表情の凍りついた透に向かって、由久がははっと軽く笑いながら言いつつ、危うく「ばか」と付け加えそうになったのを堪えた。内心、自然と口から出そうになる悪態な言葉について、悩ましく思いながら。


「ところで」


 テーブルの方へ移動した松之介が、椅子を引いて座りつつ、透に切り出した。


「今日の午後からと言ったが、手伝いってのは、何人でやることになってるんだ?」


 ああ、そうだな、と少し遅れてテーブルの方へ来た由久も椅子に手をかけつつ透を見る。


「全員か?」

「まさか」


 肩を竦ませて笑う透は、それも考えたけど……、と言いながら椅子に座った。


「手伝いに出るのは一人だよ。日替わりで交代するってことにしてもらった」


 松之介を見ながら答える一方で、透の手は、手元を見ずにとも食器を手に取る。


「? それはこの後の手伝いも一人なのか?」

「そう、……だね」


 今度は由久に質問されたので、由久の方へ向き――かけたところで、自分の手にした食器が、例の一本箸だったことに気付いた透は、それを脇に置いてフォークを取り直した。


「食事が終わりそうなころに呼びに来るって」

「なんでそんな面倒な……。一日一人ってことは、同じことを三回教えることになるだろ。仕事覚えるまでとは言わなくても、一通り教えてからじゃないか?」


 由久の言ってることは正しいように思える。教える手間に関しては。


「そんなこといわれてもなぁ……外での作業とかならともかく、もし厨房とかでの手伝いだったら、三人でぞろぞろと聞きに回っても物凄く邪魔だと思うけど」

「今の状態でなんとかやってるみたいだし、客が引いて余裕ができた頃になってから集中的に教えるべきだろ。そこは」


 別に忙しいときに教えなくてもという由久の意見に、確かになぁ、と透も思ってしまう。


「……まぁ、取り敢えずそうなってしまったわけなので」

「ヨルに言ってもしかたないってことだな」


 口に入れた肉片を飲み込みつつ、ため息交じりに松之介が言った。


「そういうこと。……で、誰から手伝うということなんだけど……」


 苦笑いしながら言う透は、話を切り替えた。


「今日は、俺が行くってことになってるんだ」

「? 別にかまわないが、どうしてだ?」

「頼みに行ったのが俺なのに、その初日から違う奴が来たら変じゃない? それに、最初にそれをいってしまった」


 透は流れ流されて余計なことまで口走ってしまう様な性質(たち)だった。


「まぁ……そうだな」

「そういうことさ――しかし、これって何に使うんだろうね?」

「その箸もどきか?」


 おそらくハンバーグと見受けられる肉料理をフォークで押し分けて切りながら、空いた右手でまた一本箸を手に取る。

 今日の昼食は、パンとポテトサラダ、見た目がコーンポタージュっぽいスープに、そして、ハンバーグ。肉は何の肉かは分からないが、一口食べてみた所、美味しいハンバーグそのものだった。

 かかっているソースは、あまりなじみ無いものだが。


「一本じゃまさに串だよ」

「……そのまんまの使い方なんじゃないのか? 串の使い方で」

「だったら最初から串刺しにされた料理が出てくるでしょ」


 松之介が切り出した肉片を一本箸で串刺しにしながら口に運ぶと、透は首を振りつつ答えるが、ふと「いや、でも……」と考え込んだ。


「――松之介の言う通りの、果物とかに差してある爪楊枝みたいな使い方なのかもね」


 一本箸の先端がとがっていたのでその答えにたどり着いたのだ。とがってるといえど、箸でもこのくらいの細さだったら、ないことはない程度の細さだったが。


「このコーンポタージュ。見た目に反して、なんか辛いぞ」

「なんと」


 見た目は何か他の野菜も一緒に煮込んだ濃厚なコーンポタージュのような感じのとろりとしたスープをスプーンですくい飲みをしていた由久が、眉間に皺を寄せている。コーンの様なものも入っているのでそうだと思い込んでいたが……。

 試しに飲んでみた透も驚きの表情になった。そして、辛いといえば、真っ先にカレーが浮かんだ。


「白いカレーって、確かあったよね」

「そうだな。カレーの辛さとは少し違う様な気もするが」

「クラムチャウダーって無かったか?」


 松之介の言葉に、ああ~、と透が記憶を探りながら唸った。


「白いって言えば同じだけど、あれって貝入ってなかった?」

「見た目も、これとは全然違う気もするな」

「そうだっけか? 言い出したが、あまり食ったことないしな」

「食ったことないんじゃぁ、辛いかもわからないじゃないか。とはいっても、俺もテレビでみたことあるくらいだし……。それじゃ、辛味の利いたクリームシチュー?」

「シチューか……」


 由久は呟くように言うと、ふと顔を上げた。


「……もしかしたらゲームオリジナルという感じのものかもしれん」

「まじか」


 ハンバーグの切れ端を飲み込んだ透が短く聞き返した。


「もし、このゲームが注目されてきたら、この料理も商品として売り出すんじゃないのか?」

「少し見慣れない野菜もあった様な気がするけど、どうなんだろうね」


 今日のサラダは、こまかくされて混ぜられた野菜なので、特に違和感を覚えることはなかったが、実際はどうなのだろうか。


「ゲームで作り出された野菜をそのまま使うとは思えないな……キャベツとか、身の回りにありそうな、普通の野菜を使うんだろ」

「見たことない野菜だってあるかもしれないぜ? ここで使われてる野菜は実際に存在していて、ただ俺たちが知らないだけとか――」


 言葉のバトンを回しながら食事をしていた三人だったが、ドアノックに気付いた松之介が不意に口を止めた。

 三人がドアの方を見る。

 松之介が口を(つぐ)んですぐに、透が条件反射の様に「はい」と返事をしながら立ち上がって扉に向かった。 ドアを開けると、そこにはスティルが相変わらず愛想の無い表情で立っていた。以前と比べ、背が小さくなっている透はスティルを見上げる形になる。


「手伝う人を呼んで来いって言われたんだけど――」

「え、もう?」


 透が横にずれ、部屋に半歩入ったスティルが、透とそれからテーブルに座る二人に、順に視線を移しながら言いかける。と、食べ始めてそれほど立ってはいなかったので、透は反射的にそう言ってしまった。横にいた透に、スティルが目を細める。


「あ~……ま、いいか」


 食べている途中の料理をみて、透は諦めた様子で言った。完食とはならなかったが、今はあまり食欲が無かった。


「俺なんだ。――よろしくお願いします」


 それを聞いて眉間に皺を寄せるスティル。……あれ。下での会話を聞いてなかったのか?


「……じゃ、ついて来て」


 素っ気なく言って、廊下に出て行った。透も彼に続いて部屋を出て行く。視界の端で、軽く二人が手を振っていたのが見えたので、左手を置き去りにするように占めかけた扉の間で手を振り返した。


「……。」


 階段をおり始めるスティルを追って急ぎ足になる。あまりにも好意的でない態度に、透はなんだか心配になってきた。

 そんな時、階段をおり始めて半ばほどになって、突然、彼が止まったかと思うと透に振り返った。


「君さ……」


 彼が今、どんなふうに考えているのかは分からない。ただ、その声には少しだけイライラとしているのが読み取れた。

 思考に身を沈みかけていた所での、不意の発言に思わず強張(こわば)ってしまう。が、彼が口に出したのは思いもよらぬことだった。


「お客さんの前とかで、『 男性一人称(おれ) 』を使わない方がいいよ」

「え? ……? …………あ! あ~……うん」



 透は言われてから暫くの間、理解するのに時間がかかったが、どういうことかようやく飲み込めると、沈んだ声で答えた。


「個人の時は別にいいかもしれないけど、手伝いっていっても仕事だから。それと――」


 スティルは少しだけ花を家具わせると、ポケットから小瓶を取り出した。薄黄緑の透明な液体に、緑色の木の実が七~八個沈んでいる。液体が薄黄緑色をしているのは、おそらく、この見から色素も抽出されたのだろう。


「さすがに少し汗臭いよ。いくら今が汗をかきにくい、涼しい気候だとしてもさすがに汗臭くもなる」


 スティルはそう言いつつ、透に小瓶と布切れを差しだす。透は受け取りつつ「これは?」と聞き返した。


「その布切れにしみこませて、拭いて使うんだ。間違っても瓶から直接体にかけないで」


 口早に淡々とした口調で説明すると、スティルは先に降りて行った。

 透が聞きたかったのは「これはどういうものなのか?」と言うことだったのだが……。ふと、誰もいないことを確認しつつ、(えり)口を引っ張って臭いを嗅いでみた。


「う……」


 絶句して顔をしかめる。わずかだが汗のにおいするなぁ、と思うのと同時に、これはゲームなのにここまでするかと、少しむかついた。

 本当は今すぐにでも着替えたいところだが……。早速、スティルから貰った小瓶の栓を開けてみた。布切れを瓶の口に押しつけ、ひっくり返してはすぐに戻す。

 口の形からやや広がったシミが布切れに出来て、そこから清々しい香りと微妙に消毒液のアルコールの様な臭いがする。

 いささか不快な気持で体を拭きつつ――拭いてみると、汗のにおいが消えて緑茶よりも少し青っぽい臭いがした。アルコールのお陰で拭いた所はスッと一時的にだろうが、サッパリしていく。

 服には、少し多めにしみこませた布でしみこませるように拭いてみる。

 気休め程度にと思いつつも襟口や脇の辺りに染み込ませていると、瓶の液がしみついた服がぺったりと肌に着いた。


「? ――っ!」


 気持ち悪いな……と思っているところに、急になんだかヒリヒリと痛みを感じ始めた透は、即座に作業を中断した。


「直接使うなとはこういうことか……」


 襟口にたっぷりと含んでしまった液を(しぼ)(ぬぐ)って馴染(なじ)ませながら、折り返すように曲がる階段を下りて行くと、スティルがレストランの方に行くのが見えた。

 一瞬、こちらを見ていた気がする……。おそらく、どこに行ったかわかる程度に先行してくれていたのだと思うことにした。

 ……まぁ、どちらかと言えば、『何もたもたしてるんだ?』って感じなのだろうけど。そんなふうに思いながら、急ぎ足に階段を下りるとレストランにつながっている廊下を歩いて行った。


 レストランに入るのは、今日が初めてだった。


「……おお~」


 今まで、下から聞えるお客の声でいつも人がいるとは知っていたが、透の想像以上にお店の中はお客で一杯だった。

 狭く感じる店内の円形テーブルはすべて満席で、多くの客の話し声や食器の擦れる音などで賑わっている。その間を縫うように女性店員が行き来している。ニコニコと愛想を振りまきながらしているが、とても簡単そうには見えない。

 レストランの正面側(道側)には壁が無く、白い壁や天井の店内は外からの光と、カウンター近くのオレンジ色の照明(ここからは見えないので、おそらく、大きい蝋燭台なんかの明かり)で色の変化を伴った明るい店内だった。


「ちょっと。突っ立ってないでこっちに来て」


 客の何名かがこちらを指差して話しているのに気付いて、愛想笑いと共に軽く会釈をしたところに、横からスティルの声がかかった。その声の方を見てみると厨房の奥からスティルが顔を出している。


「あ、ごめん。今行く」


 慌てて返事しながら厨房の方へ入っていく。少し狭く感じるキッチンにはオヤジ、そしてもう一人、若い男がいた。二人は手を休めずに料理を作り続けている。 オヤジは次の野菜を切るために隣のボールに手を伸ばしたところで、透に気付いた。


「あ、君か。手を動かしながらで悪いが――何分、お客を待たせるのはな。君、接客はやった事あるのか?」


 忙しそうに手を動かしながらオヤジが聞いてきた。雑に切っているように見えるが、腕があるからこその早さなのだろう。


「あ……いえ、やった事がありません」


 バイトで幾らかの経験はあったが、飲食業の接客は全くやったことはなかった。早速の要求に応えられずに、透は肩を落として答えると、オヤジは「そうか……」と眉間に皺を寄せる。 どうやら、飲食業でよく言われる『フロアー』の役割をする人が少なくて困っているようだ。先程客席の方を眺めていたが、確かに桃色の髪の女性店員一人しかいなかった。


「それじゃ、今は皿洗いやってくれるかい? 終わったら、俺か、そこのダットていう奴に言って――エルフィン! サラダ六人前! 三番と五番テーブルにそれぞれ三つずつだ!」

「はーいっ!」


 オヤジがお皿に手早く持ったサラダを六皿をカウンターに置くと、エルフィンと呼ばれたエプロン姿の女性店員が慌ただしく持って行った。


「流しはこっち」

「!?」


 慌ただしさに気負いし始めている所に、後ろから突然、肩を叩かれた透は小さく飛び上がってしまった。振り返ると、スティルがエプロンを片手に立っていた。信じられないと言った表情の透を余所に、スティルは横を通り抜けて厨房の一番奥に入っていく。


 ――奥と言っても、この厨房そんなに広くないなぁ……。


 調味料の入った棚とオヤジに挟まれた狭い空間を、足元に注意しながらヒョイッとすりぬけつつ透は思った。


「早く」

「あ、うん。今――」


 スティルの催促に、先程と同じく「今行く」と繰り返そうとしたが、足元から視線を上げた透は口を開けたまま固まった。

 そこには透の想像以上に、食器が文字通り『山積み』になっていて、こうして今見ている間にも、壁にある窓口からまたお皿が来ていた。 どうやら、流し台とお客が居る所とはこの窓で繋がっているみたいだ。洗い手のいなかった流し台の食器は、今や小高い丘の様だ。


「いつもは僕か、この前帰っちゃった人が一人でやってるんだけど……」


 長袖を捲り上げながら言うスティルは、流し台の下から布の塊を二つ取り出した。それまで持っていたエプロンとセットにして布の塊を一つ透に渡す。


「はい、これ。早く終わらせないと、もうそろそろ使える食器がないから、テキパキとね」


 スティルは流し台から少し離れた大きな棚を指差す。そこに置かれていたであろう膨大な数の食器は影もなく、残りが後少しかないようだ。その、残り少ない皿をダットが二枚とっていく。


「それに次の仕事が滞って、夜中にまで長引くから手早く」


 これまた素っ気なく言うと、彼は黙々と洗い始めた。透も袖を捲って始めようとすると、横の壁にある小窓からずいっと食器が追加された。ビクッと、一瞬力んだ透は、パッと反射的に小窓をみる。伸ばされた細い腕を追って、ゆさっと揺れる髪が見えたと思ったら、ひゅっと腕が引っ込んでいった。

 今の人が『エルフィン』という人かな?


 ――食器を洗うスティルがちらりと透を盗み見る。食器を洗い始めないかと思いきや、食器が運ばれてくる小窓を見つめている透に、スティルは手を止め、透の顔、そして小窓に目を移す。

 何をじっと見つめているのか? 特にこれといった表情をしていない透に、スティルは少し間を置いたのちに、短く口を開いた。


「……どうかした?」

「――いや? どうも」


 スティルの問いかけに、肩をすくめて応える透は、長袖の袖口をまくりあげながらスポンジを持つと、取り敢えず手前の食器の山へ手を伸ばした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ