8 初めての食事
それから間もなくして、由久の登録も終わった。水晶を握った時も、彼がふわっと少しだけ浮いたかと思うと、彼は少しだけ驚いた様子で足元を見ただけで、落ち着いた様子で登録をし終えた。
透は、登録がし終わるのを確認すると、何も言わずに案内所を出て行った。それに気付いた老人のかけてくる声や、その声で振り向いた由久の声も、全く耳を通さずに――音として聞こえてきても、意識の中に入ってはこれなかった。
心なしか荒々しげに開けられた扉は、悲鳴のように軋みながら透を通した。
自分が笑い物にされたのが、とても許せなかった。笑いをとることは嫌いじゃない。笑われても、笑って返すくらいの余裕は、一応に透にも備わっている(……はず)。
でもあれは、なんだか無性に腹が立った。
どうしてかと考えてみたら、あの時、透は死ぬかもしれないという考えが頭を掠めるほど、少し危険だったのだ。幻覚で……とは言うが、笑いのネタにされた方はたまったもんじゃない。悪い冗談なんて、ふざけんじゃない!
店の前に出て、流れる大河の様に移動していく人の群れを見て、少しだけ気がひるんだ透は、まだ、レストランがどこにあるか分かるほど街を歩き回っているわけじゃないことに気がついた。
仕方なしに由久を待つことにした透は、気紛らわしに辺りを見回し、そして案内所の出口から二メートルほど横にある掲示板の方へ歩いて行った。由久がハンターのチラシをかっぱらってきたのは、おそらくここからなのだろう。
見れば、先程の職の他にも色々と職業がある。だが、それの大半が街からの募集だった。
「……誰かさんは、選択する余地もなかったのか」
掲示板の端から端まで見てみると、いくつか外からの募集が入っている。
港からでる輸送船を海の魔物や賊から守る護衛。行商団の護衛。……国境の兵員募集もある。
しかし、それらの職業は各々に限定があった。身分証明や、能力を証明するための試験などがあるらしい。それに比べて、ハンターは資格なしで受けられるのだから、なんともお安いというか……敷居の低い職業だ。
それで、国境を自由に渡ったりできるのだから……なんというか、ただでフリーパスがもらえたのと同じじゃないかと思い始めてきた。
頭に上った血が大分下へ降り始めたころ、由久は「ありがとう」とお礼を言いながら出てきた。店の前の職業案内の掲示板を眺めていた透が、視線を掲示板からこちらへ歩いてくる由久へ、そして彼の右手の袋へと移って行く。
由久のなんだか機嫌の良さそうな表情を見た透は、落ち着いてきたもののやり切れない気持ちになり、なげやりにため息をついた。
「あてって、それのことか?」
「ああ、これか? これは違うさ。思わぬ収入って言ったところだな」
なるほど。上機嫌なわけだ。
「いやさ、あのじぃさんが透にって、くれたんだ。退屈を紛らわせてくれたお礼だとよ」
由久はニヒルに笑って透を指差す。その先に立っている透は、右頬がヒクッと引き攣るのを感じた。謝罪ではなく謝礼なのか。
「……、……で? あてはどうなった?」
少なくない時間をかけて、透はやっとこさ、声を普通の調子に調節し直してから聞いてみた。
「金の方はあてが外れたさ。――代わりに、それ以上の収入があったわけだが……」
「うますぎるんじゃない?」
「ゲームだぞ、これ」
「……。そう」
由久の何言っているんだ? という調子の言い方に、透はムッとして、諦めた様に、ため息と共に受け流すように答えた。
「で、そのお金を、一体どうするんだい?」
気を紛らわすように口から出てきた適当な質問だったが、その答えは透の中にもあった。
「何って、これで武器を買うしかないだろ。帰りに武器屋によって買うから、余るお金で松之介の分だな」
「余ったら」と言わずに「余る」と言う所を見ると、今度のあては確実のようだ。
「あ~……確かこっちだったな」
表通りの店の看板を見比べながら左右を見渡していた由久は、そういうと、内側の流れに沿って反時計回りへ歩き出した。
しばらくして、表通りの外側に面した場所に武器を飾ってあるお店を発見した。出入り口のところには警備員なのか、男が立っている。
出入り口から覗いて見ると、武器が壁に飾りかけるように置いてあるほか、棚に丁寧に置かれている。
「少し待ってろ」
興味津津に店の外観を見渡しながら出入り口の近くに立っていた透に、由久はそう言うと、引き寄せられるように店の端の方へ歩いていき、そこにかがみこんだ。
見るとそこには横長で膝くらいの高さの木箱が置かれている。
そこに屈み込んで何かを物色しているかと思うと、すぐに立ちあがった。その手には三本の剣が掴まれている。
恐ろしく手早く動く由久は、カウンターに行くと、短い会話らしきものを交わしている。店員さんが奥に消え、そしてベルトらしきものを持ってくると、由久か軽く会釈をするように首を動かし、ベルトを着けながらすぐに店から出てきた。
「んじゃ、用事も済んだし早く戻るか」
透が「それは?」と聞こうとしたところで、由久が先に言った。
「多分、松之介がすきそうな武器だって買える分は残ってる」
「――三本もあるのに?」
質問を変えて、透は訊ねる。 彼は一瞬、透のを方を見る――ベルトの横にある穴へ左に二本、右に一本差しこむ――と由久は首をかしげると、一度外した。
「……まさかの三刀流とか?」
唸りながら、刀を差し直す由久に、本気? と問いかける透に、彼は失笑しながら首を振った。
「まさか……まぁ、それは宿に戻ってからだ」
何度か調節した後、ようやくしっくりくる位置が決まったのか、体の右側に鯉口が来るように後ろに三本、ベルトの固定具に差しこむと、由久は帰り道を歩きだした。
時刻は、美味しそうな食べ物の匂いが一層、漂い始める昼食時だ。
宿屋に戻ってみると、レストランは出かけていった時より更に混んでいる。喧騒とした厨房の方からと食欲をそそられる美味しそうな匂いが漂ってくる。
「……。」
……そういえば、お腹がすいたな……。
階段へ脚をかけつつ、透は厨房の方を見る。ここから見える景色は、狭い廊下の先にあるレジと思われしき場所と、横から見たカウンターの席を見ることができる。
清算口の隣には、腰より少し高いくらいの背の低い扉が厨房とお店を仕切っている。
鮮やかな桃色の、ふわっとした横髪を揺らしながら女性の店員が料理を運んでいる。
ふと、気がつくと階段を上る音が聞こえない。透がよそ見をしているうちに彼は上に行ってしまったようだ。 こんなところに立っていてもどうにもならない、と透は階段を上って行った。
三日間ただで部屋を借りれるとなると、食事は別になるだろう。現に、透はここにきてから一食も食べていない。 先程手に入れたお金で何か食べに行くのだろうか? どこで食べるのだろうか。やはりレストランに?
ハンターに登録し終わった辺りから空腹感を感じ始めていた透は、どうしようもないくらいにお腹が減っていた。 もしかしたら、あんなに頭にきたのも、お腹が減っていて、無意識に気が立っていたのかもしれない。
「ただいま……――」
透が元気の無い声でドアを開けると、中から美味しそうな匂い……。暗い気持ちで足元を見ていた透は、ハッとして顔を上げた。 ベッドの向こう側にある、足の低い長方形に広いテーブルの上には料理が。二人はテーブルをはさんで会話しながら昼食をとっていた。
「え、どういうこと?」
嬉しそうに言いながら、はじき出されたように駈け出した透は、テーブルにかじりつく勢いで掴みかかって、そこに並ぶ料理を凝視した。由久が「おい」と眉間にしわを寄せて透を非難の目で睨んだが、透は気づきすらしない。
「ご飯、出るの?」
「ああ」
もぐもぐと料理を食べていた松之介は、唸るような声で答える。言葉とは裏腹に既に食事にありつこうと由久の隣に陣取った透に、松之介がフォークと……箸? の片方だけしかない様な棒を渡してきた。
「――いや、もう一本は?」
「使い方は良く分からんが、一本で食器らしい」
早速食べようと思って意気込んでいた透は、意表を突かれて目をぱちくりとした。松之介は、どうにもならないさ、といった感じで、戸惑う透に箸の片方みたいな棒を渡した。
透は逡巡の思考の後、ニコヤカに受け取ると、そのまま流れるように棒をテーブルの上に転がしてナイフを手に取った。
「頂きます」
フォークとナイフを両手に挟むように手を合わせてお辞儀をすると、勢いよくがっついた。
ちょっぴり塩の味と香ばしい香りがする暖かいパン、皿にスライスされて盛られている薄い肉、レタスが主だったサラダ。
色の濃い――というか黒に近い――色をした薄いスライス肉は、食べてみると妙に辛味がキツイうえにパサパサとしていて、透は顔を顰めると、すぐさま自分の分のコンソメスープに手を伸ばして飲んだ――
「?」
慌てて口に含んだ大きな一口を、二回に分けて飲み込んだ透は味を確かめながら怪訝な面持でスープを見た。
「なぁ、これってさ……」
「聞かれても分かんないぜ?」
器を置いた透が、指を差しながら二人に聞いてみると、横目に見つつ松之介が返した。
「そうか。……なんかさ、コンソメスープっぽい見た目だけど味がな?」
「……味わったことないせいか、妙な味だな」
由久が透き通るスープを見つつ呟いた。野菜などの旨みの上に、なんだか酸っぱいのだ。不味くはない。むしろ美味しいのだが、コンソメスープだと思い込んでいたせいか、妙に馴染めない味に首をかしげる。
「渋いっつうか……いや、すっぱいだね。レモンか何か?」
先程の肉を頬張りながら透が呟いた。
「あ~……いや、レモンとは違う様な気がするな」
由久が興味をもったようで、飲んだ後首をかしげた。
透が唸った。かじっただけでも辛かった薄切りの肉は、丸々頬張ると、なかなか食べるのに困る味だったのだ。
器のスープを一口。濃い味で辛いうえにパサつく肉は、口の中でスープと出合うと、なんだか食べやすい味になった。
「もしかして、先にスープに入れてから食べるものなのかな?」
再び肉を頬張って、流し込むようにスープを含む。
おいしい。
肉の濃い味と、野菜の旨みが出て酸味のあるスープがとてもマッチする。
「どちらかというと――」
松之介は肉をスープに浸した後、千切って切れ目を入れたパンにはさみ込んだ。そして豪快に齧り付いた。
「こうして食った方がうまいぜ」
美味しそうに飲み込み頷いてからの一言。握りこぶしより少し大きいくらいに千切ってあったパンは、摘まむ程度だけ残して松之介の手におさまっている。 齧るというより、丸のみするように口に放り込んだと言った方が正しそうだ。
「おお、確かに」
試してみた由久が満足げに頷いた。
そうして、食べなれない味に舌鼓を打ちながら食事を勧めた三人は、しばらくして、満足げに料理をたいらげた。 少し残念なのは、透のことを考慮してなのか、二人がこっそり盗み食いしたのか。気持ち量が少なめだったところだ。
「まぁ、そんな体じゃな」
前日から食べてなかった透は、物足んないなぁ……とぼやいていると、由久が透を見ながら苦笑いしながら言った。
「……はぁ」
透は、ポンポンとお腹を叩いた後、ため息をつく。少し悲しくなった。
「腹八分目っていうだろ」
「……腹五~六分目って感じだなぁ」
松之介も言うが、透の少しだけ足りない妙な空腹感はまぎれなかった。 しばらくすれば、その空腹感も感じなくなるのだろうが。
「――よし、もうそろそろ行くか」
「ん?」
そう言って松之介が立ちあがった。
「どこに?」
「どこって、武器屋しかないだろ」
何を言ってるんだと松之介が笑う。いやいや、と透が首を振った。
「武器って、由久が剣を三つも持ってるじゃんか。それじゃダメなのか?」
「それがな……」
松之介が透から由久へ視線を移したので、透も自然と横に座っている由久を見る。
「……俺は細長くて、重量の少ない剣を探してたんだ。複数本もってるのにも、ちゃんと訳がある」
欠伸をしていた由久は、首を鳴らしながら言った。
「訳って?」
「こういう剣っていうのは切れ味が大事なんだが、その切れ味も長く持たないものなんだ。刀だって、物凄く切れ味が良いイメージがあるが――実際、いいけど――刃毀れってのは割と早いらしい。……第一、下手な奴が使うとあっという間に刃毀れするしな」
最後は失笑しながら、自虐的に説明した。
「俺も真剣を扱ったことはないから、どうもな」
「……なら、買いに行くしかないか」
ため息をしながら透が立ちあがった。
「そうしてくれ。登録し終わったら今日のところは街の散策にして、明日、街から出て魔物狩りをしてみよう」
松之介にこの世界の通貨が入った袋を取り出す。
「それはそうと、バッグがほしいところだな」
袋を受け取りながら、松之介が言った。
「ああ、そうだね。もしお金が余ったら買おっか。使いきっちゃえば、その袋をバック代わりに使えばいいし」
「それもそうか――お前は行かないのか?」
立ちあがる気配さえない由久に松之介が聞いた。
「……俺が行く必要あるか? 行ってもいいが、絶対口をはさむぜ?」
ははっと笑いながら由久が言うと、松之介もそうだなと頷いた。扉へ歩き出した松之介が透に目配せして「いくぞ」と言うと「りょーかい」と頷いて透も後についていく。
「もう少し休んでから先に職業案内の所で待ってるから」
由久はソファーの背もたれに寄りかかってひらひらと手を振り、部屋から出て行く松之介と透を見送っていた。
「――武器屋さんか……さっき由久と一緒に立ちよったけど……」
廊下に出ると、透が自信なさげに松之介の後ろでつぶやく。松之介は不運かどうか。聞き逃すことなく次の言葉も聞いてしまった。
「とりあえず、歩き回ったら見つかるよね」
「…………おい」
その何気ない一言で始まった、街の中の迷子騒動は――実際に騒いだのは松之介と透しかいないのだが――一時間以上もさ迷い、やっとの思いで二人は武器屋に辿り着いたのだった。




