殺し屋と少女Aの過去
私がこの家に引き取られたのは、今から十二年前のことだった。
私が元々住んでいた家は後から聞けば、それなりに大きな家で金持ちだったらしい。
でも、その家に家族の情は一切なく、血のつながった家族なのに他人のようだったと、私を引き取った人は言っていた。
確かにあの家に愛情はなかった。
あの家にあったのは空虚な空間と熱を感じさせない会話だけ。
私の実の父と母は私の名前を呼んだこともない。
きっと、私の名前さえ知らないだろう。
私に名前をつけたのは、母が私を産んだ病院の看護師さんだった。
私の出生届を出したのは、父の会社の秘書さんだった。
私に着る物を用意してくれたのは、家政婦さんだった。
両親は私になんの関心ももっていない。
私と目を合わせたことは一度もない。
話をしたこともない。
会話をするのは、私以外の誰かとだけ。
いや。一度だけある。
それも一方的に。
私は言葉を発することはなかった。
母は私を殴り飛ばし、
『こんな子さえ生まれてこなければ、私はこの家を出ることができたのに!』
と私に向かって言った。
私を殴った手を汚らわしいものにでも触ったように見つめ、何度も洗っていた。
父は私を蹴り飛ばし、
『こんなガキさえ生まれてこなければ、あんなクソみたいな女と結婚しなくてすんだのに』
と私に向かって言った。
私を蹴った時に履いていた靴をゴミ箱に捨てていた。
私の顔とお腹には大きな青あざができた。
それでも、私は泣かなかった。
何も感じなかった。
痛みも悔しさも何もなかった。
ただ、『なんで産んだの?』という疑問しかなかった。
私に生まれる意味がなかったというのは最初から分かっている。
私はあの家に存在していながら、両親の中からは存在していなかった。
いや、存在していてはいけなかった。
私は、生まれてきてはいけなかった。
その日から私は幾度となく死のうとした。
その度に、家政婦さんに止められ、秘書さんに止められた。
そして、ある日精神科に連れて行かれた。
結果は心神喪失だった。
拘束されて、その日は帰った。
自傷行動を抑えるためだと秘書さんは言っていた。
別に秘書さんはやさしいわけではない。
秘書さんは世間体があるし、会社に悪評が広がるのを止めるために嫌々やっているだけだった。
家政婦さんも同じ。
私の周りに愛情を持って接してくれる人はいなかった。
私は愛情を知らなかった。
あの事件までは。
いつものように私が一人、暗い部屋の隅で体育座りで座って、膝の間に顔をうずめていた時のことだった。
階下にいる両親の叫び声が聞こえた。
私は幼いながらも、危機感を感じることはできた。
それでも私は動かなかった。
おそらく、両親は死んだのだろう。
叫び声が不自然に途切れたのだから。
それに階下から熱が上がってくる。
それにこのぱちぱちという音。
家が燃えている。
そう認識した瞬間。
私のいる部屋に男の人と女の人が入ってきた。
私は殺されるのだろう。
この二人はどう見ても、私を救いにきたような姿をしていない。
救いにきたにしては軽装すぎる。
それに、二人は血の滴る刃物を握っていた。
ああ、やっと死ねる。
私は虚ろな目で二人を見る。
少しずつ近づいてくる。
やっと、解放される。
そう思った時だった。
近づいてきた大人の女の人の方が、ふわりと私を抱きしめた。
そして、私の耳元で『もう、大丈夫だからね』と言った。
初めて私は人に抱きしめられた。
暖かかった。
人がこんなにも暖かいことを初めて知った。
初めて知った時、私の目から自然と涙が出た。
それに二人は優しく微笑んだ。
男の人が優しく私の頭を撫でた。
二人が優しく私に接してくれた。
初めて優しさを知った。
涙はとめどなく流れ、嗚咽が漏れる。
女の人は優しく抱きしめて、宥めるように背中をさすってくれた。
その時、部屋の前に火の手が伸びた。
すると、男の人が『もう行かないと』と言った。
それに女の人がうなずいた。
女の人は私を抱きかかえ、男の人と一緒に窓から飛び出た。
女の人は私を庇うように着地し、男の人はすぐに私と女の人を抱き起こす。
そして、女の人の腕から男の人が私を受け取り、私を抱え二人は走り出した。
私は男の人に抱かれながら、私の家だったものを見た。
火に包まれ、空虚だった家が燃えていく。
私のすべてを否定した家が燃えていく。
それに、それに私は何も思わなかった。
いや。
全て燃えてなくなってしまえと思っていた。
そして、私を二人は家に招き入れた。
『ここが今日から君の家だ』
『あなたは私たちの家族になったのよ』
と、二人が優しい笑みを浮かべながら言った。
私はまた泣き出した。
女の人が私の涙をぬぐってくれた。
男の人が私の頭をなでてくれた。
その時、玄関が開いた。
『おかえりなさい!』
と私と同じ年くらいの同じ背丈、同じ服を着た男の子三人が出てきた。
その後ろには制服を着た背の高い男の人と、小学校の高学年くらいの男の子がいた。
『父さん、母さん。その子が?』
『ええ。新しい家族よ』
『仲良くしてやってくれよ』
と、男の人が私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
すると、制服を着た男の人が私の目線に合わせるようにしゃがみ込むと、
『俺は雅文。お前の兄ちゃんになる。よろしくな』
と私に笑いかけて、頭を撫でた。
次に小学生の男の子が、
『僕は靖晴。兄ちゃんと同じく、君の兄さんになる。これからよろしく』
と言い、ニカッと笑い私に手を差し出した。
私はその手を握り返した。
その時、私と靖晴の間に三人の男の子が割り込む。
『おれは戒斗!』
『ぼくは朔斗』
『おれは綾斗だ』
そして、三人同時によろしく! というと、私の手を戒斗と朔斗が引っ張る。綾斗が私の背を押し、家の中へ連れて行った。
それに私をここに連れてきた男の人と女の人が優しく見守っていた。
『おっと。三人とも、その子はお前たちより一つ年上だからな~』
と男の人が言った。
それに三人が驚いたように私を見た。
『嘘だ~。だってこいつチビじゃん』
『女の子のはそれくらいよ?』
と女の人が言った。
『戒斗。お前そんなんじゃ女にモテないぞ?』
『雅兄はモテすぎるんだよ!』
『何だ? ひがみか?』
『ち、ちげえし!』
全員が笑っていた。
私に向かって愛情を向けてくれている。
初めての家族というものに私は自然と笑みがこぼれていた。
私はその時初めて「梓」という存在を手に入れた。
それから私はこの家の家族だった。
私は元住んでいた家のあった場所に来ていた。
そこには何もない。
家も灰もすべて何もない。
家が燃え、そこから遺体が見つかり、警察は調査した。
家が燃えて出てきた遺体の数は五つ。
父と母と秘書さんと家政婦さんと私、の身代わりになった女の子。
女の子は私とは全くの別人なのに警察に私の行方を捜査されることはなかった。
幸いにもあの家に情がなかったおかげで私が私であるというものが発見されなかったからだ。
DNA鑑定をする必要も警察には感じられなかったらしい。
それよりも警察には大きな事件があったから。
父の会社が政治家と暴力団組織に金を横流しし、脱税をしていたことが判明したからだ。
それによって、私とあの家の関係はなくなった。
私はすっかり今の家の家族だと思い込んでいた。
でも、家族ではない。
綾斗はそんなつもりで言ったわけでないことを知っている。
それでも、今まで忘れていたことを思い出してしまった。
私が一人、家のあった場所にたたずんでいると、名前を呼ばれた。
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