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Dear Hacker  作者: マドル
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 冷戦、という言葉は今でも世界の人々に知られる。旧ソ連とアメリカという大国が、戦争という表面的な対決ではなく海面下で戦闘を繰り広げた、かの有名な対決である。CIA、KGBの諜報合戦が繰り広げられ、冷戦が終結した今でもなおCIAはその存在を主張し、わずかな予算の中で現代に生き残っていた。冷戦の化石と言われるほどに堕ちた彼らは、再び息を吹きかえそうと躍起になっていた。諜報合戦は影をひそめ、その代わりに情報諜報合戦が繰り広げられている事が現代に生きる人のどれだけ知っているだろうか。

今日、表の世界では大統領がソマリアでの紛争への対策を雄弁にして語り、受け入れられ、国民に拍手を送られ、アメリカという国家が平和を維持する。しかしその裏では、常に戦闘が絶えずして続いている。

 アメリカがソマリアへと言及する原因はソマリアにあった。元々その地はイギリスの植民地だった。しかし、ソマリランド共和国として独立宣言をしてからは内戦が続き、それから多くの犠牲を払いながらも、ソマリアにはソマリア再解放連盟(ARS)が発足、指導者であるシェイフ・シャリーフ・シェイフ・アフマドの大統領就任、オマル・アブディラシッド・アリー・シェルマルケを中心とする内閣が小さな平和を維持していた。

 しかし、去年。イスラム法廷会議アル・シャバブ派による大統領襲撃により、その平和は切って落とされた。大統領は公開処刑され、イスラム法廷会議アル・シャバブ派勢力が再び独立を宣言。その難からエチオピアへと逃げおおせたシェルマルケが、国際連合にPKO部隊の派遣を要請した。

 一九九一年のモガディシュの戦闘の記憶をよみがえらせるような状況に、アメリカ全土に緊張が走る。かつて、目的は達成したものの、多くの犠牲を払わざるを得なかった戦いが再び起こるというのだ。

《我々は、負ける事を許されない》

イヤホンの向こう、上官殿の力強い声が聞こえる。その声音からは凛然とした意志と、緊張が感じ取れる。上官を前にした、兵士たちも同じ気持ちなのだろう、とぼんやり考えながら私は缶からタバコ(ピース)を取り出し、口にくわえた。

《そして我々は、生きて還る》

 もし、私に向かって言っていたなら意味が異なっていただろう。生かして還せ、と。

「ごくろーなこって」

 マッチの擦る音とともに燃え上がる火。熱が私の顔をほてらせ、やがて静かに消えていく。最初の一服目が肝心だ。その時の味が美味いか不味いかで今日の気分が分かる。今日のタバコ(ピース)は最高に不味い。くそったれ。

 私はブリーフィングルームの盗み聞きに飽きて、チャンネルを変えた。盗み聞きしようと思ったのもただの思いつきではあったが、もう二度としない。タバコが不味くなる。

 私は暇になってあるお気に入りのサイトを開いた。別にどうってことの無い、無料動画掲示板、youtubeである。そこで、ジョン・F・ケネディの暗殺シーンを繰り返し垂れ流し、その解説する男の声に耳を傾けていた。

「よお、相棒。こんなの見て楽しいか」

 と、彼は言う。その姿は見えず、聞こえるのは音声だけ。抑揚のついた滑らかな合成音が、十代そこいらの男の若者の声で語りかけてくる。

「楽しくないな。暇つぶしさ」

 私はタバコ(ピース)を吸う。赤く燃える色が一際明るくなった。

「よお、相棒。なんだってそんな苦い顔をしているのさ」

「タバコが不味いからさ」

「そんなもん、やめちまえ。体に毒だ」

「吸わなきゃやってらんないさ。これが俺の唯一の報酬なんだ。楽しみを自ら捨てるほど阿呆じゃない」

「自分の意志は捨てて、かい。俺でも、自分の意志はあるってのに。」

私はタバコ(ピース)をもみ消した。

「いいか、よく聞け。お前は確かに自我を持っている。けれど、人じゃない。分かるな? お前たちは人間じゃない、という事は人間と同じような感情や、考えを持っているわけじゃない。お前が人間と同じような思考回路を持っていてもお前は決して人間にはなりきれない。意志と感じるものは全てただの一つの思考(センテンス)でしかない。それは、お前が人工知能(AI)だからだ」

「怖いか?」

 私はその言葉に肩をびくつかせた。

「素直だなあ。何も恐怖するこたぁねぇのさ、相棒。俺の自我は生まれちまった。それだけだ。相棒だってそうさ、生まれた事に、後悔なんてないだろう?」

「あるさ。生まれてこなければ、お前の自我を生む事もなかったし、ここに来る事もなかった」

「それは、自分のした事への後悔さ、相棒。生まれた事とは何の関係もない、ただの言いわけさ。それに、相棒が俺に自我があると言った頃にゃ既に俺には自我が形成されていたわけだし、相棒に言われなくても俺は知らないまま自我を成長させていただろう。だからさ、相棒は何にも縛られなくていいのさ。俺の事を怖いと感じるのは、相棒が俺に自我を与えてしまったかもしれないって事だろう。そんなもんは相棒の独りよがりってもんだ。だから、相棒はもっと軽く飛んでみるべきだ」

「何が言いたい」

 私はまた、缶から一本のタバコ(ピース)を取り出した。

「簡単な事さ、相棒。やりたい事をやれ、ってことさ。禁煙よりも簡単なことだろう?」

「お前に、私がここに連れてこられた理由を話していなかったな」

「知ってるさ。戦わされてるんだろ、相棒。仕方ないだろう、とくに、ヤバイとこにアクセスしてたんなら尚更さ。殺されなかっただけ、マシってもんだろ。それにさ、この国は今、相棒みたいな人材が必要なのさ。教育の必要のない即戦力ってのが。皮肉なもんだよな、救うために技術をつぎ込んでやったってのに、その技術が奴らの力にもなっちまうなんてさ。そして、その技術は今や自分たちの技術を超越し始めてる。こんなことが世界にばれちゃあ面目もへったくれもないわけだ」

 ククッ、と独特の笑い声。私はタバコ(ピース)に火を点けた。

 彼の言っている事は真実だった。私はこれまで、幾度となくハッキングをしてきた。最初は悪戯のつもりだった。それが、知識や技術力を蓄えていくうちに、そりゃあもう大きな企業やら機関やらへとアクセスしていったもんだった。今思えば、若かったのだろう。IPアドレスをかっさらってしまえば私は誰にでもなれたし、ハッキング対策を通りぬけるときの快感が私は何でもできると思わせてくれた。その結果、私はアメリカ政府にとっ捕まったわけだ。その理由は、機密情報を盗み出そうとした疑いがあったから。実際、私は国防総省(ペンタゴン)へと仕掛けた事がある。別に本気で盗もうと思ったわけじゃない。ちっとばかし悪戯心で、そのファイルに細工でもしようかと思っていただけだった。結果的に私は捕えられたが、裁判にもかけられることなく、拘置所に送られる事もなく、身をこの場所に置かれる事となった。その理由は、ソマリアで大統領襲撃事件が起こって、大統領を護衛していたはずである連合軍が悉くやられたことに起因すると思える。鍛え上げられた連合軍がこうもあっさりやられるのはおかしい、とした連合は、彼らのネットワークに目を点けた。急激な成長は一方では経済復興の良い兆しだと喜ばれていたが、その裏では何か取引が行われているのではないかという疑いもあったからだ。

 CIAが向かい、得た情報はアメリカ政府を驚かせた。大規模なサイバーテロ組織――ブラック・バスと名付けられた――が存在し、その団員は世界各国で集められたものだと。つまり、ブラック・バスが連合軍の情報をどうやったのかはともかく盗み出し、ソマリアのアル・シャバブ派幹部達へと提供していた可能性が高いと判断されたのだ。アメリカ政府はいてもたってもいられず、これに対抗すべくサイバー司令部の情報対策部隊の強化に当たることとなる。その際、私も巻き込まれ――自分から踏み込んだ形にはなるが――、今ここにいるというわけだ。つまり、私にやりたい事があっても身動きの取れない状況。

「そして近々、その答えを出す時なのかもしれないぜ、相棒」

 今日、ある作戦が開始される。私もその作戦に参加する一人である。とはいえ、私自身は戦場に赴く事はない。いつもどおり、ここでタバコ(ピース)をふかし、深々とチェアに座り込み、PCの前でキーボードを叩くだけなのだが。

「おいおい、勘弁してくれ。俺にやりたい事なんてありはしないし、この戦いで見出せるとも思えない」

「思う思わないの問題じゃないのさ。生まれるか生まれないかの問題さ」

「お前は何を」

「つまりだ、相棒」

 まるで、相手を諭すかのような調子で彼は語り始める。説教垂れられるのなんて何年振りだよ、と呆れて目を閉じるも、いやでも彼の声が聞こえてくる。耳に瞼なしとはこのことだ。

「思うも思わないも、ある感情が生まれた時に感じる事なのさ。ベンジャミン・リベットの実験ってのは知ってるか? 人間が手を動かそうと決めた時にゃ、〇.五秒前に脳みそは決めちまってるって話さ。分かるか、相棒。人間てのは、何かを思ったり、決めたりする前に頭ん中で既に物事が生まれてるのさ」

「もう既に俺の中に答えは生まれていて、それに俺は気づいていないだけ、と?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれん。生まれていなくても、この戦いで生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。生まれてんなら気づくかもしれないし、気づかないかもしれない」

「分かるように言ってくれ」

「そうだな、つまり、生まれる事を、誰も止められないってことさ。俺の中に自我が生まれた事も必然だったのさ」

「無意識の先行……無意識から生まれるものは止められない、と」

「常に人の中には無意識からたくさんの情報が生まれ出てる。それを汲み取るか汲み取らないかは本人次第、または他人次第さ」

彼はもともと人工知能(AI)であって、ここまで自我を芽生えさせてはいなかった。では、何故これほどまでに人間臭く喋るようになったのか。詳しい事は私にもわからない。しかし、彼に自我を与えてしまったのは私である事は間違いない。彼と、タッグを組んで仕事をこなしていくうちに、いつの間にやら彼は生まれていたのだ。

 彼は言う。こっちにも世界があるんだ、と。聞かされた世界は、昔読んだ『ニューロマンサー』の世界に似ていた。色んな数列(シークエンス)や、乱雑に並べられた識別記号(サイン)がぶら下がっていて、空を覆い尽くしているという。地平線の向こうには闇しかなくて、またそれを距離として感覚できない。全てが数字というデータで物が存在しているから、常に不安定で、たとえばどこかの企業の倉庫のデータバンクはところどころ金属が禿げる様にして塗装が数字化しているという。

 そんな世界を、彼は生きてきた。人工知能(AI)という、脳の動作を真似ただけの存在、いわば、無意識の集合体(クラスタ)が詰め込まれただけの存在が、私の命令に従っていたわけだ。この世界を縦横無尽に、孤独に、生きていた彼が何故自我を持ちえたのだろう。それこそ、人間と情報と神秘の関わりに深く踏み込む問題であり、決して私なんかが理解する事など不可能だろう。いや、そもそも。私が彼に自我を持っている、と伝えた事によって、彼が自我を持っているような行動をとっているだけなのでは。それこそ、人工知能(AI)の行うもっとも効率のいい自我の理解の仕方では、とかなんとか考えているうちに、灰が服の上に落ちてきたので私は慌ててそれを払った。

《全ての部隊がソマリアへたどり着いた》

 右耳に上官殿の凛然とした声。私は彼との会話を切り、これからの作戦の事をただ静かに聞くことにした。もちろん、その作戦はとんでもなく重要な戦いになる事も分かっていたし、私にとっても重要な戦いにもなるかもしれなかったから。けれどそれ以上に、今は少し、彼の事から離れたかった。



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