電気さえつける事が億劫だと考えるような人間でも何かしら取り柄というものはあるもので、電気よりもPCを立ち上げる事を優先するところをみると自分は考える以上にPCに依存していると見える。とはいえ、それを生業にして生きていることもあり、常にPCが傍になければ自分が生きているのかどうかも分からない。そう思えるほどに私は今日の世界が作り上げた善意なる悪意を一身に浴びて、今日もまたこうしてPCの前に黒革のオフィスチェアに深々と座り込み、擦り切れてところどころ文字の消えたキーボードをせわしく叩いている。
フォートミード陸軍基地の地下施設の一室、明りはUSBメモリの青光り、このあまりにも質素な部屋に取り付けられたファンから漏れる蛍光灯の光、そして私の目の前にあるディスプレイの明りだけの場所に住んでいる。ファンから途切れ途切れの光が差し込む様子を見て、私はタバコ(ピース)を噛んだ。お気に入りのタバコだ。このタバコは日本製で、わざわざ日本から輸入してもらっているものだ。どうもアメリカのタバコは好きになれない。私はタバコ(ピース)にマッチを擦って火をつけ、最初の一口目を楽しんだ。両端カットのそれは突き抜けるようなきつさで私の頭に染み込んできた。吐き出した煙のように、私の思考も一瞬だけ真っ白になる。この瞬間が私は好きだ。何も描かれていないまっさらなキャンバスが目の前にあれば何か書き殴りたくなるように、自分の中に何か刺激を叩きつけたくなる。
叩きつけたくなるもの、自分の中に刻みつけたいもの。そいつがなんなのかは、はっきりとしないけれど、私は求めている。哀願しているし、懇願しているし、追求している。
《首尾はどうだ》
右耳に取り付けられたワイヤレスイヤホンから、音声解析ソフトが通信に混じるノイズをクリアし、音声ソフトがエレベーターガール顔負けの滑らかな口調で私に囁いてくれた。ちなみに声質は自分で調整できるので、男の声にでも女の声にでもできる。デフォルトであれば、男の声は男の声のまま、女の声は女の声のまま。声質も変える事ができ、男ならダンディーな声音から豪快な声音まで。女なら可愛い声音からセクシーな声音までよりどりみどりだ。ちなみに今の声の主は男であるが、私はあえて女性の声にしている。その真意は察してほしい。
「半分くらいかな」
私はタバコ(ピース)を見やりながら答えた。また一口含み、吐き出すとともに報告。
「喜べ上官殿、あと三分の一だ」
《貴様、ふざけるな》
透徹とした叱咤に私は笑った。冗談が通じない奴ほど冗談を言いたくなる性質なのだ。
《対侵入索敵プログラムの遮断が確認された。貴様、何をやっていた》
「御覧の通り。タバコ(ピース)をふかしていたわけだが」
と、おおっぴらに手を広げて見せる。この部屋は私の部屋ではなく、プライバシーの言葉はどこへやら、確認できているだけで五台の監視カメラに私の生活は覗かれ、至る所に盗聴器が隠されているのである。ドキュメンタリーでも作るのかい? と訊いてみた事がある。貴様はやるべき事をやれ、の一点張りだった時は腹を抱えて笑ったものだった。
《すぐに片付けろ。貴様の使い道のない息子が消える前にな》
といった風に、脅し文句にはちょっとしたユーモアをいれてくるあたりが憎らしい。私は笑いながら分かったよ、と上官殿に伝えながらタバコ(ピース)をもみ消した。
ウゥーン、というPCの排気音だけが響くようになった部屋にはそれはそれは高性能のコンピュータが私のために置かれていた。これでも、熱に弱いコンピュータのために冷房まで完備されていて、住み心地は見た目ほどに悪くはない。すこしばかり狭いのが難点だけれども。その狭い空間に上手く溶け込むようにして私は座り、『仕事』を始める。
「戦う理由は見つかったか? 相棒」
彼は、そう呼びかけてきた。PCの中でしか生きられない、存在。
「理由が見つかったら、お前とはおさらばなのかもしれないな」
「そいつぁ嬉しいね。子供が親から離れる時の心境ってのはこんなもんなんだろうよ」
「情報だけで判断するのは、まずいんじゃないか?」
「おいおい冗談。俺は情報の中に生きてんだぜ? 間違っても情報なんかにゃ踊らされねぇさ」
「親が悲しむって事は考えないのか?」
私は早速ソフトウェアを起動させ、国防総省へのハッキングを開始。パスワード認証をソフトウェアが引き抜いてきてパス、識別コードを偽装して、問題の場所へと穴をあけていく。
「さてな。相反する感情ってのは、どうにもまだ難しいのさ。それが、潜熱的な感情ほど、ね。言葉で表現はできる、が、それを感じる事は出来ない」
次々と流れ出てくる情報を、的確に読み取っていく。少しでも間違えれば時間を食われ、相手に先を越されてしまう。ソフトウェアが必要な記号をピックアップしていく。
「それが、君の限界か」
「おいおい、そんな冷たい事言うなよ。これでも成長しただろう? なんせ、相棒が与えてくれた自我だ」
相手が侵入しようとしている場所を特定する。その場へと通じる小路を即座に切り開いていく。無意識なままに私はキーボードを叩き続ける。
「……ああ、君の自我だ」
「信じられないか」
「そうじゃない」
「俺は嬉しいんだがね。こうして、相棒と喋ることが出来る」
やがて、相手の侵入プログラムを阻むための道づくりが完了した。
「おう、速い速い。おれぁまだ準備もできちゃいないってのに」
「準備も何も必要ないだろう」
と言って私は笑った。彼もまたククッと独特の笑い方をした。その声音は笑っていた。実際に彼も笑っていただろう。けれども、その笑いはあまりにも空虚すぎて、私はすぐに表情が消えてしまわないように努めた。
「じゃあ、行ちょっくら行ってくる。話の続きはまた今度」
はたして、この時に本当に彼が笑っていたのかは私にはわからない。私は怖くてたまらなかった。彼を笑顔で送り出すのはそれ故だ。私が笑っていれば彼も笑っているだろうと信じたかったからだ。彼の顔を見る事は出来ない。全ては音声だけだ。よく出来た合成音だとしても、そこに人の持つ意志から来る声音を感じ取ることはできない。だから、私は怖かった。彼という存在が怖かった。