透明人間3
「先生質問です」
柔らかい日差しが差し込む暖かい部屋…と言いたい所だけど生憎外の天気は雨。極端に寒くも無いため暖房はついてなく、時折冷たい風が足元を撫でていく。
ここは私の通う中学の近くに建つ図書館の学習室。
「このページの1問目から10問目が分かりません」
「…全部じゃねーかよ」
「じゃ全部わかんない」
「開きなおんじゃねェ」
その言葉と共に横からべしっと頭を叩かれた。
あ、今ので脳細胞いくつか死んだ。
恨みがましく隣の臨時教師(同級生)を睨めば、奴はそんな視線はあっさり無視して私の手元のプリント(三枚一組)を覗き込むと、「後五分真面目に考えろ」と宣った。
五分真面目に考えて答えが出るんならとっくの昔にでてるはずだ。
そう言えばまた叩かれる事は目に見えてわかるので、とりあえず考えるフリだけはしようと問題を読み始めた。あくまで読んでいるだけだけど。
けれど三問目辺りで早くも集中力が欠け始め、私は横で赤の他人のように本を読んでいる少年をちらりと盗み見た。
(っていいますか学習室は勉強するべき場所であって本を読む場所じゃないデスよ)
「…あのさぁ、高井出」
そうしてぼそぼそと話し掛ける。
学習室では勉強に関係ない私語禁止、が暗黙のルールである。だから小さい声で内緒話でもするように話せば。
「………」
あっさりと無視されました。
これあれですか、五分たつまで話し掛けるなって事ですか?
ああいいですよもう別に私一人で喋るから。
「…なんで今日私に付き合ってくれたの?」
外の天気は雨模様。
そして本日は日曜日。明日の月曜日の1時間目がこの課題の提出期限。二枚目と三枚目は見事に真っ白。一枚目は記号問題だったからなんとかなったけど、流石に一人で終わらせるのは無理だった。
なんとか泣きつける頭の良い友達はいないもんかと考えたら、真っ先に浮かんできたのが横にいるこいつで。電話で頼み込んだらあっさりと了承してくれたので今に至る、わけなんだけど。
考えてみたらこいつが友達のカテゴリに入るのかもわからない。私自身が友達と思ってるかどうかも謎だ。
ああそれにしても私って友達少ないわー。
隣の憎いあんちくしょうからの返答はやっぱりなく、その沈黙が私の今の考えに対する肯定のサインのように思えた。
ああどうせ私は根暗でいつも漫画読んでて付き合い悪いですよ、と自暴自棄になりながら5問目の問題文にシャーペンを突き刺す。
それから「5」という数字の下の丸っこい部分を黒く塗りつぶした。
ついでに隅っこに落書きしよう。
と思った途端、横から再度頭を叩かれる。
あ、また脳細胞が死んだ。今度こそ文句を言ってやろうと隣を睨みつければ、ものすごい顔をしてる人と目が合った。
これはそう、狂犬。狂犬の目。
今にも噛みつかれそうなあ(むしろ噛み殺されそうな)雰囲気に、私は小さく「スンマセン」と謝ると、消しゴムで黒く塗りつぶした所を黙々と消した。
「………先生に頼まれてんだよ」
おめーの事。
そろそろ五分過ぎようかと言う頃、やつがぼそりと呟いた。
こいつの先生という言葉で浮かぶ人間は一人しかいない。
小さい塾を開いている私の父。マイファザー。自慢の父である。
生徒さん達からの評判はなかなかいいらしく、家にまで訪ねてくる子が何人かいる。
こいつは小学生の頃にその塾に通っていたのだ。どうやら父さんを尊敬しているらしい。そもそもこいつと私が出会ったのは、間違いなく父経由だった。
小学生の頃の私といえば、既にブサイクという重たい言葉を心の奥深くに打ち込まれ、すっかり根暗な子供と化していた。そんな私を心配したのか、父さんが連れてきたのがこいつだった。それ以来、なんだかんだいいつつこうして今まで付き合ってくれている。
きっとこいつの父さんに対する思いは、尊敬というかもう崇拝レベルまでいってるのだろう。そうじゃなきゃこんな根暗な私なんかと中三の今まで付き合ってくれるわけがない。(中二の頃からサボり魔と化していたけど)
ここ数年の謎がようやく解明された。
というか今まで何度も質問してきたけれど、答えてくれたのは今日が初めてだった。
全部父さんに頼まれたせいか。そうかそうか。やっぱりね。
それで勉強教えてと頼めば付き合ってくれるし、屋上まで探しにきたりするし、なんだかんだいいつつ慰めてくれたりするわけだ。
あまりにも予想通りの答えすぎて、私は深く納得した。心が妙にスッキリしている。
それにしてもさすが私の自慢の父さん。今度の休みに肩でも揉んであげようじゃないか。
「あぁ、やっぱり。納得した。で、もう五分過ぎたから問題の解き方教えてよ」
私が軽くそう返すと、急に奴がばっと顔を上げて私を見た。少し困惑気味に眉根がよっている。非常に珍しい顔だ。彗星並の目撃率というとちょっと言いすぎだけど、まぁそのぐらい珍しいのだ。
奴はそのまま何かを言いたそうに口を開いた後、すぐに閉じた。そしてため息をひとつつくと、もうその表情はいつもどおりの顔に戻っていて。何事も無かったかのように机の上に本を置いて、私の顔をじっと(私は顔をじっと見られるのが大嫌いなので、すぐに顔をそらしたけれど)見つめてから、こう言った。
「お前やっぱり馬鹿だな」
聞きなれてるはずのその言葉が、何故か妙に心にずんときたなんて事は、私的七不思議として心の隅にひっそりとしまってしまおう。