【1-1】 remain
「……信吾。一つ聞きたいんだけど、いい?」
「…………」
問いかけられた人物、林崎信吾は何も答えない。その額からは夏の暑さと、持っている物の重さの所為か、大量の汗が流れている。
「なんで僕たちがあの二人の荷物まで持ってんの?」
問いかけた人物、風谷龍哉は両手に持った二人分の荷物を見ながら親友に言った。
「……それは」
「おっそーい! もっと速く歩け!!!」
信吾が口を開こうとした時、前方から叱責の声が響いた。
「「……はいはい」」
山道を二人分の荷物を持って登っていた為、龍哉も信吾も既に足が棒のようになっているのだが、叱責を飛ばした人物はそれを完全に無視してくれた。
「ファイト! もう少しで終わりだから!」
今度は激励の声が聞こえた。顔を上げる余裕すらないため断定は出来ないが、おそらくさっきの声の主とは違う人物だ。
「ハァ……頑張ろうか」
「…………」
∇∇∇
中継地点である広場のような場所に、到着と同時に龍哉と信吾は倒れこんだ。
「お疲れ。……大変だったみたいだね」
「当たり前だ」
「…………」
桐原由美が言った労いの言葉に対して、龍哉は即座に言葉を返した。
信吾は重症のようだ。言葉を発する気力さえ無いらしい。
「それに第一、どうして罰ゲームを僕まで受ける羽目になってんの?」
「しょうがないよ。男子ペアVS女子ペアだったんだから」
文句を言った龍哉に激励の声を出していたと思われる人物、高橋澪奈が諭すように言った。
「よし、そろそろ回復しただろうから、第二回、荷物持ちJKP大会しようか」
そう言って、立ち上がった由美の足元には物言わぬ信吾の屍が転がっている。
「信吾は死んでるし、今度は僕が代表だ」
「却下。相手に代表者を決める権利があるってルールを忘れたの?」
「……信吾が恐ろしいくらい弱いのに、僕らに勝ち目があるとでも?」
十回先に先取した方が勝ち、のルールで行った一回戦は、見てていっそすがすがしくなるほどだったのだ。
由美と澪奈はジャンケン最弱と名高い信吾を指名し、龍哉と信吾はとりあえず由美を指名した。
そして結果は、10-0で女子ペアの勝利に終わった。
「十連敗だよ!? 最初は無駄な優しさでワザと負けてるのかと思ったけど、いくらなんでも弱すぎ!」
「次は奇跡が起こって、一回くらいは勝つかもしれないじゃないの」
「一回勝っても、こっちの敗北には変わりないだろ!?」
「なんでジャンケンごときにそんなに必死になってるの?」
「荷物持ちの辛さを知らないからだ!」
「……男子が弱いのが悪いのよ」
「訂正願おうか。男子じゃない、信吾が弱いんだ。十連敗する確立は千二十四分の一だよ!?」
「……よく計算したわね」
「あのー二人とも? そろそろ止めといたほうがいいと思うよ。ほら、林崎君が……」
「「え? …………あ……」」
「……いいさいいさジャンケンが弱くたって生きていけるしそれにジャンケンってなにさ尖った石だったら紙なんて破れるし錆びたハサミじゃ厚紙は切れないだろむちゃくちゃだよ理不尽だこの世の悪だ存在価値なんかないんだ消えちゃえ消えちゃえ消えちゃえ」
先程まで由美の足元に転がっていた信吾は、いつの間にか隅のほうで地面にうずくまって『の』の字を書きながら。周りに黒いオーラが見えるのは龍哉たちの錯覚ではないかもしれない。
「これって――――」
「――――たぶん末期症状だ」
「……追い込んだのは風谷君と由美だけどね」
∇∇∇
その後、性格が破綻しかけた(した?)信吾を元の状態に戻すのに、龍哉たちはかなりの時間を費やした。
「まず目的を確認しよう。桐原の家にあった古い地図に描かれている『惑いの湖』の発見。だよな?」
龍哉たちは何も山に遊びに来た訳ではない。今時には珍しい、班での自由研究の課題を終わらせるために真夏の太陽の下、山歩きをしているのだ。
『テーマ何にする? 他の班のテーマと被りたくないし』
『……郷土史なんか調べても面白くないだろうな』
『そういえば昨日変な古い地図を蔵の整理中に見つけたんだけど』
『どんな地図?』
『なんか近くの山の地図で、『惑いの湖』って書いてあった』
『よし、決定。それを探しに行こう』
その時の班会議の様子である。
今思えば随分と短絡的だった。存在するかも分からない場所を探しに行くなど何故考えたのか分からない。
「で、地図に描かれている場所に行くには、ここから林を突っ切る必要がある」
龍哉が地図と方位磁針を見ながら指差した方向には、鬱蒼とした杉林が広がっているだけで、少なくとも舗装された道が無いことは断言できそうだ。
「簡単に迷いそうだな。龍哉も俺も方向音痴だし」
「言わないで。考えないようにしてるんだから」
「いざって時には怜奈を頼ればいいし。大丈夫だって」
「え? あたし?」
「だって澪奈以外のメンバーが全員方向音痴なんだもの」
「「「…………」」」
三人分の冷たい視線が由美に向けられたが、由美は涼しげな表情でそれをかわした。
「なんだかんだ言っててもしょうがないし、そろそろ行こうよ」
∇∇∇
「ウマイ! 空気がウマイぞ!」
「オッサンくさいよ、信吾」
暗い林の中を歩くのは炎天下の登山よりもかなり楽だ。特に龍哉と信吾は荷物が一人分なので、かなり余裕がある。
「ハァハァ……ゼェゼェ……フゥフゥ」
「大丈夫? 由美」
そんな二人とは対照的に由美はグロッキー状態に陥っていた。
「というより、高橋は平気みたいだな。確か帰宅部だったはずだけど……」
「あれ、知らないの? うちは武術の名門なんだよ」
「もしかして駅前にある武家屋敷みたいな道場か?」
「うん。自慢じゃないけど、うちはかなり有名な槍術の流派なの」
見た目だけでは人のなりは分からない、という事だろうか。下手をすると龍哉と信吾よりも、澪奈は運動能力が高いのかもしれない。
「そんなことより、桐原が死に掛けてるぞ。休憩しよう」
「目的地までもう少しだし、頑張ろうよ」
龍哉の言葉どおり数分で歩くだけで、地図に描かれている場所と思わしき所に着くと、杉林の中に小さな広場のような空間があった。広場の中心には、人が腰掛けるくらいの大きさの岩が鎮座している。
「やっぱ無いか……」
「湖どころか水溜りさえないね」
「ま、昔はあったのかもしれないし、元からあるなんて期待はしてなかっただろ?」
一応期待していたらしい龍哉と澪奈、信じていなかったらしい信吾の三人がそれぞれの感想を口にした。
「あれ、由美は?」
「そういえば……」
「桐原ならそこにいるけど、どうかしたのか?」
由美はいつの間にか中心の岩の上に腰掛けている。それを見た龍哉は何故か違和感を感じ、岩を凝視した。
「ん? どうし…………!!!」
「? …………!!!」
龍哉の変な様子に気づいた信吾と怜奈が龍哉の視線を追い、その異変を知った。
由美の座っている岩の下の方から黒く光り始めている。その光は徐々に岩の上の方へと上っていた。
「桐原! その岩から離れろ!」
「え? って、うわ!」
龍哉が警告を発したことにより、ようやく由美は異変に気づき立ち上り、慌てて岩から離れた。
「…………っ!」
由美が立ち上がった瞬間、岩全体が黒い不気味な光に覆われ、その光が強さを増したのと同時に龍哉は階段を一段踏み外したような浮遊感に襲われた。
龍哉が目を開けると周りの風景は激変していた。目の前には学校の校庭よりも広い青い水を湛えた湖が広がっている。まるで鏡のようなその湖面は、光を反射して光り輝いていた。
それだけではない。反対側の岸には、巨大な灰色の建物がそびえたっている。
「な…………」
驚愕に目を見開いた信吾が隣で言葉を失っている。
「……もしかしてこれが地図に描かれている『惑いの湖』なのか?」
「やたっ! だったら私たち凄い発見しちゃったんじゃない!?」
「……桐原。……僕たちは全然喜べるような状況に無いと思う」
「風谷君。それって元の場所に戻る方法のこと?」
澪奈はどうやら龍哉の言わんとする事が分かっているようだった。
「そう。あの変な岩の光でこの場所に来たのはいいけど、あの岩が見当たらないんだから、帰る方法も分からないってわけだろ?」
由美を初めとするメンバーの表情が龍哉の一言で蒼白になる。
「……ってことは、テレポートにせよ瞬間移動にせよ、それを使うことの出来る物を探さないといけないのか」
「それっぽいものなら、やっぱりアレよね……」
「あの変な建物のこと?」
「やっぱり……行ってみるしかないかな」
龍哉達は湖のほとりに沿って歩き出した。
どのように表現すればいいのか分からなくなるほど、その古い建物は遺跡と表現するにはあまりにも大きく、荘厳だった。
皆が沈黙する中、澪奈が言った。
「これ、遺跡って言うより神殿だよね」
等間隔に並んだ石の柱と、独特な屋根の形を見ていると澪奈の表現が一番適切なような気がしてくる。
「龍哉、どうするんだ? 中に入ってみるのか?」
「その為に来たんだろ? 行ってみようよ」
「中にトラップとかあったらどうするんだよ。俺らはただの中学生だぜ?」
どうやら信吾は少々不安らしい。付き合いの長い龍哉から見ればかなり珍しいことだ。
「それは無いと思うよ。だって神殿って神を祀るための神聖な場所でしょ? そんなところに危険な罠なんか仕掛けないよ」
この由美の意見には同意だと龍哉は思った。結局、「もし神を守る罠だったら……」とかなんとか言ってた信吾も含め、全員で神殿の中に入ることにした。
∇∇∇
神殿の内部は窓からしか光が入らない為か、薄暗くなっている。
「……正直言って、不気味だね」
「……これ作った人趣味悪すぎだろ?」
信吾が悪趣味だと評した両側の壁に並んだ、剣を両手に乗せた銅像と槍を両手に乗せた銅像は確かに神殿の中の暗さとも相まって、不気味な雰囲気をかもしだしている。
床にも龍のような絵や、怪物のような形の生き物が描かれているのも異様な雰囲気をより一層深めていた。
「ここに祀られてるのって悪魔とか邪神じゃないの?」
「あながち否定できないのが怖い」
そこら辺で黒い服着た人たちが悪魔召還やってても違和感は無さそうだ。
「……ニンニクと十字架持ってくれば良かった。あと、聖水も……」
「それは対ドラキュラ用アイテムだろ。ってか聖水って何処で手に入れるつもり?」
「そういえば、駅前でオカルトアイテムとして、二千五百円で売られてたよ」
「……マジで?」
二千五百円の聖水。効果はあるのだろうか。他愛も無い話をしていると、不意に由美が立ち止まった。
「……ねぇ、アレって何だと思う?」
「アレって?」
「ほら、そこでなんか光ってるやつ」
澪奈が指差した神殿の奥の台座には、小さな赤い石が置いてあった。
「危険臭プンプンだな」
「触った瞬間ドッカーンとか?」
「呪いがかかってるのかもね」
「……もしかしたら、アレかもしれないよ」
「「「は?」」」
龍哉の言葉に三人は「何が?」といった表情をした。
「だから、アレがさっきの岩と対になってるんじゃないかな」
「……可能性はあるよね」
「けど、誰が確かめに行くんだ?」
「「…………」」
信吾の問いかけで皆が沈黙して「僕が行くよ」――いなかった。
「龍哉。いいのか?」
「だってどうせ誰か行かないといけない訳だし、桐原と高橋に行かせるわけにも行かないだろ?」
「…………」
「じゃ、そういうことで」
台座の方に向かって龍哉は走り出した。
「え、今の死亡フラグってやつじゃない? 心配だから私も行ってくる!」
由美が遅れて駆け出すのを信吾と澪奈は呆然と見ていた。
∇∇∇
龍哉は改めて置かれている石を見た。遠くから見ても分からなかったが、近くで見るとそのまるで血のような赤色がはっきりと確認できた。台座の色が黒であるためか、よりいっそう邪悪な物に見える。
「……よしっ」
意を決した龍哉は一気に石を台座の上から掴み取った。
「……………………」
「……何も起こらないじゃん」
由美が龍哉の隣で言った。
「そりゃ爆発とか呪いとかが起こるよりはマシだけどさ。反応ナシってのもなあ……」
「怪しかったんだけどな、これ。やっぱり――――」
由美がそこまで言いかけたときだった。台座が大きな音を立てて崩れ去り、瓦礫の中から一つの影がゆらりと立ち上がった。
土煙がはれ、龍哉と由美はその奇怪な姿を目撃する事になった。
「嘘だろ……」
ライオンような頭、鋭く尖った爪。
そして緑の鱗に覆われた胴体。
その異形の怪物は、背中にはえる四枚の鳥の翼を羽ばたかせて宙に浮かんだ。
「風谷!」
呆然としていた龍哉は由美の声で我に返る。既に目の前には爪を振り上げる異形の姿があった。
周りの動きが遅くなる中、龍哉は必死で爪を避けようと思いっきり横に転がった。
「くっ!」
直撃は免れたようだが、当たりはしたようで龍哉の右肩に激痛が走った。切り裂かれた服からは血が滲み出している。
異形は振り抜いた爪を再び振り上げ、龍哉に向かって真っ直ぐに振り下ろしてきた。
立ち上がろうとするが、避けられそうに無い。死を覚悟し目を閉じたその時、衝撃の変わりに、鈍い金属音が響いた。
「っつ!……ほら、早く立って!」
長い黒髪を振り乱した澪奈が、銅像が持っていた槍で振り下ろされた異形の爪を受け止めていた。
「ありがとう。助かったよ」
「礼はいいから早く……!」
異形が左手の爪を澪奈に振り下ろす。
澪奈は後ろに跳んで槍の先でその爪を弾くと、続けざまに異形の胸目がけて突きを放つ。
それを避け、異形は羽ばたき距離を取った。
澪奈が追撃を試みるが、異形は空中で向きを変え、由美の方を向いた。
「ひっ…………」
由美は恐怖からかその場に座り込んでしまう。
澪奈が異形を追うが、由美に襲い掛かる異形の方が速い。
「うらああぁぁぁ!」
龍哉は右肩の焼け付くような痛みに耐えながらも、近くにあった銅像の剣を引っ掴むと全力で異形に向かって投げた。
投げられた銅剣は回転しながら異形へ一直線に飛び、その背中を勢いよく貫く。
異形は一瞬動きを止めたかと思うと、剣が刺さった場所から空間に溶け込むように消えていき、剣が床に落ちて鈍い音を響かせた。
「あれ? 終わった? って、肩から血が出てるぞ!?」
「……何してたんだよ信吾」
台座のところに来た信吾に対する龍哉の声には、ドスがきいていた。
「い、いや、他にも何か無いかなって調べてたらいつの間にか高橋の姿が無くて、龍哉の雄叫びを聞いてこっちに急いで来たんだけど……ごめん」
「まぁみんな助かったからいいじゃないの。風谷君。由美を連れてきてくれる?」
「……分かった」
龍哉はまだ文句が言い足りないようだったが、しぶしぶ澪奈の意見に従った。
∇∇∇
「大丈夫か? 桐原」
「……うん。ありがとう」
龍哉は由美に手を差し伸べた。少し照れ臭い様な気もするが、今はそんなことを言ってられる状況ではない。
由美がその手を握り立ち上がろうとした時、龍哉が手に持っていた赤い石が眩いばかりの光を放った。
「見て! 床が!」
足元を見ると床には無数の文字のようなものが浮かび、一つの円を作り上げていた。
「どうしたの!?」
「龍哉! 今度は何だ? 魔法陣か!?」
信吾と澪奈も駆けつけてきたようだ。
信吾の表現を使用するなら、魔法陣から生み出された光の球が神殿の内部に満ちていく。
四人はその幻想的な光景を逃げることさえも忘れて眺めていた。
光の球はやがて中央に集まり一つの太陽のようになった。
あまりの光量に目を瞑ってしまう。
その時だった。不意に床が消えたのは。
下に体が引っ張られる。重力に従って体が落ちていく。
龍哉は繋がれたままの由美の温かい手を感じながら、奈落の底へと落ちるような感覚を味わった。
意識が薄れ、そのまま龍哉の意識は闇に包まれた。