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第8話:ひとりじゃない

 夕方、通学路の先にある小さな公園の前で、結衣はふと足を止めた。

 住宅街の中にぽつんとあるその場所は、いつもの帰り道に何度も通り過ぎてきたはずなのに、今日はなぜか違って見えた。空気の温度も、風のにおいも、ほんの少しだけ心を揺らすように。


 ふと視線を向けた先――ベンチのそばに、康太の姿があった。

 そして、その掌の上に、小さな光が乗っているのが見えた。


「……エレナは、元気?」


 康太が振り返った。驚いたように目を見開いたが、その表情はすぐに和らぎ、わずかに微笑を浮かべる。

 夕陽に染まるその掌の上には、淡く輝く小さな光。人のかたちをして、儚げに、けれど確かにそこにいた。


 結衣はゆっくりと歩み寄り、しゃがみ込むようにしてその小さな存在と視線を合わせた。

 風がスカートの裾を揺らし、木々のざわめきが静かに彼女たちを包む。


「こうやって、ちゃんと見るのは……初めてかも。でも、今ははっきり見える」


 そう言った結衣の声には、どこか確信のようなものがあった。

 見える。聞こえる。いま、自分は確かにその存在と繋がっている――そんな実感があった。


「……結衣、ありがとう」


 エレナの声が、ふわりと空気に溶ける。

 その言葉は、今まで届かなかったはずの結衣の胸にも、まっすぐに届いていた。


「うん。康太の想いが本物なら、私にもちゃんと見えるよ。だって、あいつはひとりじゃないんだから」


 結衣は微笑んだ。その声には、迷いのない優しさがあった。

 まるで、ずっと昔からこの瞬間を待っていたかのように。


 康太は驚いた。結衣がこんなふうに自分のことを理解してくれていたなんて。

 でも結衣は、言葉にしなくても分かってくれていたのだ。


「ほんとに……優しい人だね、結衣は」


 エレナが微笑んだ。その小さな声には、温かさと感謝が入り混じっていた。


「私はきっと、康太だけじゃなくて、あなたにも支えられてたんだと思う」


「……そんなこと、ないよ」


 結衣は視線を伏せた。かすかに笑みを浮かべながらも、どこか寂しげだった。


「私、自分が何もできなかったこと、ずっと気にしてた。康太が何かを抱えてるのに、気づいてたのに――それなのに、何もできなかった」


 結衣の声には迷いがなかった。

 だが、その言葉の奥底には、康太が抱えるものを理解し、支えたいと願いながらも、それが叶わなかった自分への静かな自責の痛みが滲んでいた。


 けれど、エレナはそっと首を横に振る。


「それでも、気づいてくれていた。それだけで、十分だったよ」


 さらに静かな声で続ける。


「それに、先生も教えてくれたし、気づいてくれていたの知っているよ」


 その一言に、結衣の肩がほんの少しだけ緩んだ。

 何かが、確かに癒えていく――そんな気がした。


 康太は、ふたりのやり取りを黙って見守っていた。

 その胸の奥に、静かに灯るものがあった。


 いままで、自分はずっと、ひとりでエレナを支えていると思っていた。

 彼女の存在も、別れの痛みも、すべて背負うのは自分だけだと――そう思い込んでいた。


 でも、違ったのだ。


 結衣のまなざし、言葉、そしてそこに宿る想いと願いが、それを教えてくれた。

 自分はもう、ひとりじゃない。


 エレナの想いは、きっと自分ひとりのものではない。

 結衣の中にも、確かに同じ想いがあった。


 彼女が言った”見えるよ”という言葉には、ただの共感ではない、深い理解があった。

 見ようとしたから、見えた。想おうとしたから、届いた。


 ”想い”と”願い”は、誰かに伝えることで強くなる。

 重なって、形になる――そうして、繋がっていくのだ。


 康太は、静かに目を閉じた。

 耳を澄ませば、風の音が遠くで鳴っていた。

 夕陽は沈みかけ、最後の光を差し込んでいる。


 ――ようやく彼は、”別れ”に向き合う覚悟を持ちはじめたのだった。


 それは、決して悲しみだけではなかった。

 繋がりを信じること。その先に続いていく誰かの心を信じること。

 それが、“想い”と“願い”を引き継いでいくということなのだと、康太は少しだけ理解した。


 エレナは、康太の掌の上でそっと頷いた。

 そして、結衣にもまた、小さく微笑みかける。


「ありがとう、結衣。きっと、あなたにも見えていた……私の中にある、あの日の光が」


「うん。見えてた。……きっとずっと、前から」


 結衣は、それ以上は何も言わなかった。

 ただ一歩だけ近づいて、小さなエレナの姿を両手で包み込むように見つめた。


 その眼差しには、確かな実感が宿っていた。

 “今ここにいる”という事実を、受け止めるように。


 沈黙が、三人のあいだにやさしく流れる。

 けれど、それはもう重苦しいものではなかった。


 街灯がひとつ、またひとつと灯りはじめる。日常の音が静かに響く中で、三人だけの特別な時間が流れていた。


 康太が、ぽつりと呟いた。


「……ありがとう。ふたりとも、ありがとう」


 その言葉は、空へと静かに溶けていった。


 空はすでに、夜の色を帯びはじめていた。

 けれどその中に、確かに灯る光があった。


 それは、ひとりでは生まれない光。

 誰かと繋がっているからこそ、見える光――想いが重なって生まれた、ささやかであたたかな光だった。

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