表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/11

第6話:妖精伝承

 翌日の放課後、康太と結衣は静かな決意を胸に、学校の職員室の扉を叩いた。

 声をかけたのは、社会科を担当する香月先生。飄々とした口調とは裏腹に、彼は深い知識を持つ教師で、大学時代には民俗学を専攻していたという噂があった。


 実は、康太はエレナの姿が見えた結衣に相談していた。

 香月先生に話せば、何かヒントが得られるかもしれない――そう、結衣が教えてくれたのだ。


「香月先生、少し……お時間、いただけますか?」


 机に向かっていた先生が顔を上げ、眼鏡の奥から康太と結衣を見つめた。

 彼は静かに頷き、机の書類を脇へ寄せると、椅子を引いて康太に座るよう促した。


「どうした? 珍しいな、二人ともそんな真剣な顔をして来るなんて」


「……妖精について、聞きたいことがあって」


「妖精?」


 香月先生は少し驚いたように眉を上げた。


「ずいぶんとロマンチックな題材だな」


 結衣は一瞬だけためらい、それから覚悟を決めたように言葉を紡いだ。


「ちょっと……物語を書き始めてて……だけど、ただの作り話じゃなくて、ちゃんと意味のあるものにしたくて……」


「なるほど、創作のためのリサーチか。偉い偉い、真面目だね」


 香月先生は微笑みながらも、どこか真剣なまなざしで康太を見つめた。


「でも……」


 康太は声を潜めて続けた。


「本当にいるっていうか、いたとして、それがどういう存在なのか、知りたくなったんです」


 先生は一瞬考えるように視線を泳がせ、それからコトリと背もたれに体を預けた。


「妖精というのはね、昔からただの空想だとは限らないとされてきた。民俗学の視点から見ると、妖精は“人の想い”に呼応して現れる存在なんだ」


 康太は思わず、制服の胸ポケットに視線を落とした。そこには、小さくなったエレナが、じっと身を潜めている。

 布の奥で、彼女のぬくもりをほんのわずかに感じた。


「想いって……どういうものなんですか?」


「誰かを大切に思う気持ち。守りたいと願うこと。そういった強くて純粋な感情が、かたちを持ち、時に妖精としてこの世界に現れる……。そう信じられてきた。ある学者は、それを“想いのかたち”と呼んでいたよ」


 香月先生は、引き出しから一冊の本を取り出した。革表紙の分厚い研究書だ。ページをめくると、光のような翅を持つ存在の絵が現れた。


「この翅を見てごらん。妖精の翅はね、その“想い”の純度や強さを象徴すると言われている。想いが揺らげば、翅は薄れ、やがて消えることもある……」


 その一言に、康太の胸が一瞬、痛んだ。

 エレナの翅。今の彼女の背には、かつてのような光の翅はなかった。


「……もし、その“想い”が、もういない人のものだったら?」


 香月先生は一瞬だけ目を伏せ、少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「それでもね、想いは不思議なものだよ。たとえ持ち主がこの世界にいなくなっても、誰かに引き継がれることで、その存在は消えずに残るかもしれない。そして、まったく別の誰かが、その想いに共鳴して……新たな意味を与えることもある」


「共鳴……?」


「うん。たとえば君が、誰かの想いに気づいて、その気持ちを受け止めたとしたら、それはもう、君自身の中に“かたち”として宿るんだ。想いって、そうやって繋がっていくんだよ」


 康太は黙って頷いた。その言葉が、じわじわと心の奥に沁みこんでいくのを感じた。

 もしかしたら――自分は、エレナの“意味”になれるのかもしれない。翅を失ってなお、彼女が今ここにいるならば、自分の想いでその存在を支えることができるのかもしれない。


「……香月先生は、そういう妖精を見たことありますか?」


 結衣が思いつくままに尋ねた。

 その問いに、香月先生はちょっとだけ視線を遠くへやった。


「さあ、どうだろうな。でも、ふとしたときに感じることはあるよ。風の匂いが変わるとか、誰もいないはずの場所で温もりを感じるとか……。それが“想いの気配”なんだろうと思ってる」


「……それ、わかる気がします」


 康太の声は、ほんの少し震えていた。


 職員室を出るころには、夕陽が廊下を赤く染めていた。

 窓ガラスに反射する夕陽の中で、康太はそっとポケットに触れた。

 その中で、エレナがぴくりと動いた。


「ねぇ、康太。さっきの先生……面白い人ね」


 制服越しに聞こえる声は小さくて、かすかに震えていた。

 康太はくすっと笑って、廊下を歩きながらそっとささやいた。


「そうだね。でも、僕も少し……元気をもらえたかも」


「“想いのかたち”って、あれ……本当にあるのかな」


 エレナの声が、ほんの少しだけ泣きそうに揺れる。


「あるよ、きっと。だって、君はここにいる」


「……でも、私の翅はもう……」


 康太は立ち止まり、ポケットの布越しに手をそっと当てた。まるで小さな宝物を包むように。


「それでも、僕にはエレナが見えるよ。声も届く。ぬくもりだって、ちゃんとある。それに……」


 そう言いながら、康太は隣に歩く結衣へと視線を向けた。


「結衣にも、エレナは見えてるんだ」


 結衣には、エレナの姿が淡い光のように映っている。

 ただし、声も、表情も、まだ届かない。

 それでも彼女は、確かにそこに“何か”がいると感じ取っているのだ。


「……私、まだここにいられるのかな」


「もちろんだよ」


 康太の答えには、ためらいはなかった。

 ふいに、胸元からかすかに光がにじんだ気がして、エレナの声が優しく返ってきた。


「ありがとう」


 それは、康太と結衣、ふたりに向けた感謝の言葉だった。


 隣を歩く結衣が、そっと尋ねる。


「エレナ、なんて言ってるの?」


 康太は微笑んで、短く答えた。


「ありがとう、だって」


 そのとき、ふと風が吹いて、木々のざわめきの中に、かすかな鈴の音のような響きが混ざったように思えた。


 帰り道、康太はポケットの中に小さな存在を感じながら、ゆっくりと歩き出した。

 結衣はそれを優しく見つめている。


 自分の足では歩いていないけれど――康太と結衣の歩幅が、まるで自分の想いを受け取ってくれているように、ぴったりと重なっているのを、エレナは感じていた。


 それは、確かに三人の“想い”が共鳴した証だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ