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第1話:見えない友達

Jungle Smileさんの「片思い」、「抱きしめたい」という歌詞をそれぞれの登場人物に当てはめるイメージで作成しました。

 放課後の風が、頬をかすめて通り過ぎた。冷たさは、心の奥にまで染み込むようだった。

 真冬の歩道の片隅には、雨に濡れたままの落ち葉が、踏まれるのを待つように横たわっていた。


 佐藤康太は、制服の襟を軽く立て、通学カバンを肩にかけながら歩いていた。駅へ向かう生徒たちの流れには加わらず、ひとり別の道を選ぶように、ゆるやかな坂を下りていく。目指すのは、小さな住宅街の一角にある公園だった。


 それは、彼にとっての”逃げ場所”だ。

 放課後の時間帯、この公園はいつもひっそりとしている。訪れる人影もまばらで、誰にも干渉されない静けさが、康太にとっては救いだった。

 彼は、すでに何度も腰を下ろしたことのある古びたベンチに、ため息まじりに体を預ける。カバンの中から、一冊の文庫本を取り出した。表紙の角はすっかり丸くなっていて、何度も読み返したことがわかる。活字の配置も、どのページにどんなセリフがあるかも、ほとんど覚えてしまっているくらいだった。


 だが、今日の彼は、その本の内容に心を寄せることができなかった。ページをめくりながら視線を落とす。けれど、文字は頭に入ってこない。目で追っているだけで、内容は霧の中に消えていく。ページは、開いたまま何分も止まったままだった。


(なんで、こんなに……疲れてるんだろ)


 目の奥がじんわりと痛むような感覚に、康太はそっと本を閉じた。

 その音さえも、やけに大きく響くように感じた。


 遠くで犬の鳴き声が聞こえる。枝の重なり合う木々が、風に揺られてささやき合っている。カラスの羽ばたく音、どこかの家から漏れてくるピアノの練習音、誰かの笑い声――そんな自然の音に混じって、確かに、別の音が聞こえた気がした。


「……さむいなぁ……」


 康太ははっとして顔を上げた。誰か、今、話した? あたりを見渡す。

 公園には誰もいない。ベンチも、遊具も、木立の隙間も、全て見慣れた静けさの中にあった。


(気のせいか……?)


 風が何かに当たった音か、それとも疲れているせいで幻聴でも聞こえたのかもしれない。そう思おうとした――その時だった。


「……ここ……みつけた……」


 今度は、はっきりと聞こえた。耳元で囁くような、けれど確かに外から届いた声。

 康太は思わず息を止めた。動けなかった。目だけが、自然と自分の膝の上へと向かっていく。


 ――そして、そこにいた。


 ほんの数十センチほどの、小さな”何か”が、すくっと立っていた。

 透き通るような白い肌に、淡い銀色の髪。ワンペースのような白い衣装。その大きさは、まるで妖精のようだった。


 だが、その背中には、あるはずのものがなかった。


 翅――透明で美しい羽根があるべき場所は、ぽっかりと空白だった。そこにあるのは、風がそのまま通り抜けてしまう、何もない空間。


「……君、誰?」


 康太は、我に返るようにそう声を発していた。まるで夢を見ているような、ぼんやりとした意識の中だった。幻覚だろうか。それとも、心のどこかが壊れてしまったのだろうか。


 少女はきょとんとした顔で康太を見上げ、そっと首をかしげた。


「君こそ、誰? 人間の子だよね?」


 康太は、思わず笑ってしまった。


「うん、人間の子。……一応、ね。高校生」


 少女は首をかしげながら、さらに質問してくる。


「こうこうせい……って、えっと、大人?」


「まあ、半分くらい、かな」


「ふうん……不思議なにおいがする」


 康太は目を瞬いた。


「におい?」


 少女は、そっと康太に顔を近づけるようにして、囁いた。


「心のにおい。ちょっと、さみしいけど、やさしい」


 小さな少女はふわりと微笑んだ。その笑みは、ほんの少し寂しさをたたえていた。


「エレナ……私は、エレナ。翅のない妖精、だよ」


 その声は、小鳥のさえずりのように柔らかく、けれど不思議と心の奥にまで届くような、芯のある響きだった。


「妖精……って、本当に?」


「うん。たぶん、そう。でも、今は翅がないから……」


 彼女は、ちらりと自分の背中に目をやった。そこにはやはり、なにもなかった。


「昔はあったの。でも、気がついたら……なくなってた」


「どうして?」


「わからない。でも、翅がないと、帰れないの」


「……ここに、ずっといたの?」


 康太の声が、ほんの少しだけ震えた。彼女の言葉のひとつひとつが、胸に静かに沈んでいく。


「うん。ずっと。でも誰も、私のこと見えなかった。声も、届かなかった。……君だけが、聞いてくれたよ」


 彼女の目が、かすかに潤んでいたように見えた。孤独に耐えてきた時間が、わずかにその表情に滲んでいた。

 しばしの沈黙があったあと、康太はそっと問いかける。


「ねえ、エレナ……その、怖くなかった?」


 エレナは少しだけ考えてから、かすかに首を横に振る。


「怖くはなかったよ。でも……さみしかった。すごく」


「誰にも気づいてもらえないって……きついよな」


 康太の声には、無意識の共鳴が混じっていた。彼自身が感じていた孤独と、どこかで重なっていた。


「でも、今は――君がいるから」


 エレナは、ほんのわずかに微笑んだ。その笑みは、どこか壊れそうなほど繊細で、けれど、確かに生きていた。


 康太はゆっくりと息を吸い、吐いた。

 自分はおかしくなったんじゃない。これは――現実なんだ。そう思いたかった。


「俺は康太。……寒いんだろ。うち、来るか?」


 自分でも驚くほど、自然にその言葉が口をついて出た。まるで最初からそうすることが決まっていたように。


 エレナは、ぱちぱちとまばたきをして、それから、そっと頷いた。


「……いいの?」


「もちろん。君がよかったら、だけど」


「……あったかいとこ、ひさしぶり」


 エレナは、ふわりと宙に浮かんだ。まるで翅の代わりに空気に乗るようにして、康太の胸元へと飛び込む。


 康太は制服の胸ポケットをそっと開いた。エレナはちいさく体を折りたたんで、その中にすっぽりと収まった。


「……くすぐったい?」


「いや、平気」


「……よかった」


 その一言に、康太の胸が少し温かくなった。彼女の声は、小さく、けれど確かに彼の心に届いていた。


 ポケットの中から、くぐもった声が聞こえた。


「ねぇ、康太」


「ん?」


「人間って……いつも、さみしいの?」


 その問いに、康太は少しだけ笑って、そして空を見上げた。


「さみしくないふりは、得意かもな。でも……たまに、本当にだれかに気づいてほしいって思うよ」


「ふり、かぁ……」


 エレナはその言葉を小さく繰り返すように、胸元で呟いた。


「私も、ずっと”大丈夫なふり”してた。誰も見てないのに、笑ってたんだよ?」


「それ……なんか、わかるかも」


 ふたりの間に、ささやかな共感が静かに芽吹いていく。


 康太は文庫本をカバンに戻し、立ち上がった。冬の風がまた、頬をなでていく。

 夕焼けは、街並みに長い影を落としながら、静かに今日という一日を包み込んでいく。


 帰り道の途中、胸のあたりがほんのりと温かく感じられた。まるで――


 心にぽつんと灯った、小さな光のように。

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