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③キャラを作ろう

中身のある作品には中身のあるキャラが欠かせない。


物語においてかなりの比重を占めるのがキャラだ。

ストーリーがどれだけ面白そうでもキャラが凡庸だったり不快であると一気に作品はつまらないものに成り下がる。

ストーリーは単調でもキャラがイキイキとしている作品の方がウケが良かったり面白かったりする。

それだけキャラは重要である。


人気のあるキャラとは何か

・強烈な個性を持っている

・行動に一貫性がある

・意外性がある

・トリックスター的な側面がある

・頭がいい

・聖人

・もともと受け入れられる属性を持っている


受け入れられる属性とはテンプレとして既に確立されている要素でもある。

金髪ヒロイン、ツンデレ、金持ち、王族、イケメン、などなど

何万回と使い尽くされた定型でありパターン化されたもの。

いわゆるステレオタイプや先入観に近いものといっていい。

これらのステレオタイプに読者が求めているものは自分や身の回りにない非現実性や優れた才能、エンタメ的な魅力である。


それらは自分にできなかったことを可能にしてくれるものであり、特にゲームであればわかりやすい最強やチートに憧れるのが一般的である。

普通の作品では見られない成長の過程をすっ飛ばした状態、あるいは作品が終わりを迎えてからもう一度初めに戻る状態。

ある程度蓄えた自分の力やノウハウを活かし、楽々と難所を超えていく所謂「無双」というもの。

普通の作品ではできないことや、自分の身の回りにない目新しさ、爽快感などを目的として読者は作品を読んでいる。

だから最強キャラへの憧れや、最強キャラ同士のドリームマッチを切望している。

追放系ならば役立たずだと捨てられ、不幸になったキャラが持ち前の能力でどんどんとチャンスを掴みものにして幸せになっていき、自分を捨てたものたちをぎゃふんと言わせること。

こちらは日々の鬱憤などを作品で置き換えて共感し、できなかったことを楽しむという目的もあるだろう。


いずれにしてもまだ見ぬ新しい可能性や好奇心を揺るがすもの、不可能を可能にする夢のあるもの

退屈な日常を変えさせてくれるような冒険を求めているのである。

だから創作において度々「こんなやついねぇよ」と言われることがあるが、そんなものは当たり前なのだ。

読者はその非現実性を求めて創作物を見ているのだからそこに我々読者や作者側の現実世界の理論などを当てはめてどうこう言う方がおかしいのだ。

だが、こうした言葉が飛び交う理由は「中途半端にリアルの領域に片足突っ込んでいる」というものがあるだろう。

たとえば現代もの、現代の科学などを用いて生活するもの、恋愛やハーレムについて、である。

ハーレムであれば特にこんな優しくされたくらいで落ちる女はいない=あり得ない。というものであり、そのキャラがあまりにも現実離れし過ぎて共感できない、冷めた、というのをそういう形で意見しているのだ。

いくら創作といえどもあまりにも非現実的過ぎる描き方をしてはならない。

その非現実的ってなんなのか、というと

わかりやすい言葉で書くと

「作者の都合や意思」だ。


「このキャラは今こんなキャラに惚れています」

「なぜ惚れているのかは相手が主人公だからです」

「このキャラの未来はこの先こうなります。なぜなら私がそう決めたからです」


といった具合の制作者の都合や意思が見え見えの作品

それがリアルさの欠ける……というよりただ単に白ける作品というわけだ。

まずは作者の思い通りになったり、人形劇にしたりしないこと。

作家のいいなり・操り人形にしない。

読者に深い共感や理解を得られるキャラというのは得てしてみんな「そのキャラがそう思った背景や事情がしっかりと存在し、それは十分に理解できるものだから」である。


信念に一貫性がある。

それが読者にとって心地の良いものであること。

それが重要なのだ。


読者にとって心地よいものというのが読者に新しい世界を提供してくれるもの、

理想を叶えてくれる非現実性

それでいて不自然さのないもの。


作られたものでありながら作られていないように感じるものだ。


これが一番難しい。

プロの作品でさえこれが出来ているものは少ない。


安易にテンプレに従えば「オリジナリティがない」と言われ、

全てに逆張りして自分らしさを全開にすれば「作者の意図や顔が透けて見える」と言われ、

結局どうやってもケチがつけられるようになってしまう

という状態に陥りやすい。


コレに対する対抗策は

「正確な客観視を養う」とともに

「作り手の意識を全面に出しすぎない」ことと

「作り手の都合でコロコロ設定を変えない」ことが重要だと思われる。


要するにこれも基本と同じ

最初からしっかりと充分に作り込んでおけよ、ということなのだ。

初めから終わりまでしっかり作っておけば道中でキャラがブレることもない。

最後がない作品はキャラのあり方が作者の描きたい方向に歪んでいき、どんどん別物になっていく。

明確な着地点が決められていないからだ。


まずは最初から終わりまでしっかりと作り込んだうえで、自分が正確な読者としての目を持って作品と向き合う必要がある。


そこには作り手の愛が邪魔することがあるかもしれない。

必死こいて考えて生み出したキャラには、読者にはわからなくても作者の頭の中にはまだ見ぬストーリーやキャラを好きになれる要素、家族関係などがあるかもしれない。


しかしそんなものは捨てよう。

物語の中におけるそのキャラの描写が全てだ。

そこが肝心だ。


まとめるとキャラ作りや物語において必要なのは

・作り手の存在が前に出るようないわゆる現実を意識させる「冷める」ものにしないこと

ex)ご都合主義、コロコロ変わる設定、最強などなど

創作におけるリアリティの無さ

・それでいて退屈な現実を忘れさせてくれるような非現実性――エンタメ性があると良い

その作品/キャラを見ることで読者には何が得られるのか。どんな快感があるか、どんな目的があってそれを提供しているのか、筋の通った答えを必ず用意する。

その作品やキャラの魅力を言葉で説明する

ここに自分が伝えたいテーマと絡められるとなお良い。

・それに気づくことができる客観性を養うこと

自分が何の情報も与えられていない読者の立場でコレを見た時どう思うのか、誤魔化さずに分析する

自分にだけ受けていても話にならない。まず読者が前提にあること。


ことだろう。

無論こんなものを正確に考えまくっていてはいつまでも作品は完成しないと思うだろう。

だが、自分が中途半端に納得していたり、課題を先延ばしにして見切り発車で取り組んだ作品は断言してもいいが絶対に長続きすることはない。

必ずどこかで詰まる。必ずどこかで作者の「書きたくない時間」「作者にとって楽しくない・都合の良くない展開」が訪れる。


そうなると筆は止まる。次、新しい物語を書こうという気にならない。

あるいは再開したとしてもそれは決して当初考えられていたものではなく、ブレブレのものになる。


そんなものを残すくらいならしっかりと発表前に推敲して作り直す時間に当てた方がいいだろう。


ためるだけためて公開しないのはダメだが、するなら徹底的に。


遠回りのように見えてもそれがいちばんの近道だ。

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