①「小説」を書こう。
このような作品を見たことないだろうか。
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アレフ「すぐに片付けてやるぜ・・・!!!『龍殺皇絶斬』!!」
カオスドラゴン「グギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!」
ドカーン!!
アレフの強烈な一撃が炸裂し、ドラゴンを倒した。
マリア「やったわね!アレフ!!!」
アレフ「マリア・・・!ああっ!」
天の声「こうしてアレフたちは世界に巣食う悪の龍を打ち倒した。その後、アレフとマリアはなんだかんだ良い感じの仲になり子供が生まれた。」
------10年後-----
アレフ「おいマリア。」
マリア「?」
アレフ「旦那様に『行ってらっしゃい』のチューだろ?」
マリア「・・・!!そ、そんな・・・///」
アレフ「?なに恥ずかしがってんだよ。オレたちもう夫婦なんだぜ?」
マリア「で・・・・ですが・・・///」
アレフ「良いからホラ、、、。」
マリア「あっ・・・////(顔を赤くしながらアレフと抱き合い、キスをする)」
作者「やれやれ、こいつらときたら全く自重しないんだから(^^;。あ、ともかくこれで物語は終了でーすw次回以降更新はしないんでヨロシク!(?)」
――――――――――
さて、諸君らは一体どれだけの間違いに気がついただろうか。
「いや間違いだというなら全てが間違いだろう」
「読んでいてえもいわれぬ吐き気に襲われた」
「こんなに酷い作品には出会ったことなどない」
諸君らが言わんとせんことはよく理解できる。
しかしながら悲しいことにこのような人によっては黒歴史同然となってしまう作品も世の中には存在する。
そして当然のことながらこの作品に強い違和感や嫌悪感などを感じた読者は即座にブラウザバックしてしまうのだ。
その後受けた傷を癒すため、再び無数の作品の海へと身を投じていく。
これはあまりにも損をしている、と言わざるを得ない。
そもそもなぜ作者はこのような作風でOKだと思ってしまったのか。
それはまず
①小説の書き方を知らない
というのと
②他のサイトではこのような書き方がウケている・いた
からという二つの理由がある。
①に関して解決方法は簡単だ。小説を見て書けば良いのだから。しかし②に該当する場合は少々危険だ。
小説家になろうサイトはそのようなサイト群と異なり、きちんとした形の小説が多い本格的なサイトである。
多くのアニメ化された作品の原作小説などは皆一様にしっかりとした文章が刻み込まれている。
このような書き方が受けたり、そのような作風が好まれるのは某お絵描きサイトなどに投稿される夢小説やなんでもありなクロスオーバー作風の影響だろう。
あちらでは誰が喋っているか区別を付けるために今現在喋っているキャラの前に名前を充てたり、台詞回しが多めで詳細な描写を省くことが多い。
にもかかわらず一定の需要があったりする。
が、そのノリをこのサイトに持ち込んでも同じように上手くいくはずがないのだ。
それは読者層も違えば投稿されている作品群も全く違うからだ。
ではどのように矯正してやろうか。
以下簡単に記しておく
まず上記お目汚しの修正点として挙げられるのが
❶人物の前に名前を書くな
ということである。
「いや、そうしないと今誰が何を喋っているか文だけだと区別がつかないから……」
とかそういう配慮で作者が意図的に入れているものなのであろう。
だがそれははっきりと言って無駄な配慮だ。
読者はきちんと前後の文脈や地の文などから「彼は誰のセリフで、今誰が喋っているのか」といった状況などを読み解く。
そもそも小説作品自体がそういうスタイルになっている。それが読者が作品を読む上での楽しみでもあるわけだ。
誰が何を喋っているのかわかりやすくする、というのは一周回って物語を読み進める上での邪魔な要素『ノイズ』となってしまうのだ。
むしろそれは作者自身が「私は今どのキャラが喋っているのか文章だけだと区別が付けられません」と宣言しているようなものなのだ。それではいかん。
しかし男らしいキャラは口調がみんな同じになってしまい、女らしいキャラも明確に区別がつけられない、という人もいるだろう。
そこで役立つのがキャラの個性付けだ。
たとえば作品を作る前から事前にある程度どんな口調にするのか分けておく、というのも一つの手だ。
アイク:無愛想でぶっきらぼうな若者。話にあまり参加しない。何か喋る時はほとんど短い言葉で切り捨てる。
このような設定をキャラに与え、これを主人公のみと設定したら以降はこれを貫き通し、そして似たようなキャラを決して作らないこと。
これで大分今誰が喋っているのか分かりやすくなっただろう。
他に男キャラはいても、他に若者キャラがいても、アイクというキャラはたった一人しか存在しない。
それを補うように地の文などでアイクはそう呟いた。とか書くだけでも全然違う。
少なくともただ漠然とキャラの前に名前を置くだけよりはよっぽど小説っぽく見えるだろう。
また、このキャラ付けと設定などは似たようなキャラを出さず、読者に不要な混乱を与えなくて済むといった利点もある。
❷文章で説明しろ
まずひどいのがカオスドラゴンを撃破した際の「グォオオ」断末魔連呼だ。
いくらなんでもあまりにも酷い。描写することを放棄して「今ドラゴンを倒しましたよ!!」と説明しているだけに過ぎない。
しかしそれでは小説になっていない。その後のドカーン!も然りだ。
「こんな音を出しています!」
「これはでかい音なんです!その証拠に感嘆符がいっぱいついてます!」
感嘆符はそんなあればあるだけ効果を増すような便利な代物ではない。
多くて!!の2個だ。それも多用は厳禁。
ここぞという時に使うからこそ活きてくるのだ。
じゃあどうすればいいのかというと。
剣は龍の真紅に包まれた鎧を貫き、全身を切り裂いた。
たまらず龍は咆哮し、洞窟中に轟音を鳴り響かせた。大地が激しく揺れ動き、龍の悲鳴に呼応するように壁や岩を軋ませた。
やがて龍の瞳から生気が消え去ると支えきれなくなった巨躯を地に伏せて沈んだ。
……どうだろうか。
まぁこれも決して良い例にはなっていないのだが、少なくともどこにも「!!」や「グォオオ」などは入っていないだろう。
そんなものなくても小説は書けるのである。
まずは音や叫び声などを文章化する練習や工夫が必要なのである。
そうするだけで一気に文章が引き締まる。
無論だからといって〇〇が叫んだ。〇〇が驚いた。〇〇が倒れた。といった単調な文章では意味がない。
気をつけるべきポイントは
・なんでもセリフに頼って説明しない
・感嘆符を過剰なまでに多く使って感情の変化や状態を表さない
・〇〇た。〇〇した。といった単調な表現の繰り返しをしない
ということだ。
なんでもセリフに頼ると限りなく説明口調に近くなったり、露骨に作者の意図を感じてしまい、結果として作品を純粋に楽しむことができなくなってしまうのだ。
照れた時の表現に顔を赤らめる意味を込めた記号「/」の繰り返しというものがあるが、ハッキリ言ってこれも蛇足である。
照れたならちゃんと照れた表現を使えばいい。
頬が紅潮したとか、目や首を逸らしたとか、鼓動が激しく脈打ったとか
調べれば色々出てくるだろう。
こういうノリを多用すると作品が不要なまでにライトな印象となってしまう。
「小説」は決してライトな自由帳ではない。
これはこのサイトに限った話ではないのだが。
❸文法を守れ
三点リーダーの使い方は・・・ではなく……の2個セットが基本であり、基本的に「…………」や「………………」のような繋ぎ方が基本である。
、、、や・・・・は論外である。
また、「やるしかないか。」のような「」の終わりを。で締めない。
「やるしかない……か。よし、それでいくぞ」のように途中に付けることはあるが、終わりはすべて無しで締めよう。
また基本的にセリフの頭から「?」や「!?」といった感嘆符をつけることや感嘆符でのみ終わるセリフというのも望ましくない。
これは恐らく参考にしているゲームのシナリオなどの文章がそうなっていることに由来するものだと思われるが、小説においては不要である。
小説は台本でもなければ、脚本でもなく、ゲームのシナリオでもない。
❹天の声や作者の自我を出すな
読者が読みたいものは作者の「作品」であって「作者」ではない。
大抵このような書き方を恥ずかしげもなく行うのは極めて身内に向けた作品であるか、若年層が公私混同したノリを気付かず多用している場合である。
つまり逆を言えば自分や自分の作品はそういった稚拙なものであるということをアピールしていることになるのだ。
後の作風についての詳細で深く語るが、とにかく作品を読み進める上で作者の存在がチラつくこと以上に作品をシラけさせることはない。
作品に没入できなくなる。
そして作者の姿から薄っすらと現実世界を意識し始めることになるのだ。
そうなればもう読者は戻ってこないだろう。
退屈を避けるために創作の世界に飛び込んでいるのに、創作が退屈な現実を意識させるものでは元も子もないという話だ。
どうすればいいかというと普通に書くな。
そもそもなんだ天の声って。
アニメのナレーションとかのノリを引き継いだ文化なのか?
小説はアニメじゃないし仮にアニメとして見ても寒過ぎる。
一度声に出して読んでみることを勧める。
上記の要素は明らかに声に出して読むと違和感しかない異物でしかないのだ。
もし違和感に気付けないという人がいたらこれは違和感なので今すぐに辞めよう。
そういうのはチラシの裏か外部のSNSツールで適当にポストしていればいい。
前書き・後書きに載せるのも本来なら御法度だ。
そもそも作品には純粋に作品の事だけ載せるべきである。
そしてだからといって作中設定の補足を本文や前書き・後書きで詳細に載せるべきでもない。
ではどうすればいいか。
文章にすればいいのだ。設定を設定のままにせず文章にして作品にすればいい。
補足や伝えきれなかった細かい設定などは丸ごと捨てるか、すべての物語が完結した後に最後のページでやればいい。
少なくとも物語を読み進めている途中にこういったものや作者の自我が顔を出すことはありえない。
そして顔文字や絵文字、過剰な感嘆符や「www」「草」といった表現を使うべきではない。
本文には当然だが、作者の説明としても使うべきではない。それは誠意を1ミリも感じないからだ。
作品として世に出す以上、自分の落書きや自分が楽しくなるための自己満足ではなくなるため、最低限の誠意を尽くそう。
何も書かないのは寂しいと感じるかもしれないが、それは純粋に作品を楽しみたい読者にとって大きなプラスとなっていることを忘れてはならない。
というか、これを以ってようやく「読んでもらえる土台」に上がったといえよう。
では冒頭の文章は何なのかというと「読む読まない以前のもの」
つまり作品になっていない、小説として形になっていないということだ。
作品として、小説として形にする
用法や形式を守って初めて作品として読者に「読んでもらえる」というわけだ。
上記のものは飽くまでも基本的なものであり、どう書くのが理想的なのかは次回以降に回したいと思う。