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牛の鳴き声は本当に合図だったのか、絵本の家のドアが開いて、女性が顔を覗かせた。
年でいえば多分中年よりも上なのだろうが、『おばさん』と呼ぶにはあまりにも気が引けるほどの美人だ。
「あら!」
驚いている風な声だが、慌てている風には見えない。
その感じ、佇まい、容姿、いや、間違いないだろ。この人は…
「ママ!久しぶり!」
アルページュが叫びながら女性に抱きついた。
ほら!
「おかえりアル。いつぶりかしら?」
「一年ぶりよママ。元気そうで何より。シュロスは元気?」
「ふふ、この通りよ」
ドアを押しのけるようにして、一頭のセントバーナードがのっそりと出てきた。
「シュロス!会いたかったわあ」
アルページュが首に抱きつくと、シュロスが嬉しそうにボフボフと鳴いた。
えーと、これはなに物語のワンシーンなんだろう…
「感動の再会もいいけど、アル、お友達に私を紹介して頂戴な!」
「ごめんなさいママ!そうだったわね!私とした事が」
もういいですよ。俺は笑顔を返した。
「イオリと、ノーマよ。イオリは日本人、知り合ったのはあっちでだけど。ノーマは、ジェーンのお孫さんよ」
「はじめましてイオリくん、ノーマちゃん。アルの母親のウリアよ」
心が休まるような笑顔は、田舎暮らしのなせる技だろうか。
「そう、あなたがイオリくんなのね。ノーマちゃんはジェーンからよく話は聞いていたわ。ほんとにとても可愛らしい娘さんね。あれだけ自慢するのもわかるわ」
「そんなやめて下さい!もうおばあちゃんたら」
照れたノーマのオーバーリアクションに誤魔化されてしまったが、ウリアの俺への反応はなんだろう?
アルページュは前もって俺の事を伝えていたのだろうか?
「さあどうぞ!入って入って!」
「うわあ!」
ドアを抜けると直ぐにノーマが歓喜の声を上げた。
絵本に出てくるような家は、中も絵本に出てくるような内装だった。
古い、しかし味のある木製の調度。窓辺に飾られた鉢植えには小さな花が揺れ、シンプルだがはっきりとした色使いのクロス類、やはりここはなんかの物語の中かもと錯覚してしまう。
「ここは元パパのお店だったのよ。今は面影はほとんどないけどね」
だとしたら、こじんまりとしたいい店だったはずだ。きっと一日数組しか予約を取らないような、そんなこだわりの家族的なレストラン…
「いい料理人でいらしたんですね」
俺の言葉に、ウリアが
「ええ、もちろん」
と自慢げに笑った。
フランコが亡くなってから、ウリアは異世界から生まれ故郷のここへ戻ってきたらしい。
「今は何をされているんですか?」
「ここの特産物を主に海外に輸出する会社を経営してるのよ」
なかなかやり手な奥様のようだ。
「そうはいっても、昔ながらの手作業で作っているものだから、そんなに量が出来なくて。細々とやっているわ」
「あの、その特産品ってなんなんですか?」
シュロスの背中に乗っかるようにしてじゃれ合っていたノーマが聞くと、アルページュが無言のまま隣の部屋に入っていき、直ぐに分厚い円盤状の紙包みを抱えて帰ってきた。
テーブルの上に置くと、ドスンと重みがある。
「これよ」
開いた紙包みの中から、光沢のある、白色の塊が現れた。
「うわ、なんかとても美味しそうですね!」
さすがはノーマ。初めて見たはずなのにそこんところは見逃さない。
だが無理もない。包みを開けた瞬間から素晴らしい芳香が部屋中に広がっている。
「すごいチーズですね」
「ええ、これがチーズなんですか?」
「食べてみる?」
「はいいいいいいい!」
いい返事が過ぎますよ。
アルページュが切り分けたチーズを、ノーマが早速ぱくりと食べた。
「んんんんんん!」
ノーマの背筋がピンと伸びた。
「ウオン!」
シュロスが吠えた。
瞬間、ノーマの感動が牧草を揺らす一陣の風のように、体を突き抜けて行った。
やばい、さすがに犬には刺激が…
そう思ってシュロスを見ると、なんか満足げにはっはしている。
そうか、お前も美味しかったのか。
「これがジェーンの言っていたノーマが飛ばしちゃう感情ね。思ったよりも心地がいい物なのね」
「ふみましぇん。ほいしくてほいしくて」
「ありがとう。そう言って貰えると、ミラも喜ぶわ」
「やっぱりこのチーズ、ミラの工房で作ったものなのね」
アルページュがチーズの欠片を口に運んだ。
直ぐに満足げに口角を上げる。
「アルページュ、そのミラって人が例のチーズ職人なのか?」
「え?ええ、そうなんだけど…」
ん?なんか困ってるぞ、もしかして問題のある人なのか?こっちは紗友里でそういうの慣れているが…
「アル、なんの話なの?」
アルページュがウリアに一連の事情を説明した。
「なるほどね。あのイコイに喧嘩売るなんて、イオリくんもなかなかやるわね」
「どうかしら?ミラに少し力になってもらいたいんだけど…」
ウリアもアルページュ同様に、少し困った顔を浮かべた。
「そうねえ、いまなら学校もお休みだけど…」
ん?学校?
「親御さんにも了解を取らないといけないだろうし」
親御さん?ん?
「こんちはあ!」
いきなり勢いよくドアが開かれた。
「あら、丁度良かったわね」
「いいタイミングだわ」
二人の反応に扉の方を見ると、扉の半分ほどの人物がそこに立っていた。
「あ、アル姉ちゃん、久しぶり!」
元気よく頭を下げたのは、短髪の活発そうな、多分小学生位の少女だった。
「…また平均年齢が下がりましたね」
耳元でノーマが囁いた。
いや違うぞノーマ。正確に言えばヒシャはそれを桁違いに上げている。
この子は、そうじゃないよなぁ…
不思議そうに俺達を見ていたミラが、愛想笑いを浮かべた。




