9
アルページュが、珍しく眉間に皺を寄せている。
ガガンの執務室はもうすっかり俺達の作戦会議室になっている。発酵の話題になるのでガガン達こちらの住人には遠慮してもらった。
そのうえでアルページュにだけ相談にのってもらおうと思っていたのだが…
話を聞いたアルページュは、ご機嫌斜めだ。
「イオリってもう少し賢い人かと思ってたのだけど、そんな条件を受け入れるなんて、案外愚かなのね」
それは、自分でもよくわかっています。
「でもイオリ様は世界の交流の事を思ってこそ…」
ノーマが俺の頭をギュッとしてくれた。
とても柔らかくて素敵な抱かれ心地だ。
昨日のハプニングを思い出して、思わず顔が緩みそうになるのを、グッと我慢する。
今は浮かれていい場面ではない。
確かにアルページュの言う通り、俺の受けた条件はとても厳しい、というか大丈夫なのか本当に?レベルの事だった。
「あのイオリさん、どこがそんなに難しいことなんですか?」
朽木が不安そうに聞いてきた。
「いやイコイの条件だと、俺はこの世界で一から発酵食品を作らないといけないわけで…」
「あら、イオリ、間違ってるわよ。一からじゃなくて、ゼロからよ」
アルページュが優しく訂正してくれた。
どうもありがとう…
「つまり、人類がその歴史の中で何百年もかけて生み出してきたものを、イオリは一月で作り出さないといけない、って事よ」
朽木がその場にへたりこんだ。
「姐さん…すみません!俺も直ぐ後を追いますので!」
いや、諦めるなよ。
「とりあえず、具体的に何が必要なのか考えてみませんか?ね、イオリ様!」
ノーマの言う通りだ。グダグダ悩んでいてもしょうがない。
「何を作るかは、もう決めてるんでしょう?」
流石アルページュ。鋭い。
「え、そうなんですか?」
「ああ、まぁ、ざっくりイメージは…」
実はイコイと話している最中に、料理の内容は思いついてはいた。
「じゃあ、必要な物は分かってるんですね」
「ああ、まぁ…」
「何が必要なの?」
「えーと…その…」
確かに思いついてはいたんですよ…
「大丈夫です。気にせず言って下さい」
ノーマは優しい。
じゃあ言うよ。
「チーズと、白ワイン…」
ノーマが、目を輝かして、
「分かりました!」
と答えた。
きっとそれが何なのか彼女は知らない。
「へえー、なるほど…」
と朽木は平然と答えた。
きっと彼は、訳が分かっていない。
「…正気?」
アルページュがその高い鼻に手を当てて、首を数回横に振った。
きっと彼女だけが、事の重大さ、というか無謀さを理解している。
「あの、それってどんな物なんですか?」
「あちらでは普通にあるなんてことない発酵食品とお酒よ。チーズは牛乳、ワインは葡萄果汁が原料」
「その位なら俺でも知ってますよ」
アルページュがため息をついた。
今日のお花畑は閉鎖中のようだ。
「でも、それをこちらで一か月以内に手にするのは多分不可能よ」
「どういう事ですか?」
「発酵食品はね、基本的に完成までにとても時間がかかるの。まあ、短い期間で出来るものもあるけど、今イオリが欲しがってるのは、そうじゃないわね」
流石アルページュ。もう俺が何を作ろうとしているか分かっているようだ。
「そういうものなんですか?イオリ様?」
ノーマが向ける屈託の無い視線が、ちょっと痛い。
「そういうもの…だな…チーズで少なくとも数か月、ワインだと一年位は…」
「イオリさん、あんたまさか…」
朽木がわなわなと震えだした。
「そりゃあ社長はあんな人ですよ。でもイオリさんにとっちゃたった一人の肉親じゃないですか!それをまさか見殺しにするつもりだったなんて」
「そんなわけないだろ!」
分かってるんだよ。無謀な事なのは良く分かってるんです。
執務室に、沈黙が流れた。
いや、正確には、朽木がすすり泣く声だけが、静かに流れた。
「そういう事なら、何とかなるかもしれないね」
突然、聞き慣れた声が、すすり泣きを止めた。
「おばあちゃん?」
ノーマの反応に、全員が入り口に立つ人物に気付いた。
「全くあんたはいつもやっかい事をかかえてるねぇ…」
転移竜のジェーンは、呆れた様子で俺を見ていた。




