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「あのー、どうしてもご一緒しないと駄目ですか?」
入り口の扉を少し開けて、ノーマが顔だけを覗かせている。
その頬が淡く染まっているのは、ほんわりと漂う湯気のせいだけではないようだ。
「ダメよノーマ。ここまで聞いておいて、今更自分だけ聞かなかった事にはできないわ」
胸まで湯に漬かった水着姿のイコイが、割と厳しめの口調で言った。
「こんなに広いスパまであるとは。しかも水着着用の混浴スタイル…どこのセレブジムかと思いましたよ…」
湯船の端に腰かけた朽木が、キョロキョロと周りを見渡している。
『私は一日のスケジュールを全部決めて行動しているの、付き合って貰うわよ』
イコイはランニングを終えた後、数十分のマシントレーニングをこなすと(もちろん俺も付き合わされた)、全員をジムに併設されたこのスパに連れてきた。
『詳しい話は後でしましょう』
そう言ってトレーニングの間は終始無言だったイコイだが、ノーマにかけた口調だと、ここで話の続きをしようという事だろう。
閉鎖された空間で万が一にも誰かに聞かれる事はない、と判断したのか、まあ、裸の付き合いっていうやつだ(水着は着てるけど)
というわけでノーマ、そろそろ観念しなさい…
下唇を噛んだノーマが、俺の顔をじーと見つめている。
俺はそっと顔を背けた。
因みに水着はイコイがレンタル用の物を人数分用意してくれた。
そして、着替え中に女子更衣室から漏れてきた会話を、俺はしっかりと聞いていた。
『あらノーマ、あなたいつの間にこんなに?ここにある水着だとこれが一番胸が大きいのよ』
『ちょっとイコイ様、声が大きいです!』
大丈夫、俺は紳士だ。
顔はちゃんと背けたぞ。
だが視線だけは何故か、どうしても、意思に反して、逸らす事が出来ないんだ…
「し、失礼します…」
ノーマは白いワンピースの水着を身に着けていた。
とても良く似合っている。
そして想像(妄想)通り、胸の部分がはち切れんばかりになっていた。
なんならあちこちこぼれ出さんばかりだ。
俺は静かに、そしてそそくさと湯に身を沈めた。
鎮まれ、俺…
「イオリ様、見ないで下さいよ!」
顔を更に真っ赤に染めたノーマは駆け足でシャワーを浴びると、飛び込むように湯船に肩まで浸かった。
「あらあら、可愛らしい事」
イコイはクスリと笑うと、俺に向き直った。
「じゃあ、イオリ先生に続きをお話してもらおうかしらね」
冗談めいた口調だが、顔はすでに笑っていない。
「そうだな、まず何からいこうか…」
「あのーじゃあ…」
ノーマがおずおずと手を挙げた。
はい、どうぞ。ノーマ君。
「その、さっき言われてた゛ハッコー″てなんなんですか?」
ああ、そうか。そうだよね。
「んー例えばそうだな、ノーマ、森で生き物が死んでいたとする。その体ってどうなる?」
「えーと、他の動物が食べますよね」
「あー、まぁそうだな。でも全部綺麗に食べられるわけじゃない。残った肉の部分はやがて分解されていつの間にか骨だけになっている。そうだろう」
「そういえばそうですね。そうしたら骨を食べにプルトメルトの大群が押し寄せて綺麗にしてくれますよね!」
いやなにそれ?怖いなプルトメルト。
まあでもよかった。ここを理解してもらえたという事は、この世界にも『それ』がいるという事だ。
「肉の分解は、目に見えない程に小さい生き物、微生物と呼んでるんだけどな、それが仕事をしているんだ…」
「へえ、そうなんですか」
「へえ、そうなんですね」
なんで朽木までもが感心しているんだ。
「で、微生物が分解するのは何も肉だけじゃない、穀物だったり、果物だったり、液体の場合もある。例えば牛乳とか…」
「イオリさん、それって要は腐るってことですか?」
朽木君、いい質問だ!
「ノーマ、腐る、ってわかるか。そうだな、例えば食べ物が酸っぱくなったり臭くなったりして食べられなくなってしまった事とか」
ノーマは困ったように首を捻った。
思った通りの反応だ。
「俺達の世界では、それを腐敗と呼んでいる」
「でもそれって困るんじゃないですか?」
「そう!めっちゃ困るんだ!」
欲しかった質問が俺のテンションを上げた。
「だから食べ物をどう腐敗させずに保存するかを、俺達の世界ではずっと模索し続けてきた。冷やしたり、凍らせたり、火を入れたり、干したり、燻したり、まぁ、微生物との戦いみたいなもんだ」
「で、その戦いには勝てたんですか?」
「うーん、いや、少なくとも勝ててはいないな…」
「えー、それってかなり不毛じゃないですか?」
「うん、だからな、もう一つの手段として、微生物と仲良くする方法も見出した」
「仲良くする?」
「そう。微生物の中には、食べ物をより美味くなるように分解してくれるものがいるんだ。それに気付いた人達が、模索して、試行錯誤して、その微生物達と仲良くなって、共に、いろんな手法でいろんな美味しいものを作り出せるようになった」
「ええ!それってすごい!」
「おお、それってすごいですね」
朽木君には是非とも知っててもらいたかったなぁ…
「人にとって美味しい物を作る分解、それを俺達は腐敗とはわけて、発酵、と呼んでいる」
どうやら納得して頂けたようだ、ノーマ君の瞳がキラキラしている。
ついでに朽木君の目もキラキラしているね。
「でもイオリ様、じゃあ私達の世界に、なんで発酵が無いん…あ」
ノーマがハッとなった。
やっと気付いたね、ノーマ君。
「やっと気付いたわね、ノーマ」
それまで黙って俺の授業を聞いていたイコイが、やっと口を開いた。
「そっか…時間保管庫…」
ノーマの呟きに、イコイがため息を一つ、吐き出した。
「そういう事だ。この世界に発酵という食文化が成り立たなかったのは、魔法が存在したからだ」
俺の言葉に、イコイがもう一度、今度はより深く、ため息を吐きだした。
「どうしても気付くわけね。これだから向こうの料理人って嫌いなのよ」
イコイの声は、湯気に混ざって、静かに、しかし強く、浴室にこだました。




