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低能な料理番  作者: ミツル
第三章 帝国のアイドル

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「姐さん、オッケーです!」

「おっしゃ!行くぞ!」

 

 朽木の合図と共に紗友里がルアーを前方の海へと投げ込んだ。二人がジグと呼んでいたその鉛で出来た重いルアーは、直ぐに海中へと姿を消していった。


「おお、二百グラムでも流されてますね」

「ああ、だけどな」


 紗友里が丸型リールのハンドルを回すと、カチャリと金属音がして糸の出が止まった。


「やっぱり浅いな、もう着底しやがった」

「十五メートル、てとこですかね」


 元々は六百メートルあった水深だ。やはりこのクダコーレの落差はスケールが段違いのようだ。


「朽木、イオリ、お前達も始めろ」


 紗友里はリールのハンドルをリズミカルに回しながらロッドを大きく上下させている。

 俺は釣りに関しては素人だが、紗友里の淀みない動作からは、『出来る』匂いを感じた。


 俺と朽木も急いで竿を出した。

 

 俺の竿はスピニングタックルと呼ばれる道具仕立てらしいが、糸の先には紗由理のと違う魚の形をしたルアーが付いていた。


「シンキングミノーだ。思いっきり投げて一定のスピードで巻け!」

「姐さん、じゃあ自分も落とします!」


 朽木は餌釣りを試していた。餌はアルページュに用意してもらったポポルルの切り身だ。

 

 以上が小魚や甲殻類が主食、というパドーレの性質と、海の状況から紗友里が導き出した作戦だ。


「まぁ、どれかに反応あるだろう」

という実に紗友里らしい理論に基づいた作戦ではあるが。


「うあっと!」

 

 不慣れな上に不安定なゴムボートの上でグラついた俺を、咄嗟にノーマが背後から抱きかかえて支えてくれた。


「大丈夫ですかイオリ様」

「ああ、ありがとう」


 お腹にノーマの腕、そして背中にはノーマの…

 この幸せな時間がいつまでも続いて欲しい…


「もう十五分経ちましたよ」

てなわけにはいかないんだった。


「くそ、当たらねえ」

 

 紗友里が回収したジグを別の色に付け替えて投入した。朽木が巻き上げた仕掛けのエサは、そのままの状態で上がってきた。

 

 二人にも焦りが見えている。

 船がかなりの速度で流されているせいで、じっくりと狙う事が出来ないようだ。


「見えてきました…」


 マイドが指さした海上に、蠢く黒い山のようなものが見えた。


「なんだあれ?」

「あれは…鳥山だ」


 紗友里の言葉通り、それは膨大な数の翼竜だった。

 かなり上空までを埋め尽くした翼竜の群れが、山のように見えているのだ。


「あの下にクダコーレのへそがあります」

 

 何それ?そんな呼び名があるのか?


 おそらく翼竜達が群れているのは、落ちる水と一緒に流されてくる魚を狙ってのことだろう。


「やばいな、けっこう近い…」

「あそこまで行けば、もしかしてパドーレもいっぱいいるんじゃないですか?」

「いい考えだな朽木。けどあそこまで行ったら私らも海の藻屑だけどな」

 

 笑って言う事じゃないぞ。


「仕方がない、一回船に戻って…」


「皆さん、あれ、あれを見て下さい!」


 叫んだマイドが、目を見開いていた。


「うわあ!綺麗…」

 一番先に反応したノーマが、感嘆した。


「なんですかありゃ?」

「おいおい、どうなってんだ」

「あれって…」


 海が一面、銀色に光っていた。

 そしてその光は広がりながらどんどんこっちへ向かってきていた。


「くるぞ!」

紗友里がそう叫んだ時にはもう、ボートの周りすべてがその銀色の海に囲まれていた。


「パ…」

 

 水面を覗き込みながらマイドが口を開いた。


「パドーレの群れだ!」

 

 海面直下を、何千、何万?いや想像もつかない数の銀色の大型魚が泳いでいる。


「これが、パドーレ?」


 銀色とは聞いていたが、この光沢っぷりはもはやメッキ加工じゃないか。


 その体で陽光を反射させながら、パドーレ達は背中を海上に突き出さんばかりに浅い層を泳いでいる。


「網、網!」


 朽木が慌ててランディングネットを海に突っ込んだが、さすがにそうは問屋が卸さない。

 パドーレ達はするりと網をよけていった。


「イオリ!ルアー投げろ!早く」

「あ、ああ!」


 促されるままパドーレが埋め尽くす海面に向かってルアーを投げた。着水と同時にリールを巻く。


「ジジジジジジジー!」


 瞬間に逆転したリールがけたたましい機械音を放った。


「食ったぞ!合わせろ!」

 

 のけ反る程の勢いで、竿を立てる。

 ズン!とした重みが腕にかかった。


「よし!乗ったぁ!」


 釣り人専用のセリフはすべて紗友里が肩代わりしてくれた。  


「落ち着けイオリ。ゆっくり、ゆっくりだ」

 紗友里が俺の横に立って、竿を無理に立てるな、いまは巻くな、いまだ巻け、ドラグ調整、とアドバイスしながら助けてくれている。


「ランディングは任せてください!」

 ネットを構えた朽木が、親指を立てて俺を落ち着かせようと気配ってくれている。


「イオリ様、頑張って下さい!」

 背中に幸せの弾力を押し付けながら、ノーマが耳元で応援してくれている。


「この群れ、へぇー。すごいなぁ」

 君は常にマイペースだな、マイド。


 そこから先のやり取りはあまり覚えていない。


 が、魚が近付いてきて、ギラリと身を捻った魚体がネットに収まったその場面は、まるでスローモーションのように俺の記憶に焼き付けられた。


「おおお…」

 

 唸る紗友里の足元で、パドーレがバタバタと暴れている。


 大物だ。一メートル近い。

 

 丸くて細長い、一見カツオっぽい形の魚体は、海中にいる時よりもさらにすばらしい光沢で、鏡のような表面には覗き込む俺達の顔が映りこんでいる。ヒレの先は全部糸のように細く伸び、とても綺麗な魚体だ。だが、神は欠点の無い生物を作らない…


「顔、めちゃくちゃ変ですね。こんなだったかな?」


 ノーマが吹き出しそうになっているのも無理はない。パドーレの顔は、まるでカモノハシのような愛嬌のある『アヒル顔』だった。


 いや、その体に黄色いクチバシって、どんな進化を経てきた魚なんだ?


「こいつで間違いないのか?」

 

 紗友里がマイドに確認を入れた。


「はい!うちの釣魚図鑑で見たのと同じです。こいつが、パドーレです」


「うっしゃあ!」

 

 紗友里が男らしいガッツポーズを決めたところで、突然ボートを影が覆った。


 見上げると翼竜の鳥山が頭上にいた。


「あれ?」


 判断が追い付く前に、ボートが傾いた。

 

 全身の毛が逆立った。それが警報になった。


「ノーマ!」


 反射的に叫んだ言葉に反射的に反応してノーマが飛び上がった。


 紗友里が反射的にパドーレを抱えるのと、朽木が反射的に釣り具一式を抱えるのと、マイドがマッハでパニックに陥って空中で平泳ぎを始めちゃったのと、俺の血の気が全身からサアーと引くのと、竜になったノーマが俺達全員を吸い込むように掬い上げるのと、無人になった救命ボートが奈落の底に落ちていくのとが、ほぼ同時に進行した。


 飛び上がる竜の口から垣間見たクダコーレのへそは、まだ銀色に光る海に囲まれていた。


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