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低能な料理番  作者: ミツル
第三章 帝国のアイドル

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23

 外気温が随分下がってきた。

 甲板に立って海を見ていると、息が白い。

 海の色も澄んだ蒼から、鉛色を溶かしたようなくすんだ青に変化していた。

 俺は北に向かって航海しているのだという事を実感していた。

 

 振り返ると、キャビン内の予備操縦席に就いた紗友里が舵を握っていた。

 その傍らにはコーヒーカップを片手にアルページュが立っている。

 

 なんだかな…

 

 二人のバトルを心配していた自分がバカみたいに思えた。


 少し前の事だ。寒さに耐えきれなくなったアルページュとマイドがキャビン内に降りてきた。因みにキャビン内は冷暖房完備だ。


「おう、セレブ嬢のご帰還かい?その恰好、お前、海をなめてんのか?」


 朽木の宣言通り、きっちり二時間で船酔いから復活していた紗友里は、さっそくアルページュに食って掛かった。


「えーごめんなさい。そんな無粋な格好でないと釣りができないなんて知らなかったものだから」

「んだと!こらあ!」

「姐さん!まぁ落ち着いて!」

 朽木が紗友里を後ろから羽交い絞めにした。


 あれだな、アルページュには人をイラつかせる才能があるな。


「とはいえさすがにこの格好じゃ少し寒いわねぇ」

 そう言ってアルページュはおもむろにマリンセーラーを脱ぎ始めた。


「え?」


 するりと真っ白くて細い腰があらわになり、そのまま胸まで…


「うわああああああ!」


 ノーマが叫びながら右手で俺の首根っこを掴んで回れ右させながら、伸ばした左手でセーラーの裾を引き下げながら、左足で鼻の下を伸ばしていたマイドに足払いを入れて転倒させた。


「おほお!ぐがっ」

 朽木は嬉しそうに声を上げた瞬間、紗友里の後頭突きを食らってそのまま卒倒した。


「何してるんですか!」

「何してやがる!」

 ノーマと紗友里が同時に叫んだ。


 なんか前にもこんなんあったなぁ…


「あれ、私何か悪い事でもしたのかしら?」

「「あ゙あ゙!」」

 

 唸り声でハモってる。アルページュのあれはもうスキルだな…


「こんな人前で着替えるなんて、お前自分の事鏡で見た事あるのか!」


 バタバタと突き進む音が聞こえた。


「ええ?なになに」

「いいから下に行くぞ!着替えはどこだ?」

「そこのバッグに」

「あれか!ノーマ!それ持ってついてこい」

「は、はい!」


 ここで俺の首根っこの呪縛が解けた。

 背を向けていたので何が起こっていたのかは分からないが、すぐに下の客室から聞こえてきた声で、なんとなく想像はできた。


「お前常識外れに綺麗なんだからな!もっと警戒しないと駄目だろ!まったく普段からそんななのか?」

「あー、もしかして男の方がいらっしゃったからかな?」

「もしかしてじゃなくてそうなんだよ!まったくあの男どもときたら!」

「ほんとですよ!デレデレしてほんとやらしいんですから!」

「ちょっと待て!寒いんだからそんなペラペラしたもん着るな!こっちにしなさい!」

「えー」

「お姉さま、このセーターめちゃくちゃ手触りいいですよ!」

 

 なんかそこからきゃっきゃっとした女子トークが盛り上がり始めたので、俺はソファーに腰かけた。

 その横に朽木が鼻を抑えながら座り、おもむろに起き上がったマイドがその横に座った。


「なんか、俺達って加害者なんですか?被害者だと思うんですけど?」

 そう聞いてきたマイドの肩に朽木が手をかけた。

「考えるな、青年。そういうもんだ」


 俺は無言でコーヒーを啜った。 


 セーターにジーンズというごく普通の恰好に変身したアルページュを先頭に客室から上がってきた三人は、もう完全に打ち解けていた。


「アル、あんた操縦しっぱなしで疲れたろ。少し休んでな。あたしが替わってやるよ」


 なんかすでに愛称で呼んでるし…


「紗友里、できるの?」

「一級船舶くらいは標準装備」

「あら素敵ね」


 そんな二人のやり取りを眺めていた俺の横にノーマが寄ってきた。


「見てないですよね?」


 何の確認だ…


「見る暇なんて無かったろ」


 実のところ俺の目はあの一瞬でピンクの総レースを捉えていた。昔から目はいいのだ。が、それを口にすることは命に係わる事なので墓場まで持っていくつもりだ。


「イオリ、あんた目が良いんだからちょっと外で見張ってろ。なんかめんどくさいのがこの先にあるんだろ」

 

 という事で、今俺は双眼鏡を首から下げて甲板にいるわけだ。


「イオリ様、コーヒー淹れてきましたよ」

「ありがとう」


 振り返ってノーマからカップを受け取り、温かい湯気にホッとする。

 

 そのままノーマの顔を眺めながら、コーヒーを飲んだ。


「なんですか?」

「いや、ホッとするなと思って」

「そんな事言っても何もでませんよ。で、本当に見てないんですよね」

「おいおい、しつこいぞ」


 などと楽しい時間を噛みしめていると、急にノーマの顔色が険しくなった。


「いや、本当に何も見てないから…」

「いえ、そうじゃなくて…イオリ様、あれ」

とノーマが俺の背後を指さした。


 慌てて海に目を向けると、右手に見えていた陸地の先端に鳥の(多分翼竜)大群が飛んでいる。

 

 双眼鏡を覗き込むと、やはり翼竜の群れだった。

 翼竜達は、岬の先端から次々と海面に向かって飛び込んで行っている。


 いや、海面じゃない。水飛沫が上がっていない。あの先には…海面がない。


「姉ちゃん!舵を右に!」


 船が大きく揺れた。


 舵をグルングルン回す紗友里と、甲板に飛び出してくるマイドと、その様子を呑気そうにコーヒーカップ片手に眺めるアルページュがいっぺんに視界に入ってきた。


 船の揺れは収まらなかった。それどころか強くなった。

 船が進もうとする方向と、潮の流れが垂直に交差しているのが分かった。


「…クダコーレだ!」

 マイドが叫んだ。

 

 そうか、お約束じゃないか。

 前方に途轍もないデカさの滝があるのだ。水はそこに向かって流れる。

 そしてどんどん早く、強くなる。

 その流れに乗っていたせいで、船の速度が思った以上に上がっていたのだ。

 

 気が付くのが遅すぎた。あの騒動で…


 船は真横に流されていた。すでに舵も推進力も関係ない。急流に浮かんだ木の葉状態だ。


「ヤバい!」


 バウレールに手をかけて体を起こした。

 

 海面が流れ落ちている、のがもう目で見えた。渕はすぐそこだ。どんどん近付いてくる。


「無理だ!落ちる!」

 マイド!


「あーこれ、落ちちゃいますね」

 ノーマさあん!


 もう駄目だ!


 目を閉じた瞬間、浮遊感が全身を襲った。


 あ、落ちた…


 そう観念して、数秒経過した。


 あれ?


 浮遊感が、落下感に変わらない。


 それどころかどんどん強くなる。


 上から下に空気が流れている。


 恐る恐る目を開けた。


「へ?」


 海面が、下にあった。


 クダコーレの渕とそこに流れ落ちる海水とその下三百メートル先に広がる海水の盆地すべてが眼下に見えた。

 

 この感じには覚えがある。ノーマの背に乗ってパドーレに向かった時だ。


 今俺は空を飛んで、いる?


 まさかノーマが?

 

 そう思った時、誰かが手を握ってきた。横を見るとノーマがそこに立っていた。

 そのノーマが、上空を見上げていた。

 釣られて見上げた。


「へ?」


 腹が見えた、竜の。

 羽が見えた、竜の。


 巨大な竜が、俺達の船を掴み上げて飛んでいた。


「え?え?え?」


 状況が把握できない。


 助けを求めてノーマを見ると、ノーマは笑顔を浮かべていた。


 そして、

「おばあちゃん」

と嬉しそうに言った。


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