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デカい、バカでかい。
それは、とにかくデカかった。
まだけっこう遠くにいるはずだが、それでもその両端は遥かに先にあって、よく見えない。
俺の認識は一つ間違っていた。
それはすごくゆっくりとこちらに向かっていたわけではない。
思っていた以上にすごく、すご~く遠くにいたのだ。
「イオリ様はセルパを見るのは初めてですか?」
俺は大きく頷いた。
当たり前だ。
こんな『生物』見たことあるわけがない。
見えている限り(その顔部分)であえて言うなら、丸くて平べったいエイのような。
だが全長が恐らく数キロはあるだろう空飛ぶエイなんてどこの世界にいるんだ。
…そうか異世界だった。
セルパはずんずんと近付いてくる。近付いてくるにつれてその全容がさらに明らかになっていく。
その背中の外周には高い木が茂っている。その木の向こうに、数軒、屋根が見えた。
まるで大地がそのまま空に浮かんでいるかのようだ。
「人が住んでるのか?」
「あのセルパがここの専属農場なんです」
あまりあっさりと言わないで欲しい。
セルパの影が城下町を覆った。町の大半がその影に覆われている。なるほど専属と言いながらあんな遠くに居たのは、近いと町に陽光が届かなくなるからだろう。住民達が騒ぐ気配がない。この世界では普通の存在なのか?
ほどなくセルパが城壁に達した。
いまや視界全部セルパの顔だ。
セルパが口を少し開けて、舌を伸ばしてきた。その先端が城壁に到達すると、それは町の大通りよりも広い通路になった。
「じゃあ行きましょう!」
「あ、ん、ああ…」
ノーマに引っ張られて通路に足を乗せると、思ったよりしっかりとしていた。もっとぶよぶよした感触を想像していたが、少しノーマの口の中の質感に似ている。
「こう見えてセルパも竜族の仲間なんですよ」
「な、なるほど」
口がそのまま入り口になっているようだ。一軒家程もある歯がずらりと並ぶ門をくぐると、中で人が待っていた。
安心した。普通の女性だ。
「いらっしゃい。ノーマだったのね」
女性はさわやかな笑顔で迎えてくれた。
肩幅が広くて背が高い、スポーツマン体形の女性だ。
バレー部のキャプテン、っぽい。
それと違うのは、彼女の衣服が土で汚れていることだった。
「お久ぶりです!セザンさん!」
「久しぶりね!あら?」
セザンは俺の顔を見てにやりと笑った。
「そちらの男性は?もしかしてノーマの彼氏?」
「え?いいいいいいいや!そそそそそそそそうじゃなくて!」
慌てながらノーマが俺の事をセザンに紹介した。
隠さずに話しているので、セザンも『こちら側』の人間のようだ。
「こちらはセザン。この農場の責任者なんですよ」
ノーマが紹介してくれた。なるほど、キャプテンぽいわけだ。
「あんたがイオリか?なるほどねぇ…確かに…」
セザンがニヤニヤしながら俺の顔をマジマジと見つめてきた。
「セザンさん」
「あ、そうか悪い悪い」
ノーマは何を制したのだろう?
食材を取りに来た事を伝えると、セザンは「じゃあついてきて」と俺達を先導してくれた。案内されてセルパのエラの隙間を抜け、設置された階段を登り、地上…背中に出た。
「うっわ…」
思わず声が出た。
目前に見事な田園風景が広がっている。
「…北海道?」
足元を見ると、そこは地面だった。
何の違和感もない、土の地面。草木も生えている。
だが、エイの背中だ。
整備された農園は遠くまで広がっている。その先に見える丘では家畜、恐らく羊の類だろう、がのんびりと草を食んでいる。果樹園にはリンゴや桃様々な実が成り、畑では小麦そっくりの作物が、金色の穂を絨毯のように揺らしていた。
豊かな土地だ。
だが、エイの背中だ。
「どうぞこれに」
馬車が止めてあった。御者の男が笑顔で会釈をしてくれた。御者の席に座ってはいるが、彼も本業が農夫なのは恰好で分かる。長靴が泥だらけだ。
馬はほぼ馬だった。農耕馬らしい太くて頑丈そうな足が十本あるのが実に惜しいが。
「セザン、メリルのお肉が欲しいんだけど」
「ああ、そうか。じゃあメリル小屋へいこうか」
馬車はゆっくりと畑の中を進んでいく。作物にばかり目がいっていたが、畑ではかなりの人間が働いていた。丁度小麦の収穫時期らしく、荷馬車に刈り取られた小麦が山と積み上げられている。
「この国では、畑は全部その…セルパの背中に?」
俺はセザンに聞いてみた。
「もちろん地上にも農園はあるけど、この国の土地は痩せている土地が多いから、そうだなぁ、八割はセルパ農園が占めてるね」
いったい何匹空に浮かんでいるのだろう。
「では皆さんここで生活を?」
「ああそうだよ。まあ村みたいなもんだ」
みたいじゃなく村そのものだ。集落も見える。
住民達も皆明るく楽しそうに働いている。
空飛ぶエイの背中で。
「あれがメリル小屋だよ」
小屋と呼ばれてはいるが、かなり立派な木造の建物が見えてきた。
「半分が加工場になってる。育ったメリルを直ぐに加工出来るんだから新鮮そのものだよ」
建物の横には高めの木塀が立ち、それが広く丸く何かを囲っている。
馬車はその木塀の前で止まった。
「まずは見てくれ。これがうち自慢のメリル場だ」
セザンが扉を開けて、どうぞといざなってくれた。
「ここでなるべく自然に近い形で、ストレスなく育ててる!健康そのもののメリルだ。美味いぞ!」
「なるほど、地鶏みたいなものか…」
塀の中は広い芝生の放牧場で、沢山のメリル達が自由に歩いていた。セザンの言う通り、ストレスもなく健康で元気そうだ。中には走り回っている個体もいる。が…
「…地、とり???」
自然そのもののメリルの姿に、俺は自分の甘さを痛感していた。




