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カーンとの謁見から一時間後、俺とノーマが待つゲストルームに帰ってきたエルブジの表情はとてつもなく曇っていた。
足取りも重い、というかむしろフラついている。
「大丈夫ですか?」
ノーマが気を遣って体を支えた。
「…すまない。大丈夫だ」
いや、とても大丈夫そうには見えないが…
エルブジは水を一杯所望し、ノーマが持ってきたそれを一気に飲み干した。
ふー、ではなく、はぁー、と息を漏らす。
「…謁見を、断られました…」
エルブジは俺の事を皇帝に報告に行っていたのだ。一緒に行こうかと聞くと、いきなりはまずいのでまずは私が、とエルブジは言った。
実は薪会の再開を画策して異世界に赴いた事は皇帝には報告をしていなかったらしい。もちろん新しい料理番候補を既に連れ帰っていることも皇帝には内緒だった。
まあ、既成事実を固めてしまえばさすがの皇帝も対応せざるを得ないのでは、という目論見だったのだろうが…
いや、それにしても…
「断られた?」
それはあまりにも失礼な話じゃないか?こっちはわざわざ遠くから来てるのに。まぁ異世界が遠いかどうかは知らないが、少なくともノーマが体力を削って連れてきてくれたんだ。
「会うくらいしてくれてもいいんじゃないですか?」
と、ノーマが代弁してくれた。
「それはそうなのだが」
と、エルブジは困ったように返した。
事が皇帝に関わるようになってから、エルブジはずっと困ったような顔をしている。
胃は大丈夫だろうか…
「困りました…」
ついに言葉で出たか…
確かに困った状況だ。皇帝を説得するにも会ってくれないのではやりようがない。
三人で頭を抱えた。
数分後、ノーマが何か閃いて笑顔を浮かべた。
「そうだ!こういうのはどうでしょう!」
満面の笑みはちょっと悪だくみの色を含んでいる。
「イオリ様の料理を皇帝に食べてもらえばいいんじゃないですか?食べればきっと納得してもらえますよ!」
「いや、どうやって?会ってもくれないのに」
「ふふん!」
いよいよ悪だくみ色が濃くなった。
「今日の皇帝の夕食を、イオリ様が作ればいいんですよ!」
「おお!なるほど名案です!」
「いやいや、ちょっと待ってくれ」
俺は盛り上がる二人を制した。
「突然そんな事を言われても、なんの準備もしてないし…」
「あら、だって私には何の準備もなしにあんな美味しい物作ってくれたじゃないですか!」
「おお、そんな事があったのですか!さすがイオリ様!」
「いや…あれは…」
すでに二人の顔は悪だくみ一色に染まっていて、その顔でじっと俺を見詰めてくる。
断れない、と悟った。
「わかった。やってみる…か」
「じゃあ行きましょう!」
ノーマがマッハの反応で俺の手を取って歩き出した。この世界はせっかちばかりなのか?
「行くってどこに?」
「お城の厨房です!」
「おお!ならば私もご一緒いたします!」
「さぁ!」
ノーマの力は強かった。さすがは竜だ。途中で足取りの重い俺に業を煮やしたのか「もぉ!」と叫びながら俺をお姫様抱っこで抱え上げると、ダッシュしてそのままの勢いで厨房に突っ込んだ。
「失礼しまぁす!」
厨房のコック達が一斉に振り向いた。ノーマの声が大きいのと、今の状況とで顔から火が出るくらい恥ずかしかった。
「あの、ノーマさん、…降ろしてください…」
「はい!イオリ様」
君の屈託の無い笑顔はとても素敵だ。
「おいおいノーマ、なんだいきなり!」
中年のコックが歩み寄ってきた。一番年長のようだ。おそらくコック長だろう。厨房内には他に男性のコックが二人、あとエプロン姿の若い女性が一人、思っていたより人数が少ない。頃合いから考えると、ちょうど昼食の調理中というところか。
コック長と目があったちょうどその時に、遅れてエルブジが厨房に到着した。ノーマのダッシュ速度を鑑みると思ったより早い到着だ。
「ぜぇぜぇ、申し訳ございばせん…いぎなり…ぜぇぜぇ、はぁはぁ…」
頑張ったんだな、エルブジ…
「エルブジ様まで、どうしたんです?いったいこの方は?」
コック長は俺を訝し気に見ている。
いきなり若い娘に抱っこされたまま突入してきた男なのだ、そりゃぁ怪しむのも仕方がない事だ。
「…はぁはぁ。ああ、そうですな。まずはご紹介を…」
エルブジは息が整うのを待って、コック長に俺を紹介してくれた。
「へぇ、するとあんたがあの…」
どうやらコック長は薪会の現状を知っているようだ。
「それで、本日の皇帝のご夕食をイオリ様に作って頂こうかと…」
この言葉にコック達全員が顔を見合わせた。
想定内の反応だ。
「なるほど、極秘で料理の腕を見せて皇帝を説得しようという腹か…ふうん…」
コック長は顎に手を当て、値踏みするように俺を見据えた。
「で、あんたはまず何をするつもりだ?」
この質問の答えは、すぐにわかった。
腹を据えるか…
俺は足を揃えて姿勢を正すと、深く頭を下げた。
「イオリと申します。不躾で申し訳ありませんが、まずは昼食の調理を手伝わせてもらえませんか?」
「…ほう」
コック長がにやりと笑った。他のコック達も口角を上げている。
「コック長のブルーノだ」
「プジョルです」
「オデットと申します」
「リドよ。私はパティシエ」
コック達は次々と自己紹介をしてくれた。
俺は胸をなでおろした。通過儀礼は合格だったようだ。
逆の立場になればわかる。いきなり厨房に入ってきて料理を作らせろ、ではコック達に対して失礼極まりない。厨房は彼らの職場で、城なのだ。しかも俺はこの厨房の事を何も知らない。包丁の置き場から聞く必要がある。そもそもこの世界の料理からして知識がゼロなのだ。食材、調理方法、盛り付け、給仕の仕方、そして何よりも客…皇帝の好み、知るべきことは無限にある。
まずやるべきことは厨房の仕事を手伝ってそれらの情報を仕入れる事。
そして一番大事なのは、ここのコック達とのコミュニケーションを図る事。
「よろしくお願いします!」
俺はシャツの袖を肘までまくり上げた。




