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俺を迎えたエルブジの歓喜っぷりは、それは見事な物だった。
「ごかえりださいまぜぇぇぇぇ」
と、涙と鼻水で顔一面を濡らし咽び泣きながら言葉を絞り出していた。あの凛とした執事っぷりはどこへやら。
「エルブジ様、よかったですね!」
「ああ、きっとイオリ様は帰ってきてくれると信じておりました!」
と、着替え(変身)を済ませたノーマと手と手を取り合って喜んでいる。
まぁこれほど喜んで貰えれば悪い気はしない。だが、薪会の料理番を引き受けると決めた以上、エルブジには真実を、俺が低能な料理人であることを打ち明けておく必要がある。
「エルブジ、依頼は引き受けようと思う。だがその前にどうしても話しておきたいことがある」
俺の欠陥について聞いたエルブジは、さすがにノーマと違って神妙な顔を浮かべた。
だが、その表情の意味は俺の想像したものとは違っていた。
「そんな、味が分からなくなってしまったなんて、料理人としてはさぞやお辛い事でしょうに…」
と、また涙を流し始めた。
優しい。
「大丈夫。俺には小さい頃から培った料理人としての経験がある。必ず皇帝一族を満足させてみせるよ!」
半分は自分に言い聞かせた言葉だった。
家賃が払えないから、というのはひとまず伏せておこう。
「心強いお言葉です。本当にありがとうございます。ではさっそく!」
エルブジは俺の手を引っ張って歩き出した。
どうやらエルブジはかなりせっかちな性分らしい。
「おい、さっそくってどこへ?」
「まずは先代皇帝にお会い頂きます」
「先代皇帝って?」
「カーン・ロカ様。昨日お話した薪会の発足者です」
「確か体の調子が悪いんじゃないのか?」
「病床についてはおられますが、元々は騎士としても名を馳せておられた方ですので、まだまだしっかりとしておられます。なにより新しい料理番の到着を心待ちにしておいでです。是非お顔を拝見したいと」
薪会の再開を望んでいるのも先代皇帝という話だった。いわば俺の雇い主という事になる。
ならば挨拶は当然の義務だ。
先代皇帝の住居は敷地内にある別棟だった。こじんまりとした石造りの建物で、決して立派とは言えない。中身も殺風景なものだった。
迎えてくれたのは先代の身の回りを世話しているという初老の女性が一人だけだった。
「レアーレと申します。ようこそおいで下さいました」
レアーレの所作は上品で洗練されていた。細身で背が高く、凛とした態度。どこか学校の先生のような雰囲気を感じた。
「ご苦労様ですレアーレ。カーン様は?」
「はい。本日は体調もよろしいようで、いまは起き上がって読書をなさっております」
そうかそうか、とエルブジはとても嬉しそうだった。直接聞いたわけではないが、エルブジの年の頃を考えれば、元々は先代皇帝に仕えていたのだろう。
先代皇帝の部屋はとても皇族が住むような華々しい空間ではなかった。家具も必要最低限の物があるだけだ。剥き出しになった石壁に一振りの剣が飾ってあるが、それもかなり古い物のようで、飾り付けた組紐が色あせている。
「おお…来られましたか!」
ベッドで読書をしていた先代皇帝は、俺の顔を見るなり感嘆の声を上げた。
生活ぶりは質素だが、俺はその姿を一目見て、先代皇帝であることを納得した。具体的にどうだと言えるものではない。人の上に立ち、人に尊敬される者の威厳、それは空気に滲み出る。あえて言うなら蓄えたその豊かな髭が、その象徴だ。
「初めまして。クドウ イオリと申します」
「このような姿で大変申し訳ない。私はカーン・ロカ。どうぞカーンとお呼びください」
「いや、そんな申し訳ないです!先代皇帝に対してそんな…」
「今はちょっと体の弱ったただの爺ですよ。遠慮なさらずに」
この世界の人達は本当によく微笑みかけてくれる。そしてカーンのそれはとても暖かかった。俺が生まれる前に死んだ爺さんが生きていれば、こんな感じなのだろうか?
「エルブジから話は聞いてます。腕の立つ料理人とのことで。無理を聞き入れて頂き感謝いたします」
「いえ、まだ役に立つかどうかもわかりませんから…」
「ご謙遜されなくても結構。一目見てわかりました。あなたは良い気持ちを持っている方だ。それに…」
カーンは視線を俺の後ろに移した。
「ノーマがこんなにかいがいしく人に付き添っているのは珍しい。イオリ様、あなた早速この竜の胃袋でも掴みましたかな?」
「カーン様!止めてください!」
ノーマが顔を真っ赤に染めた。
いやぁ、実に微笑ましい。
カーンとの会談は和やかに進んだ。
一つ分かったことは俺の薪会に対する解釈が少し間違っていたという事だ。
切り口はノーマだった。俺が政治の場で料理をないがしろにされたくない、と依頼を一度断った事を話題に出して、
「イオリ様はそんな心配をしてるんですよ。どう思います?」
と、そうカーンに問いかけたのだ。
うーん、と少し考え込んだ後カーンは、
「確かに会での話は主に内政に関する話題が多いがね。それは我々の仕事が政治なのだから仕方がない事で、だが、それが料理をないがしろにする理由にはならないな。むしろ、美味い料理が普段では話せないような本音を引き出してくれる、私はそう考えてる」
と、そう答えた。
カーンのこの言葉に、ノーマがしたり顔を俺に向けた。
「イオリ様。これだけは言っておきたいのですが、私にとって薪会の一番の目的は、家族団欒、なのです」
「…家族団欒…」
「はい。皇族というものは、国民、家臣、隣国、様々な物に対する責任の中で仕事や生活をしています。幸いなことに、我が一族は皆責任感が強い者ばかりで、しかしそうなると普段から身内との交流はないがしろになってしまいがちなのです」
「皆様それぞれ立場もおありなので、お互いに譲れない事もございます」
エルブジは困ったように話した。
「私は早くに妃を無くしてな。しかも多忙に任せて息子達との交流が乏しいまま年を取ってしまった。確かに皆立場ある身だが、せめて薪会の場では家族一同、笑いながら楽しく話をしよう。それが私の望みなのです」
「カーン様の言われる通り、以前の薪会はそれは楽しい会でした」
それまで黙ってカーンに付き添っていたレアーレが口を開いた。彼女も旧薪会の関係者だったのだろう。
「いや本音を言えば、私が異世界の美味しい物を食べたいだけなのですがな」
ははは、と笑うカーンの顔を、レアーレとエルブジが嬉しそうに見つめていた。
「だからイオリ様はみんなが楽しくなる料理を作ればいいんですよ!」
人差し指を上げたノーマのしたり顔が続く。
だから、それが一番難しんだが…
「ですが、薪会の再開にはまだ問題が…」
レアーレが言った。
「問題?」
見回すと俺以外が全員少し困ったような表情を浮かべている。
エルブジがため息をついた。
「実は薪会の再開については、カーン様の意向を受けた私から皇族の皆様に向けてご提案した案件なのですが…」
なるほど…わかった。
「反対している奴がいると」
「反対、とまではいかないのですが、まぁ難色を示されていて…」
「理由は?」
「時間が取れない、全員のスケジュール合わせが難しい、異世界からわざわざ料理番を呼ぶのは無駄ではないか、という感じで」
「まぁ、難癖だな」
「…難癖です…」
エルブジは胸ポケットからハンカチを取り出して額の汗を拭いた。
「で、誰なんだ?その反対派は?」
俺の質問に、少し沈黙が続いた。
カーンがため息をついた。さっきのエルブジよりも深く、長かった。
「それが…」
誰も口を開かないので、ノーマが仕方なさそうに切り出した。
「現皇帝のダカン・ロカ様なんです…」
俺以外の全員がさらに困った顔を浮かべた。




