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「さあ、始めるわよ〜!よく見ててね!」
「おお〜!」
厨房では薔薇細工のリドによる実演講習が始まっていた。生徒はここのスタッフ数人、パティシエ達だろう。全員が真剣な面持ちで手に手にメモを用意している。
リドが台上に打ち粉を振った。細く繊細な指から飛び出した小麦粉は、均等に、しかし床に微塵も溢れる事なく広がった。
その上にドンと置いたのは一抱え程もある生地だ。上面に十字の切れ込みが入れてある。
「昨日の夜に仕込んで休ませておいたデトランプよ」
リドが俺に向かってウィンクを投げかけてきた。
なるほどあのでかい荷物の中身は道具だけではなかったという事か。
十字部分を広げて生地を四角く広げる。
そしてリドがあの長い麺棒を構えると、生徒の一人がゴクリと唾を飲んだ。
「ふん!」
麺棒を生地に押し当てると、間髪入れずに押し回しながら広げていく。
「うわ…」
さっき唾を飲んだ生徒が、思わず唸った。
生地がみるみるうちに、長方形に広がっていく。
正確に、きっちりと、まっすぐに。
生地の横幅も厚さも、おそらくどこを測っても全部同じなのではないだろうか?
リドの動きには、なんら特殊なところは見受けられない。 普通の、良く目にする生地伸ばしの作業なのだが…
その成果は、見たこともないレベルで台上に広がっていく。
「…魔法みたい…」
アルページュさえもが感嘆していた。
さすがは世界チャンピオン。
あれは俺達には無理だ。呼んどいてよかった。
「ここから折り込みに入るわよ。バターも出来るかぎり均一に伸ばして。今日は三つ折り三回だから、このくらいの大きさで…」
リドのデモンストレーションは、生徒の羨望とともに続いていった。
「私達も負けていられないわねえ」
「そうだな」
アルページュはナイフをクルクルと器用に回すと、ポレイリ肉(お団子)を捌き始めた。
皮は思ったより薄い。
切れ込みをさらりと入れると、するりと、まるでブドウの皮のように剥きとれた。
中から出てきたのは、正に豚肉だった。
見慣れた豚肉と違うのは、当たり前だがまん丸の玉状だという事と、白い脂肪部分がベッタリと固まっているのではなく、帯状に散らばって入っているという事。いわゆる、サシが入っている、という状態だ。
「素晴らしいわ」
アルページュがうっとりとした顔をうかべて、左手の指で肉の表面をなぞった。
その指を中心あたりの一点で止めると、ナイフの切先を軽く押し当てた。
「ここね…」
呟きを合図に、細い刃が吸い込まれるように、中へと突き刺さっていく。
力を入れているようには見えない。
アルページュが軽く右腕を降ろすと、ストンと落ちた刃に切り開かれた肉が、球状からかまぼこ型へと広がった。
本来アルページュが持つフィレナイフは魚を捌くのに向いた細くて薄い刃が特徴の包丁だ。
単に切れ味が鋭いから、という理由だけでは、今の一連の動きは説明できない。
魔法みたいだ。
「どうぞ、イオリ」
俺の目の前に開いたポレイリ肉を移動させると、アルページュは次の玉に取り掛かった。
気付くと、いつのまにか俺の作業台の上には大きめの薄いバットが何枚か重ねて準備してあった。
何も頼んでないのに。
アルページュなのかリドなのか?
俺の周りの女性達は全員魔女なのかもしれない。
「そういえばノーマはどうしたの?珍しく姿が見えないけど」
「エルブジ達と一緒に会場の設営をしてもらってる」
「あら、じゃあポーちゃんがほったらかしなんじゃない?それは大変」
「心配ご無用よ!」
入口の廊下側に、足を肩幅に広げたノーマが立っている。
「ブヒヒ」
ポーちゃんは脇に抱えられたままだ。
そして右手で、バカでかいテーブルと、その上に積み上げられた何脚もの(あくまでもドアから見える範囲なのでその上にさらに重ねていれば何十脚もの)椅子を出前持ちしている。
「すみませんノーマさん、それ絶対落とさないでくださいね!床に穴が空いちゃいますから!」
あのフロントマンの叫び声が聞こえた。
「全然大丈夫です!こんなの楽勝ですよ!」
ノーマは笑い声と共に、廊下の奥へと消えていった。
あれは、魔女のカテゴリーではないな。




