致命傷
「大変残念な事ですが…」
白山外科病院の白山院長は俺の枕元に立ち、やたらと芝居がかった表情で俺を見下ろしてきた。視線だけを手にしたカルテに向けると、一度ため息を挟んで、そしてまた視線を俺に戻す。
「工藤 庵さん、気を確かに持ってください」
わざわざフルネームで呼ぶ定番フラグ、それにこれ以上ない程の真剣な眼差しを足してくる。俺が思わず唾を飲み込むと、それに反応するように白山はまた小さく息を吐きだした。
ちょっと演出がすぎないか?
「心して、聞いてください」
死ぬのか?俺は死んでしまうのか?
いや、確かに事故にあってこの病院に搬送されたのは確かだが、意識ははっきりとしているし、頭に巻かれた包帯以外は、全身どこも治療された跡はない。
「お年は今二十九歳ですか、まだこれからだというのに…」
「え?それって…」
「お仕事は…ああ、なんという事だ!これほどの不幸があるだろうか!」
「どういう…」
「ああ、神よ!」
「もういいって!」
いい加減キレて叫んだ。放っておいたら、この医者は永遠にこの小芝居を続けてしまいそうだ。
「え、聞きたいですか?」
「いや、聞きたいですよ」
「ああ、なるほど…」
「あんた、楽しんでるな」
「バカ言っちゃいけない」
白山はわざとらしく咳払いをすると、「では…」と少し残念そうに話し始めた。
「長い医者生活でこのような症例は初めてなのですが…」
そしてそこから後は、一語一句噛みしめる様にゆっくりと語り始めた。
「工藤さん、あなたの味覚は、今後一切、一生、機能しません」
「…は?」
正直、予想外だった。
「ですから、あなたは、今後、まったく、味を、感じることが、できない、という事です」
話し方のおかげで、内容はしっかりと頭の中に入ってきた。
そして、ショックが全身を包んだ。
「そんな…バカな…」
どっと汗が噴き出してきた。開けた口が、閉まらない。開けた目も、閉まらない。膝が小さく震えだした。握った拳から力が抜けていくのが分かった。
もしかしたら、死の宣言の方がまだショックが小さかったかもしれない。
俺の反応を予測していたのか、白山は小さく頷いてから、もう一度カルテに目を向けた。
「今回の事故で工藤さんは頭部に強いダメージを受けたわけですが…」
白山が説明を始めたが、今はもう頭に入ってこない。
いったいなんでこうなった?
そもそも、そんな大げさな事故ではなかったはずなのに…
昨日の夕方の事だった。はっきり言って運が悪かった。歩道を歩いていた俺は、出前から帰ってきた蕎麦屋の自転車に後方から接触された。相手の前方不注意だ。急いでいたのか、それともスマホでも見ていたのか、まあ、それはどっちでもいい。事故自体はそうたいした衝撃ではなかったのだ。だが、出前器にぶら下がった岡持ちに引っ掛けられた俺はバランスを崩して転倒。そして転倒した先にあった垂れ暖簾を固定する為のコンクリートブロックの角に頭をしこたま打ちつけてしまった、そうだ。これは後から聞いた説明で知った話で、正直俺には頭蓋骨を直接殴られたような衝撃しか覚えがない。
次に目を覚ましたのは、手術台の上だった。
「意識が戻られました」
「おお、そうか」
「工藤さん、わかりますか?」
「今から手術をします。麻酔をしますから、お気を確かに!」
数人の手術着姿が俺を覗き込んでいて、テレビでしか見たことのない無影灯がやたら眩しかった。
「…麻酔をかけるのに、お気を確かにはないだろう…」
確かそう言った覚えがある。すぐに俺の意識は暗闇に落ちた。
そして、次に目が覚めたのが病室のベッドの上だ。本当にこんなドラマみたいな事があるんだな、と思った。だが、「先生、患者さんが!」と叫んで飛び出していく看護師はいなかった。暫くボーとしてから、俺は自らナースコールを押したのだった。
さして慌てる風もなく病室に入ってきたのが、院長である白山だった。白山は無言で俺の脈をとったり、聴診器を当てたりしてから、
「ご安心ください。手術は成功しました」
と微笑みかけてきた。
思えば、この時からこいつは芝居掛った演出をしていたような気がする。とにもかくにも、脳内出血まで引き起こした事故のケガは、優秀な医療チームによって治療され、俺は一命をとりとめた。そして、一夜明けた今、主治医である白川院長による病状説明を受けるに至った。
わけだが…
「あの、そんな自覚は…」
そう言いかけて、はっと気がついた。朝食として提供された3分粥、確かに味も素っ気もなかった。手術明けの病院食だからそんなもんだろう、と思っていたのだが。
そういえば、食事中ずっと年配の看護婦が付きっきりでいてくれて、一口食べるごとに
「お味はどうですか?」
と聞いてきたので、そのたびに少し冗談めかして、
「いやぁ、味も素っ気もないですね」
と正直に答えていたのだが…
「…冗談じゃなかったのか…」
その言葉に白山が、
「はい、冗談ではなかったんですね~」
と、にこにこ顔で応えてくれた。
その顔に、無性にムカついた。