今度は徳島を視察する
中村からわざわざ徳島を視察するなんて、領内が安定していないとできない。
今日は城と吉野川付け替え工事の様子を見るために、ここを訪れたものである。
普請奉行は、細川備前守(定輔)という、長宗我部家臣だった男だ。
「しかし、広い川を作るのじゃのう・・・」
「はい、川幅約半里です。今の吉野川より相当大きいです。」
「それは、敵も越えて来れぬのう。」
「はい、そこから出た土は新たな堤防と干拓に使います。」
「しかし、石も大量に必要であろう?」
「はい。眉山や勢見から持ち込んでおります。」
「これで、この一帯の大水は少なくなるのじゃろうな。」
「はい。これまで蛇行していた川を真っ直ぐ海に流しますし、城より南の川も吉野川に繋ぐことなく海へ流れ込みますので。」
「そして、下を流れる助任川が城の外堀で、南の田宮川も改修して堀とします。」
「間の中州に城下町を作るのでおじゃるな。」
「はい、四方を川で取り囲んでおりますので、防御は万全です。」
「なるほど。河内よりは早く完成しそうじゃな。」
「いえ。吉野川の掘削は大普請なれば、そうは簡単に行きません。」
「そうじゃったのう。これも、麿が生きているうちに、形になるのかのう。」
「何とか十年でおよその形が見えるようにできればと思います。」
「ところで、町はこの中州だけでおじゃるか?」
「いいえ、南の富田、東の二つの中州、北の興源寺周辺までは町とし、それぞれを川で区切って防御を高めます。それと、干拓は沖州や津田山までできればと考えております。あそこに見える山です。」
「気が遠くなるのう。それで、吉野川の向こうは田畑にするのかの。」
「はい。低湿地が多いので、大規模に新田開発を行います。吉野川や支流が入り組んでいて、攻められた際も敵の進軍経路を大幅に限定できます。」
「城の縄張りは決まっておるのかのう。」
「はい。山を中心に城地は南に拡がる形です。内堀は助任川から引き、ほぼ全周を囲み、大手は東、虎口は西と南にする予定でございます。」
「ここも中村など比較にならぬほどの町が出来上がるのう。」
「お任せ下さい。必ずや成して見せます。」
この後、掘削中の吉野川予定地と付近に点在する中州を見て、白地城に向かう。
こちらは、中村衆である興左馬進を普請奉行に充てている。
「随分山が城らしくなったのう。」
「はい、これまでの城は石垣を積んで一つの曲輪とし、兵の詰所及び土佐街道へ鉄砲を撃ち下ろす施設とします。」
「こんな所に鉄砲兵を置かれたら、とても通れんのう。」
「そして、出城である太鼓山も一つの曲輪として取り込み、銃座と砲台を設置します。白地城の上は尾根の頂上まで、現在の郭を含めて四箇所の曲輪を設け、さらに頂上から北に降りる峰、かつて我々が攻め上がった天神山に伊予街道へ撃ち下ろす砲台を作りました。今はその下を囲む石積みを組み上げている所です。」
「こんな巨大な山城、見たことないぞよ。」
「堅堀を設けると、さらに壮大になりますな。」
多分、小谷城や春日山城クラスだ。
「間道はどうなっておる?」
「はい。土佐の豊永から山中に上がり、白地城の二ノ曲輪に出るように作っている最中です。例え、敵に道の存在が知られたとしても、土佐と白地城の間でしか使い道はございません。」
「うむ。良いぞ。ここと由岐坂を固めれば、畿内方面から土佐に攻め込むことは事実上不可能じゃ。」
「まだ京柱や四ツ足に峠がございますが。」
「どちらも秘境よの。」
「はい。難所続きで、あのような峠を大軍が移動した例は無いでしょう。」
「よくやったでおじゃる。引き続き、よろしく頼むぞよ。」
『壮大過ぎて、麿が生きている間に出来るかどうか分からぬ物ばかりじゃが、取りあえずは上手く事が運んでおるようじゃのう。』
『そうだな。徳島に白地、さらには先日見た河内や松山、来島も城塞化が進んでいる。相当な大軍でも攻めあぐねるだろう。』
『なら、本州に出て行っても良いのう。』
『油断してはならん。城の防御だけで守り切れるものではない。前に言ったとおり、心、内、外、大外全てが万全でないといつかは負ける。』
『そうじゃった。そうであったぞ。毛利は怖い相手ぞよ。』
『そうだ。ただし、我々が力を付けていることは事実だし、他家が戦をしている最中に、力を蓄えておけるというのは、後々大きな差を生む。』
『三好相手なら良い勝負ができるのう。』
『取りあえず三好は後回しで、それより力の劣る赤松や浦上に見定めた方が良いと思うぞ。』
『そうでおじゃるな。それで間者の報告を待つと言う話であったのう。』
『そうだ。まずは、敵に付け入る隙が無いかを調べ、さらに調略をしかける。常にこの繰り返しだ。』
『承知したぞよ。任せておけでおじゃる。』
どうせすぐ忘れて調子に乗るだろうが、こちらが都度注意していけばいいだろう。
基本、素直だし・・・




