万千代、京に旅立つ
永禄七年(1564)1月
嫡男万千代が五歳となった翌月、かねてからの約束のとおり、京の本家に修養のため向かうことになった。
本人もまだ意味はよく分かってはいないだろうが、お出掛けとあって機嫌が良い。
だが、残念ながら乳飲み子を抱えるお松や妊娠中のお秀は同行できず、兼定と、良く見知った女中数名を伴うこととなった。
また、以前京に上ったときと違い、特に三好と微妙な関係になったため、堺までは南蛮船、堺からは宍喰屋徳兵衛の商隊に混ざって行く事となった。
そして、これは大きな意味を持つ。
史実では、一条家当主内基がこの翌年、土佐に赴くが、用件は兼定を隠居させるためとも言われている。
もちろん、当時と今では状況が全く異なるが、一つ間違えれば即危機に陥ることには違いない。
「では万千代。道中父を困らせてはなりませんよ。」
「母上は行かないのです?」
「まだ鞠に旅は無理ですからね。仕方ありません。ごめんなさいね。」
「万千代は兄者であるからのう。ここは我慢じゃの。」
「はい。仕方おじゃらぬ。」
「あにうえ、いいな~。雅もいきたいな~。」
「えへへ。雅もおりこうさんになったら行けるぞよ。」
「万千代様、これは道中でお食べ下さい。大好きなお菓子です。」
「お秀、ありがとう。いっぱいおみやげかってくるね。」
「だっこ・・・」
「志東丸もおりこうさんにするのじゃぞ。」
「キャッキャッ!」
「では皆の者、行ってまいるぞよ。」
お松とお秀は気丈に振る舞っていたが、牛車が動き出すと涙を堪えることができなかった。
「お雅、志東丸、本当にありがとう。あななたちのお陰で、良いお見送りができました。」
「はい。かかさまどっかいたくなったの?」
「いいえ、大丈夫ですよ。みんながお利口さんだから、嬉しくなったのですよ。」
「おひでも?」
「もちろんです。志東丸様も、とても偉かったですよ。」
「でも、都まで駄々をこねずに行けるでしょうか。」
「御所様がおられるので、きっと楽しい旅になるでしょう。」
宿毛から船に乗り、堺まではどこにも寄港しない。
そこはさすがに南蛮の船だ。
「父上、水がいっぱいでおじゃりますなあ。」
「そうか。海を見るのは初めてでおじゃったか。せっかく近くに住んでいたのじゃから、見ておけば良かったのう。」
「あそこは、人が住めるでおじゃるか?」
「あの小さい島では無理かも知れぬのう。もう少し行くと、きっと大きな島があると思うぞよ。」
「父上、あそこ!」
「これこれ、手を離しては危ないぞよ。お船の中ではいつも父と手を繋いでおかないといけないのじゃ。」
「それは、父上が危ないからでおじゃるか?」
「そ、そうじゃ。父が怖くてしかたがないゆえ、手を離さないで欲しいのじゃ。」
「父上も苦手なことがあったのでおじゃりますな。」
「麿は万千代がおらぬと何もできんでおじゃる。」
「では、万千代が守ってあげるぞよ。心配はいらぬでおじゃる。」
「まあ、そういうことにしておくぞよ。」
堺で一泊して都へ。海路を使うと京都まで10日。
風待ちさえしなければ、もっと早く着いたはずだ。
「義兄上、万千代と共に参りましたぞよ。万千代、これからお世話になる総領様じゃ。」
「万千代でおじゃります。どうぞ、よろしく・・・お願い申すでおじゃる。」
「よう参ったの。ささ、中に入るが良い。」
「京は久方振りでおじゃる。」
「まあ、最近は色々物騒ではおじゃるが、ここは安全ゆえ、ゆるりとしていくがよいぞ。それと万千代、これからは麿も父と呼ぶのじゃぞ。」
「総領様もお父上なのでおじゃりますか?」
「そうじゃ。父が二人になるのじゃぞ。」
「嬉しいぞよ。麿は父も母もいっぱいがいいぞよ。」
「良い子じゃ。本当に素直で良い目をしておるのう。」
「麿の子ゆえ・・・いや、お松のお陰かのう・・・」
「お主では無いように思えるのう。」
「またまた総領様~、それはいくら何でも無いでおじゃるよ。」
「まあ、戯れはこのくらいにして、酒の用意をしておるゆえ、今夜はゆっくり飲もうぞ。」
「有り難きことにおじゃりまする。それと、これは手土産で、我が領地で作った茶碗でおじゃる。ようやく出来ましたのじゃ。」
「ほう、これはげに面白い色合いよの。今度早速使ってみることにするぞよ。」
「万千代は寝てしもうたの。」
「さすがに疲れたのでおじゃろうな。夕餉まで時間もあるし、寝かせておくとよいぞ。」
こうして、二週間ほど滞在し、中村に帰ることとなる。
さすがにこの時ばかりは駄々をこねられて大変だったが・・・




