万千代とのひととき
夏を迎え、どの家臣も当家の仕事と領地の仕事で多忙を極めているようだが、幸いな事に今年は天候にも恵まれ、これといった災害も発生していないので、比較的穏やかといえる。
そんな昨今であるが、万千代が都に行くまで半年を切った。
彼もまだ親に甘えたい年頃だし、親にとっても残された時間は貴重なものだ。
「ちちうえ~、あのバッタつかまえて~!」
「おお良いぞ。父が見事捕まえてやるぞよ。」
兼定は庭中かけずり回り、ようやくバッタを確保する。
「さすがちちうえでおじゃる。」
「そうであろう。何でも父に言うと良いぞ。」
「まあまあ。まるで武家の子のようですね。」
「半分はお松の血を受け継いでおるからのう。虫好きも不思議なことではあるまい。」
「私はあまり虫が得意ではありませんが。」
「そうか?そなたにも得意でないことがあるのじゃな。」
「きっと万千代は御所様に似たのだと思います。」
「万千代よ。そなたは父に似たらしいぞよ?」
「う~ん、麿は母上に似ている方がうれしいぞよ。」
「何と、そのような寂しいことを・・・」
「でも、おちちうえに似ていても、ちょっとだけうれしいぞよ。」
「ちょっとだけなのか・・・麿にはお雅と志東丸しかいなくなったぞよ・・・」
「そのようなことはございません。子供たちは皆、お父上が大好きでございます。」
「そうか?それなら父もちょっとだけ元気が出るぞよ。」
「ととさま、だっこ。」
「良いぞ良いぞ。みんな父がだっこしやるぞよ。」
こうして子供が全員親の元に集まる。
時代を問わず、こういう家族の微笑ましい姿はいいと感じる。
「万千代よ、かかさまと離れ離れになったら、悲しいか?」
「麿はかかさまと一緒がよいでおじゃります。」
「そうよの。まだ四つと半じゃからのう。父が決めたこととは言え、寂しいことよのう。」
「麿は父上と母上と一緒では無くなるのでおじゃりまするか?」
「そうなのじゃ。済まぬ事をしてしもうたが、向こうもいい人ばかりじゃから、たんと学んで、父と母を喜ばせて欲しいのじゃ。」
「うん。麿はがんばるぞよ。」
恐らく、事情は飲み込めていないと思う。
それに寂しくて泣かずにはいられないことも一度や二度ではあるまい。
同じ経験をした兼定でさえ、あれほど済まなそうにしているのだ。
きっとこの時代の人質が当たり前の世界の住人であっても、人生の大きな節目であることは間違いないだろう。
そして、いつかは万千代もこの意味を悟ることとなる。
「十年じゃ。元服すればまた、一緒に暮らすことができるぞ。」
「十年は一年がいくつでおじゃるか?」
「十じゃ。その間に美味いものが何度も食べられるし、たくさん楽しい事もあるし、父に負けないくらい、身体も大きくなるぞよ。」
「すごいでおじゃる。早く十年が経てばうれしいでおじゃる。」
「そうよのう。でも、あまりに楽しいことが多すぎて、ここに戻って来たくなくなってしまうかも知れぬのう。」
「万千代は帰って来たくなくなるのでおじゃるか?」
「それは分からぬが、そうなるかも知れぬ。もしそうなったら、父と母がそなたの所に遊びにいくぞよ。」
「それなら寂しくないでおじゃる。」
「そうですね。母も万千代が元気で大きくなってくれると、とっても嬉しいです。」
「では、母上のために、麿もがんばるとしよう。」
「万千代、お父上のためにも、ですよ。」
「分かり申したでおじゃる。」
「では、そろそろ昼寝の時間じゃぞ。」
「みなと一緒がよいぞよ。」
「分かった。今日は皆一緒にお昼寝でおじゃる。お松もあまり無理せぬようにな。」
「はい。ありがとうございます。では、お言葉に甘えて休ませていただきます。」
『ようやく皆寝付いてくれたの。そろそろ麿も寝ようかの。』
『暑くないのか?』
『そりゃあ夏は暑いのが当たり前じゃぞ。むしろ、暑いから寝てやり過ごすのじゃぞ?』
『そう言われてみれば、合理的かもな。』
『それにしても、皆、良い寝顔じゃ。』
『幸せそうだな。万千代も良い夢を見ているのか、満足そうな顔じゃないか。』
『これはきっと、麿のような温厚で高貴な男になるぞよ。』
『まあ、子供の顔を見て、そう言えるのなら、親としては合格だな。』
『今はできるだけ甘えさせてあげたいぞよ。』
『それでいいと思うぞ。それに、少将がこれほど子煩悩で優しい者とは知らなかったからな。良いことを知った。』
『一体、麿はどこまで悪評だらけじゃったのか・・・』
『しかし、そなたの家族はそれを否定してくれる。それでいいじゃないか。』
『そうよの。それで良い。』




