初陣
弘治3年(1557)10月
この年、一条氏は全軍を招集し、この春奪われた蓮池城の奪還に動いた。
その兵力およそ6千。いきなりのほぼ全軍である。
まず、領内各地の兵を須崎城に集結させた後、東に進軍し、蓮池城を取り囲んだ。
蓮池城は標高30mほどの小山である。元は大平氏の居城であったが、父の代に降り、当家の領地となったが、春先に本山氏に奪われていたものである。
城内にはおよそ200の兵が立て籠もる。これを約千の兵で取り囲み、兼定は、いや、土居宗珊は残りの兵を率いて少し東の仁淀川河畔に陣を敷いた。
「御所様、ここで本山方を迎え撃つおつもりで。」
「その通り。すでに長宗我部には使者を送った。程なく奴も兵を起こすであろう。」
「もし、起こさぬ場合はいかがなさいましょう。」
「彼奴も一条に大恩のある身。応じなければ不義理を責めてやるわ。」
「なるほど、確かに出ざるを得ない状況ですな。」
「そうは言っても、どうせ勝ち馬にしか乗って来ぬでおじゃろう。その間に旨みのある地は、全てこちらの手中に収めてしまえば良い。」
「承知。」
「それと、本山が来た場合は、麿が囮となる。全軍の指揮はそちに任せるゆえ、乱れた敵を崩すことのみ考えるのじゃ。」
「お待ち下さい。御所様を囮だなどと、そのようなことは出来ませぬ。」
「宗珊よ、麿を信じよ。この神懸かった麿を。」
『思わず言わされてしまったが、本当に大丈夫なのだよのう?』
『いや、懸命に逃げなければ一巻の終わりだぞ。』
『待て、話が違うではないかっ!麿は馬にも乗れぬのじゃぞ。』
『鍛錬していない少将が悪い。』
『馬に乗れる公卿の方が珍しいではないか。』
こんな下らないやり取りをしているのには理由がある。
このゲーム、どんなに強兵であっても、率いている武将が弱ければ弱くなるのだ。
統率12の兼定では、5千の兵を率いても、千の敵に負けること請け合いである。
ここは一条家有数の戦闘力を誇る宗珊に全軍を任せ、僅かな兵で囮になる程度の使い道しか無いのだ。
その程度の価値しか私がプレイしている武将には無い。
では、何故そんな彼を戦場に連れて来たかというと、一つは全軍の士気を上げるため、そして神懸かりの演出、そしてもう一つは彼に初陣をさせ、箔を付けるためである。
まあ、かなり無茶なのは承知の上だが、所詮は夢の中のゲームである。
程なく本山側の兵が集結してきた。数はおよそ千五百といったところか。
長宗我部に対する備えの必要性や、時間が無かったことを考えると至極妥当な数である。
今は仁淀川を挟んで対峙している。
「ただ今、本山側から使者が参っております。」
「うむ。宗珊、任せたぞ。」
「御意。」
相手方は蓮池城を渡すので、兵を引くように要求してきたので断った。
同時に、蓮池城には、本山が見捨てた旨を伝えて降伏を勧告したらあっさり応じた。
「では、作戦通りに行くぞよ。皆、付いて参れ!」
「おうっ!」
兼定は約50騎ほどを率いて最前線に出る。
いや、彼は一番大柄な馬に乗った将の背中にくくりつけられているのだが・・・
「臆病千万の本山の弱兵よ!、我らが総大将が、そなたらの情けない死に様を見に来たぞ!悔しかったらかかって来い!」
大将旗を持った将が叫ぶ。
こんな安い挑発に乗ってくれるかどうか心配もあったが、敵方にしても、後ろの長宗我部は気になるだろう。ここで睨み合って益が無いことくらいは分かるだろうと踏んだ。
『のうのう、こんなことをして大丈夫かのう。』
『一度でダメなら二度三度やれば良い。どうせこんな河原で兵を伏せる場所は無い。』
『しかしのう、こんなことは前代未聞ではおじゃらぬか?』
『これで来なければ末代まで笑いぐさよ、とでも言ってやれ。』
これに怒った本山軍は渡河を開始する。
兼定は当初の打ち合わせどおりに敵を引きつけつつ上流側に逃げる。
ここに宗珊率いる本隊が横から攻撃を加えると、敵は堪らず退却を始める。
『怖かったぞよ~、ちょっと漏らしたではないか~!』
『しかし、味方は勝ったようだぞ。この勢いで一気に仁淀川を渡り、吉良城を囲めば良い。』
『大じゃぞ!大の方じゃぞ!』
陣を捨てた本山方に依って立つ場所などない。
敵の物資を頂戴しつつ、川からほど近い吉良城を取り囲むと同時に、近隣の城主にこちらに付くよう働きかける。
「御所様、これはお味方大勝利にございます。」
「百程度は敵の首を取ったそうじゃの。」
「ええ、これからこちらに降る領主も出てくるでしょうし、ここから本山方が盛り返すのは相当難しいと考えます。」
「そうよの、ここは元々本山に騙し討ちで滅ぼされた吉良の領地ゆえ、内心ではこちらに付きたがっていた者も多かろう。」
「はい。この吉良城もさほど長くは持ちますまい。」
「そうよの。そう考えると、儚いものよの。」
何とか、初陣は勝利で飾った。