毛利から苦情が来る
永禄六年(1563)1月
年が明けて早くも一月が経とうする頃、お松の方が早くも四人目の懐妊をしたことが分かった。
また、長宗我部家でも嫡男元親が家督を継いだ。
それを見届けて、お秀の方と、葬儀のために岡豊を訪れていた羽生監物が中村に帰ってきた日、毛利からまたしても使者が来訪した。
「それがし、小早川又四郎の配下で、浦兵部新四郎(乃美宗勝)と申す者。本日は御当主様にお目通りが叶い、光栄至極に存じます。」
「よいよい。既に我らと毛利は盟友も同然。それに、大友殿との和睦も大層目出度い事じゃった。して、此度の御用向きは何かのう?」
「はい。他でもない、瀬戸の仕置きについてでございます。聞けば一条家では駄別料と過所旗を廃止し、船が自由に来島を通行しているやに聞きます。その影響で、因島を通る船が激減し、海賊衆は大いに迷惑しているところでございます。」
「迷惑とは心外よのう。麿は誰もが自由に通行できれば、商いがさらに盛んになると思ってやっていることぞよ。」
「しかし、それでは通行料によって生計を立てる者、海賊衆のお陰で航海の安全を約束されている船乗りにも悪い影響を与えることになります。」
よく言うよ。みんな喜んでいるのに。
「何故かのう。来島でも能島でも特に困ったという話は聞いておらぬ。何故因島だけかのう?」
「それは、皆が来島を通るようになったためでございます。」
「しかし浦殿、元々博多から堺に向かう最短の航路が来島瀬戸なのじゃ。駄別料の有無に係わらず、従前からここを通る船が最も多かったことは事実であろう?」
「因島だけではございません。安芸津や尾道といった港を利用する者も減っており、船が皆、四国側を通っていることは明白でございます。」
「浦殿、ちと待たれよ。何やら我らが悪い事をしているような言い振りであるが、我らはただ、商人たちに便宜を図ってやっただけぞよ。」
「しかし、このままでは因島も当方の港で商いする者も立ちゆきません。」
「ならば、因島でも通行をタダにしてやればよいぞよ。」
「そんなこと、できる訳がございません。」
「当家も、一度廃止した物を元に戻したら信用が無くなってしまうから無理じゃぞ。」
「しからば、いかがするおつもりか。」
「一番良いのは、毛利殿の領地においても自由に通行できるようにするのが一番ぞ。先ほどそなたが言っていたことが正しければ、通行料だけでなく、港町の活気そのものに商人が影響を及ぼしているのじゃろう?ならば、関所と町の活気、天秤に掛けて得する方を取れば良い。当家が商人に便宜を図ったのも、そちらの益の方が大きいと判断した結果じゃし、毛利殿も同じことをすれば、結果として多くの租税が入ることになるじゃろうて。」
「それは、その・・・」
「もちろん、こんなことを今ここで決めることなどできまい。御主君と諮って、毛利家が一番儲ける手立てを講じれば良いと思うのじゃが、いかがかのう。」
「分かり申した。今一度持ち帰り、相談したいと存じます。」
「麿も朝令暮改はできぬ。そのことよくよく参酌してたもれ。」
「確かに・・・承りました・・・」
『のうのう、またまた神懸かってしまったではないか。』
『見事にのらりくらりやってしまったな。』
『面白いのう。皆、どんどん麿の話術に引っかかる。』
もしかして、これが兼定のスキル?
『まあ、我の言葉をオウム返ししているだけなのは事実だが、そなたの表情には得も言われぬ味があるな。』
『言葉だけではいかんぞよ。目は口ほどにものを言うからのう。麿の哀願に皆、コロリと騙される。まるで麿が神懸かっていることを忘れたかのように。』
いや、神懸かっているのは噂だけだから。
『しかし、こうやって引き延ばしておれば良いのか?』
『ああ、最初も言ったとおり、上手く行けば、毛利が気づいた時には、こちらに攻め込む手段を失っているはずだ。これから因島も衰えていくことになる。』
『しかし、せっかく土佐沖を通るようになった船も、瀬戸に回帰してしまうのではないか?』
『まだ塩飽や日生ではそれぞれの海賊が徴収しているからな。それに、明国や琉球から直接堺に行くなら、土佐沖の方が早い。』
『それなら大丈夫じゃのう。』
『だが、毛利と言えば暗殺と闇討ちが十八番だ。気を付けろよ。』
『それは怖いのう。まあ、公家でもそういう者はおるが。』
『まあ、今日のところはこれでお開きだ。』
また一つ、兼定なのに難局を乗り切ってしまった・・・




