戦後処理
さて、困難が予想された海での戦いであったが、圧倒的な兵力差と、実際の効果が凄く怪しい大筒のハッタリによって大勝した一条軍は、降将である村上右衛門太夫(通康)と村上掃部頭(武吉)を引き連れて松山に凱旋した。
そして、まだ城下が戦特有のざわめきを残している9月29日、湯築城内の中檀にて両将と会見した。
「ほう、そちらが海賊の親玉か。」
「はい。それがしは来島城主、村上右衛門にございます。」
「同じく、能島城主村上掃部と申す。」
通康の方はかなり緊張した面持ちである。
それは、戦って敗れた者と、途中で降伏した者の差でもあろう。
しかし、今回の会見、御殿内ではなくその庭先で行っている。
まるでお奉行様と罪人のようであり、そのせいか武吉も緊張の色を隠せないでいる。
「では、此度の戦の責により、両名には腹を召してもらうぞよ。」
「そ、それはあまりに苛烈な仕置きにございます。」
「右衛門は覚悟の上であろう。我が領地の目の前で好き勝手し、全く恭順の意を示さず歯向かったのじゃからのう。」
「・・・・」
「しかし、我が能島衆は恭順の意を示しましたぞ。」
「麿が海賊ごときの忠義を信じると思うたか?そちらは戦の度に主を変えておるではないか。どうせ毛利が攻めてくれば、そちらに寝返るであろう?」
「そのような事はございませぬ。これまで一条家とは疎遠であり、それについては深くお詫び申し上げる所ではありますが、本来、降将の領地は安堵するが常にございます。」
「それは相手が武士の場合じゃ。信念無き賊に、それは当たらぬ。」
「それはあまりと言えばあんまりな事でございまする。」
「心配いたすな。そちらの子の一命は助命し、中村にて養育する。」
「何卒ご再考をお願いいたしまする。」
「ほれ見ろ。武士なら子の助命を聞いたところで受け入れるぞよ。精々辞世の句でも考えておれ。引っ立てよ。」
これで、長らく来島、能島を率いた両将は切腹。
同時に両家の有力な家臣である下嶋や桧垣らも処断したことで、村上水軍は壊滅した。
その後は一条家直轄領として河野水軍を配置し、海上戦力の刷新を図る。
『しかし、あれは麿も厳し過ぎると思うたぞよ。』
『彼らは必ず裏切る。何故なら彼らに裏切るという意識は無く、勝つ方に付くのが自然だからだ。』
『しかし、それはどの城主でも似たようなものじゃと思うがのう。』
その通りである。実際、本山であれ河野であれ、主力同士がぶつかった初戦以降、戦わずに降った城主は多い。
むしろ、これほど主家のために命を賭ける者が少ないのか、という驚きもあった。
そんな彼らは大義や義理を良く口にするが、それは勝って生き残るという超実利的な彼らの建前に過ぎない。
確かに大義で人は集まるが、その結束はあまりに脆い。
調略と言えば知恵の回る者が深慮遠謀の末に繰り出す逆転の一手、というイメージがあるが、実際は知力7でも繰り出せる通常攻撃に過ぎない。
死があまりに近い世情なので、やむを得ないことなのだろうが・・・
『海賊は特に独立性が強い。陸と違って強力な権力の下で社会を構築した経験が無いからな。これをせめて各城主並に改善するには、一条家直轄地として治め、海賊衆を強力に統率するしかないのだ。』
『法華津や御荘は、そんな頻繁に裏切るような感じは無いぞよ。』
『彼らは海賊衆というよりは、海賊を配下に持つ城主といった性格の者達だから多少マシなだけだ。河野水軍がまともなのも、河野家配下の海賊衆だったからだ。これを変えるには村上水軍の気風を作り替えるしかない。』
『そういうことなのでおじゃるか。』
『一時的な弱体化は避けられないが、ここぞという時に寝返られては敵わん。』
『ちゃんと考えられていたのじゃのう。』
『村上の子らも家名は残すが、海からは切り離す。きちんと育てば、少しばかり領地をくれてやっても良いだろう。』
『そうすることにするぞよ。』
『では、中村に帰ろうか。』
『やっと帰れるか。此度も終わってみれば大勝利じゃ。』
『これからは、瀬戸を通る船のほとんどが来島海峡を通航することになる。近辺の今治や西条の港を整備し、金が落ちるようにしなければな。』
『そうよの。わざわざ余計な出費をするために三原や因島に近付く必要はないからのう。』
『と言うことで、これからも忙しいぞ。』
『敵前を馬で横切ることに比べれば、どうということは無いぞよ。』
『そうだな。』
こうして戦後処理も終わり、10月10日に中村に帰還する。
すると、数日後に毛利から使者が来たとの知らせが入る。
聞けば小早川隆景が来たとのこと。
そりゃそうなるか、と思いつつも初手から大物が来ちゃったなとちょっとビビる。
何と言っても知勇兼備の才人だ。
兼定はもちろん、一般人でしか無い私に交渉ができるのか、かなり不安である。




