台風が来た
さて、お松の方が三度目の子を宿してしばらく後、領内が激しい風雨に見舞われた。
ちょっとした嵐は毎年のことだが、今年はかなり凄かった。
「それで、被害はどのような具合かのう?」
「はい。中村に於いては渡川と中筋川が同時に氾濫し、具同、安並、平田辺りは一面湖のようになっております。」
「稲刈りも進んでおったと思うが。」
「いいえ。7割ほどは稲刈り前だったために、被害は甚大にございます。」
「民はだいぶ亡くなったのかのう。」
「それはこれからにございますが、恐らく相当多くの民が流されたと考えられます。」
「御所の屋根も一部壊れてしもうたからのう。」
「それについては至急、修繕させまする。」
「頼んだぞよ。」
結局、状況の把握に二ヶ月以上を要し、判明した所をまとめると、被害は幡多から伊予の中心部にかけて、つまり当家の直轄地を中心に被害が出ている模様。
中村以外では、肱川が氾濫し、低地にある大洲も大きな被害を受けたほか、家屋損壊、土砂災害も合わせ、約二千名の死者がでたようである。
この時代の二千人だから、現在なら数万人クラスの大災害である。
長宗我部や安芸領なら知らないフリ出来たのに、なんて言っている場合ではない。
収穫量の減少、交通の途絶など、今までの苦労がすっかり水に流されたような感じである。
だいたい、このゲームの災害は、「さあこれから」というタイミングで起きる。
しかも、プレイヤーはしっかり打撃を受けるのに、CPUの方はちょっと数字が減っている程度の事が大きい。
そういう不公平、ホントやめて欲しい。
そして、兼定も各地を巡って城主や民を鼓舞している。
『戦どころでは無くなったのう。』
『そうだな。完全に元に戻るためには5年とか必要だろうな。』
『5年も立ち止まってはおれぬぞよ。』
『今回、被害が軽微だった地方の領主に頑張ってもらうしかないだろう。』
『そうよのう。しかし、フランキ砲がまだ入手できておらぬし、試し撃ちも必要なのじゃろう?』
『そうだな。いずれにしてもこの秋と冬は大人しくするしかないな。』
『冬を越せると良いのじゃが。』
『ある程度は兵糧米を出すことも考えておかないとな。』
『宗珊たちに相談か。』
『民部(土居清宗)の所は被害が大きかったから、賛成してくれるぞ。それに、こういう時に家臣の支持を得ることは、いざという時の助けになる。』
『まあ、そういう風に考えるほかないのう。それにしても酷い有様じゃ。』
『冬は復旧とともに治水も本格的にやらねばな。』
『百姓達も反対せんであろう。』
『ああ。中村の町に被害がほとんど無かったのは、ここだけ治水が完了していたお陰だしな。これを見たら民にも一目瞭然だ。』
『中村の民は感謝しておったしな。』
『どう思った。』
『嬉しかったぞよ。まさか当主としての仕事で民に礼を言われるとは思わなかったからのう。』
『そういうのが大事だぞ。そして、具同や平田の光景を酷い有様と思うその感覚は、政を行う者として不可欠なものだ。』
『麿にはあるのじゃな。』
『ああ、それが名君の資質だ。決して忘れぬことだ。』
『何だか今日は、悪霊が良い霊に思えるぞ。』
『こんなときに冗談が言えるほど、我は冷酷ではないぞ。』
『そ、そうよの。麿も気をつけるぞ。』
何か、兼定も良い感じに成長してきたじゃないだろうか。
これが史実なら、いくら何でもあの書かれ方はされずに済んだだろうに。
ともかく、大きな混乱と足踏みはしたが、それが領主批判に繋がることなく、徐々に収拾していった。
また、冬の間に領民を動員して復旧や堤防建設に取り組んだ。
どさくさに紛れて、ほとんど領民のボランティアで事業を行うことができたのは、せめてもの救いだったが、その代わり、かなりの兵糧を供出するはめになった。
また、年末にフランキ砲が3門、宿毛に到着した。
何でもマラッカの城塞に設置してあったものを取り外して持ってきたとのことであった。
ちなみにお値段はピッタリ三千貫。現在の価値は良く分からないが、二億円は超えていると思う。
中古だし、多分安くしてくれたのだとは思うが高い。
これに玉が別途で若干の金を取られた。
絶対に国産化しようと心に誓った。
そして、試射や習熟を春まで行ったため、戦を仕掛けることはできなかった。




