評定を開く
永禄四年(1561)1月
さて、直臣による評定が新年の挨拶の後、初めて開かれる。
昨年は兼定が長期離脱していたので、開催ができなかったものである。
かなり遠方からの参加者もあるが、できれば半年に一回くらいは開催したい。
「では皆の衆、改めて新年が明けて目出度く思う。こうして皆の息災な顔を見られること、麿も嬉しゅう思うぞ。」
「では、議事の進行は、家老であるこの羽生監物が承る。此度の提案については、答えがその場で出るものについては、為松殿、安並殿と協議の上、この場で出し、審議するものについては後日、その結果を示すものとする。そして、筆頭家老様、御所様採択の後、実行に移されるので、その旨あらかじめご承知置き願う。」
「御意。」
「では、民部担当の土居殿、報告と提案をお願いする。」
「蜜柑と橙については、伊予国内でも本格的に栽培を始めました。また、柚についても栽培を奨励するのが良いと存じます。また、新田については、この秋に百町歩ほど新たに開拓されたと報告がありました。また、大友殿に南蛮商人の来訪について口添えを依頼しております。」
「よろしい。では兵部担当の依岡殿、報告を。」
「兵については順調に教練を行っております。それと宮内少輔殿の領地で行っている一領具足の制度を領内全土に広めることを提案いたしまする。」
「ほう、百姓や地侍を活用したあれか。為松殿、安並殿、これは即断でよろしいですな。」
「異論はござらん。」
「依岡殿、大儀であった。これはすぐさま筆頭家老様へ上申するものとする。では、刑部担当の安芸殿、何か報告があればであるが。」
「領内の不埒な賊については都度、兵を送り討伐してござる。領内の法については、掟書の完成に今後とも尽力する所存。」
「了解した。では式部担当の河野殿からは何かあるか。」
「はっ、五月に茶会をいたしたいと考えております。また、よろしければ定例の歌会なども開くことが出来ればと考えております。」
「了解した。これは御所様とも相談し、追って知らせる。では、申次の西園寺殿、何かございますかな。」
「先般の戦について、大友殿に御礼申し上げたところ、大変お喜びでございました。今後、毛利とも水面下で不戦について協議し、同時に村上水軍との和睦も模索したいと考えておりまする。」
「さすがでございますな。では、番頭の長宗我部殿、報告などあれば。」
「はい。三好方の諸将については、今のところこちらに靡く気配はなし、ただし、阿波の海部や大西などは生来惑うこと多しとの評を聞きます。まずは密かに会い、上納などの現状を調べたく存じます。」
「そうであるな。これも為松殿、安並殿、上申してよろしいですな。」
「承知した。」
「では、作事の窪川殿、報告を。」
「はっ。中村の堤防につきましては、田植えまでには完了する見込み。また、須崎の港についても同様に完成する運びとなっております。今は勝山(松山城)の縄張りを行っております。」
「引き続き頼んだぞ。では寺社担当の津野殿、何かございますかな。」
「今のところ、特に問題は無く、一向宗の寺にも特段の動きはございません。」
「分かった。では鉄砲方の加久見殿は報告ありますかな。」
「鉄砲は何とか月二十丁は作れるようになりました。さらに職人を増やし、今年中にこれを三十にまで増やす所存。」
「あい分かった。では最後に兵糧方の金子殿、報告を」
「現在、米、麦、雑穀合わせて一月分を目安に備蓄するよう、各城主に指示しておりますが、できればこれを今年は倍に増やしたいと考えます。」
「これ以上、年貢を引き上げる訳にはまいらぬが、それについてはどう考える。」
「城主あるいはご本家買い取りであれば、逆に民も喜びましょう。」
「堺で買うても良いのう。」
「分かった。これも検討するものとしよう。」
こうして、初めての評議は終わった。
「御所様、評議はいかがでございましたか。」
「そうじゃの。初めてなので麿も出席してみたが、儀礼的に過ぎぬか?」
「皆、家中での立場を確保しようと必死なのではございませんか?」
「しかし、評議衆同士の意見が交換されておらん。皆、羽生の顔色を窺っていただけでは無いか。」
「まあ、それはある程度こなれるまで仕方ございませんな。」
「次からは麿も宗珊も出ぬゆえ、もっと忌憚なく発言できるように努めよ。」
「以後、気をつけます。」
「それと、評議とは別に、蜜柑は掛け合わせてより良いものに改良するよう命じよ。それと馬も体躯の大なるもの同士を掛け合わせよ。土佐のものも伊予のものも小さすぎる。」
「分かりました。」
「残る提案はそちらに任せる。」
「お任せ下され。」
『さすがに馬の小ささには気が付いたか。』
『麿が乗るわけでは無いからの。いくら大きくとも良い。』
『たまには鍛錬しろよ。』
『土佐駒なら良いが、畿内の馬じゃと落ちたら死ぬぞよ。』
そう言わずに乗れよ、若き貴公子様よ・・・




