兼定、本家から苦情を言われる
さて、またしても数日後。
今後は京都の一条本家から書状が来た。
当初から予想していたことであるが、本家は土佐一条家の武家化をよく思っていない。
ということで、家老衆を集めて対応を協議する。
「しかし、何故ご本家はこのような抗議文を寄越してきたのでございましょう。」
「恐らく、朝廷としては、懇意にしている幕府の重要な臣である伊予守護が排されたことにご配慮されているのかと。」
「しかし、今までも守護が倒される例は各地であったはず。当家だけが非難されることではない。」
「それはそうだが、当家は朝廷が物を言える数少ない有力者ゆえではないか。」
「それだけでは無いでおじゃろうな。」
「当家が京から距離を置きつつあることへの危機感でしょうか。」
「それも一つでおじゃろうな。かつて応仁の乱の前、この幡多荘からの上納を国人衆に横領されて苦しい台所事情であったと聞く。」
「それはまことに申し訳ございません。」
「それと同じ事を分家が本家に対して行う恐れがあると懸念している面もおじゃろう。」
「しかし、御所様はそのようなお考えはないのでございましょう?」
「勿論じゃ。麿は藤原北家の名門で関白の子ぞ。そのような不敬な真似をする訳なかろう。」
実はこの直前、兼定と茶畑は対応を協議していた。
『やはり、本家としては、麿に大人しく公家をやっててもらいたいのであろうな。』
『そうだな。前に少将が言っていたとおり、戦は卑賎の輩のやることで、高貴な身分の者のすることではない。分家が荒事をするたびに、本家は肩身の狭い思いをしているだろうことは容易に想像がつく。』
『しかし、それだけでこれほど怒るものかのう。』
『分家が力を付けすぎて喜ぶ本家などおるまい。それに伊予守護を倒したことは幕府の支配体制の否定だ。』
『協調路線を続けてきた朝廷にとっては由々しきこと、という訳じゃな。』
『それも、同じ武士ならともかく、公家だからな。』
『しかし、守護職は残っておる。』
『そのとおり。だから河野は残した。ただ、このまま本家と対立を続けるのは都合が悪い。早い段階で釈明して、関係改善をしておく必要がある。』
そう、一条家は初代房家、二代房冬の代くらいまでは京都と密接な関係にあったし、房冬の弟である房通が本家の家督を継ぎ、関白にまでなっていたのだ。
しかし、先代房基あたりから一条家も徐々に軍事色を強め、相反するように本家との距離も広がっていた。
しかも、本家と分家の橋渡し役だった房通が一昨年亡くなり、後を継いだ兼冬も、弟で後の関白となる内基も土佐の事情を知らない。
そして彼らは、帝に最も近い者達であり、彼らの心証を損ねると、内外ともに敵だらけとなり、とても生き残るなんてことはできない。
第一、房基が突然錯乱して自害したなんていう話も疑わしいし、現代では長宗我部の一条攻略も、本家の承諾が出ていたなんて説まであるくらいだ。
『関係改善といっても、京に出向いて嫌味を聞いておけば良いのでおじゃるか?』
『それだけでは済まないかもしれん。最悪、万千代を本家に差し出すくらいは覚悟しておくことだ。』
『まあ、麿もそうであったからのう。しかしやっと歩き出したばかりじゃぞ?』
『例えば五歳になったら、とか条件を付ければ良い。』
『そうじゃのう。それと、堺で茶器などを手に入れて献上すれば良いかの?』
『そうだな。誠意が伝わるように。それと、今後も本家の世話になるという意志を見せて、先方を安心させることだな。』
『面倒じゃの。では、頃合いを見て京に行く事にするぞよ。』
「それで、いかがなさいますか。
「放っておく訳にも行くまい。いずれ京に赴くし、その旨、本家には文で知らせておくことにする。」
「確かに、それがよろしゅうございます。」
「毛利や三好を焚き付けられても敵わんからの。精々、ゴマをすって来るぞよ。」
「さすがは御所様にございまする。短気は損気ですな。」
「麿ほど温和な者もおらんと思うがのう。」
ということで、近日中に京都に行き、ついでに伊勢に旅行と相成った。
『しかし、ここにおれば誰もが頭を下げる当主じゃが、京に行くと単なる田舎者じゃ。』
『しかし、煌びやかな町に行けるではないか?』
『煌びやかなのは神社仏閣だけで、町は中村を大きくしたようなものでおじゃる。それに、好きに回れる訳ではないぞ。』
『それはそうだな。それと、もしかしたら側室を紹介されるかも知れんな。』
『そうよのう。しかし、土佐に来たい物好きはおらんのではなかろうかの。』
『もし、そのような話があれば、本家に相談して、その指示通りにすればいい。』
『それもゴマすりじゃな。』
『そうだ。期待しているぞ。』
そんなやり取りがあってしばらく経った4月14日。
お松の方が第二子の女児を出産していたので雅と名付けた。




