戦の判断
「それで、河野方への調略は上手くいっておるかの?」
「はい。浮穴郡の大野や東予の黒川、金子、石川といったところは良い感触を得てございます。」
「それは重畳。他に見込みはあるかの。」
「越智郡や風早郡の諸将の中にも、当方に付きそうな気配のある者はおりますが、湯築城より北の家は、当方から遠いため、返答を渋っておりまする。」
「こちらが優勢と見れば、雪崩打ってくるといったところかの。」
「そうかも知れませんし、毛利から近いので、それを懸念しているのかも知れませぬ。」
「どちらにしても、当てにはならんのう。」
「はい。」
「こういった調略頼みではいかぬが、それでも戦を左右することは間違いない。」
「ええ、東予と浮穴郡は固いとみて良いのですが。」
「それと、当方の将は皆、信頼して良いのでおじゃるな。」
「はい。今の一条を裏切って良い事は何もございませんゆえ。」
「それであれば、少なくとも負けはせぬ。して、大友はどうじゃ。」
「ええ、昨年から相変わらず門司で毛利方と睨み合っております。増援も了知していただけましたし、もしかしたら本当に下関に攻め込むやも知れませぬ。」
「山陰の尼子もまだ、油断はできぬし、後は海賊衆が日和見してくれれば、毛利方は四国に手出しはできんのう。」
「そのとおりでございます。」
「それで、攻め手はいかがする。」
「はい。主力は宇都宮殿の領地に集結した後に二手に分け、我が軍は犬寄峠から伊予郡に侵入、宇都宮勢は伊予灘沿いを進軍して同じく伊予郡に至ります。」
「総勢はいくらじゃ。」
「我が手が中村衆や宇和衆でおよそ一万。宇都宮殿が三千でございます。」
「まあ、そんなところよのう。」
「はい。中村衆よりは宇和衆の動員を厳しくしております。」
「忠誠心を見せよ、ということじゃな。」
「はい。次に、津野・片岡勢は仁淀川沿いに浮穴郡に入ります。大野勢千と合流した後、三坂峠から砥部方面に攻め込みまする。」
「後は長宗我部と安芸よの。」
「彼らは立川を越えて川之江に出ます。」
今の高知自動車道のルートね・・・
「安芸・長宗我部双方とも最低四千は出せと命じるのじゃ。」
「御意。」
「それで、河野の兵力はいかほどかのう。」
「全力で動員すれば一万は超えると思われますが、きっと抗戦派と和睦派が揉めて、軍はまとまりを欠くでしょう。」
「和睦派となりそうな家は分かるかの?」
「いえ、そこまでは。しかし、平岡や戒能、櫛部の諸将は戦を主張するでしょうな。」
「大野や金子がこちらに付くとなれば、彼らは最後まで抵抗せざるを得ません。」
「なるほど。それで、いつから動けるのじゃ。」
「9月に入って動員を掛ければ、どの隊も半月せずに国境を越えるでしょう。」
「そうか。ならば9月15日に一斉に境を越え、侵攻ということで良いの。」
「では、各所に知らせてまいります。」
「それで、武器や兵糧は大丈夫かの?」
「鉄砲は堺から買い付けた物を含めて四百がございます。兵糧も雑穀などを含めれば十分にございます。」
「では、やるとするかのう。」
『これで四国の半分が手に入るな。』
『これは凄いことよの。まさかこんなことになるとは思わんかったぞよ。』
『しかし、毛利の介入を避けないと伊予の攻略は不可能だし、それは今しかない。』
『そうよの。できる時にやらねばやられるの。』
『なかなか分かってきたではないか。』
『麿もちりょく80であるからの。』
『まあ、それでも良いが・・・』
『それで悪霊よ、まさかまたアレをやれとは言うまいな。』
『此度の戦、そのような規模ではない。少将は差し当たり大洲の城に詰めて、全軍の指揮を執る形になるだろう。』
『そうか!戦に出なくても良いのじゃな。』
『後方でどっしり構えるのも総大将の務めよ。』
『分かったぞよ。そういうことなら任せておけ。』
こうして、9月1日動員開始で、15日までに本隊は大洲、津野隊は国境の秋葉口、長宗我部隊は立川に集結ということとなり、領内はにわかに戦支度で騒がしくなる。
河野方でもそれは察しているらしく、向こうも戦の準備を急いで行っている旨の情報が入ってきた。
四国の趨勢を左右する戦いが今、始まる。




