宇和に赴く
さて、梅雨入り前に兼定は町、中御門、飛鳥井、白河といった配下の公家連中を引き連れ、黒瀬城を訪れた。
何をするかというと、西園寺旧臣を集めての歌会である。
西園寺氏も公家にルーツを持つため、こういったことには明るいし、その影響を受けて、配下の者もそれなりに教養を持った者が多いのである。
ただし、これは単なる遊びでは無い。彼らと親睦を深め、人心を安堵させるとともに、この地の新たな主が一条であることを広く浸透させるためのものであり、決して兼定の慰安旅行ではない。のだが・・・
『のうのう、たまには違う面子で歌が詠めるのは嬉しいのう。』
『気を抜くなよ。それと、優雅にかつ堂々としておれ。』
『分かっておるわ。皆、麿の歌で魅了してくれる。』
『まあ、それは心配していないが・・・』
『おお!珍しく素直ではないか。』
『まあ、歌と蹴鞠だけは評価に値するからな。』
『だけ、ではないぞよ。麿はいろんな才に満ちあふれた若き貴公子じゃぞ。』
『若い貴公子というのも否定はせぬ。』
『どうもいろいろ引っかかる物言いよの。』
黒瀬の城下に着く。
ここは先年の戦で一条家直轄領となり、黒瀬城代として依岡左京進を配置している。
既に西園寺左近(実充)、公広の新旧当主、土居伊豆守(清宗)、志摩守(清晴)親子、河野新蔵人(通賢)、法華津弥八郎(前延)、越智越前守(通孝)、北之川式部(経安)ら西園寺氏旧臣を始め、宇都宮遠江守も到着している。
「皆、半年ぶりであるの。義父殿も健勝そうで何よりじゃ。」
「御所様こそ、ご機嫌麗しゅう。この遠州、げに嬉しゅう存じます。」
「うむ。西園寺殿も落ち着いたかの。」
「はい。御所様のご厚情により、ここにお呼びいただき、誠に光栄に存じます。」
「では、歌会と宴は明日ということにして、今日はお題を皆で決めた後は、ゆるりと休むとしようぞ。」
なお、お題は「夏の雨」と決まり、各人一句づつとした。
そして翌日、城下でも指折りの古刹である歯長寺で歌会が催された。
「皆、夏の良き日、集まってくれて嬉しいぞよ。かつては互いにいがみ合い、遺恨もあろうが、今は心一つじゃ。そしてここは間もなく土佐の地となる。今日がよき契機となればとここのご本尊様に祈願したところじゃ。ゆるりと楽しもうぞ。」
「では、歌はそれぞれ披露するとして、読師(司会役)や講師はいかがいかがいたしましょうか。」
「そうよの。此度は皆の親睦が最たる目的ゆえ、あえて優劣を決めず、読師は町(経光)、講師は飛鳥井、発声と講頌は中御門(経弘)と白河(富親)に任せるぞよ。」
こうして各人の歌が披露され、それぞれが感想を述べあう。
こういった事には全く疎く、いや、何を言っているのか単語すらよく分からなかったが、それでも互いの歌をそれぞれが感心しながら評している所を見ると、皆それなりに高い技術と教養を持っているようである。
正直、若い兼定は大したことないだろうと思っていたが、さすがは京仕込みだ。
忖度しているだけかも知れないが、お笑いレベルでは無いらしい。
「皆、互いに何を思い、感じているかを知ることこそ歌会の真の目的じゃ。たとえ麿が一条の主で関白の猶子と言えど、まだまだ若輩の身よ。特に西園寺殿の歌は見事の一言。」
「いやいやご謙遜を。しかし、ついこの間まで敵味方に分かれていた者同士がこうやって歌を詠むのは、まこと感慨深いものがございまする。」
「そうよの。遺恨は容易には晴れぬ。しかし、皆それぞれ死力を尽くし、今は味方ぞ。」
「そのとおりでございますな。」
「いずれ中村でも歌会を開くゆえ、その時も皆揃って出席してたもれ。」
「ははっ。」
「その時までには麿も腕を上げておく。皆、楽しみにしておるが良いぞ。」
「楽しみにしております。」
「それと、この中には領地を削られた者もおるが、今後の働き次第ではより良き処遇もあるので、一所懸命な働きに期待しておるぞ。」
「畏まりましてございまする。」
こうして、何とか波乱無く歌会は終わった。
『のうのう、あれで良かったかの?』
『上出来だ。上手くまとめたではないか。』
『しかし、あれほどへりくだる必要はなかったぞよ。麿の歌もなかなかの出来であったのに・・・』
『そう言うな。あそこで自慢するより、賢いフリをすることの方に大きな意味がある。』
『いや、別にフリではないと思うぞよ。』
そういうとこだぞ。
『でもまあ、これで少しでも西園寺の旧臣が当家に馴染むなら、それで良いのじゃろ?』
『それが目的だ。いい歌なら自慢せずとも皆分かってくれる。』
『そうか。そうじゃの。』
機嫌が直って何より。
「では皆の衆、中村に帰るぞ。」
こうして、宇和の地をロクに視察することなく、一行は帰還した。




