史上最大の示威行為
兼定はその後すぐに都に上り、二条城にて信忠と会談する。
「そうでありますか。筑前、いや弟たちがそのような企てを。」
「すでに上様は全軍を挙げ、関東に進軍するよう、申しつかっておじゃる。」
「大戦になるのか。」
「いや、兵力を見せつければ戦にはならぬと思うぞよ。じゃが、若様には辛いご決断を強いてしまうことになるかも知れんでおじゃる。」
「そうであるな。しかし、後の災いを未然に防ぐには、やむを得んことかも知れんな。」
「さすがは若様におじゃりまする。」
「しかし、筑前は本当にそのような無謀な策を取るであろうか。」
「筑前殿も、本気で戦をしたい訳では無いように見受けられまする。しかし、あの者も大名になりたかったのでおじゃろうのう。」
「次の上様を自分が後押ししたなら恩賞は貰い放題、以後の政は意のまま、という訳か。」
「差し当たっての落とし所は、そんなものでおじゃろう。その先は分からぬが。」
「あの弟たちなら、さぞ、好き勝手できそうだしな。」
「それを麿に問われると、大変辛いところでおじゃりまするぞよ。」
「しかし、こちらが兵を起こしたら、筑前はこちらに言いがかりだの誤解だの、散々言い逃れしそうだな。」
「何を言おうが、若様のお心次第におじゃりまする。」
「分かった。弟たちの考えは分からぬが、取り除くべきは除く。内府殿、それがし腹を決めたぞ。」
「では、麿も若様に従い、出陣いたしまする。」
「頼んだぞ。」
こうして信忠と兼定は7月30日、全軍に招集をかけた。
一条軍は十万を動員したが、特に門司に集結した六万は、毛利に使者を送って兵を挙げるよう促し、同時に丹羽、宇喜多、大友、池田らの諸大名の軍も糾合しながら都に進軍した。
信忠も畿内、近江、美濃、尾張の兵を動員し、これも十五万の大軍となっていた。
双方合わせて三十万を超える大軍は、8月27日に美濃大垣を始めとする複数箇所に集結し、各大将は大垣城に集まって作戦会議を行う。
本陣には総大将の信忠と兼定のほかに、毛利輝元、丹羽長秀、大友宗麟、池田恒興、滝川一益、宇喜多秀家らが揃う、大変豪華なものになった。
「では皆の者、よう馳せ参じてくれた。この菅九郞、礼を申す。して、此度の戦であるが、上様ご病気に乗して悪辣な企てを行う者共に対する誅伐である。しかし、その民や家臣には何ら非はない。このこと、事前に承知の上、事に当たられたい。」
「御意!」
「では、作戦であるが、誰か良い策はあるかな。」
「では、それがしが。」
「五郎左か、申してみよ。」
「ではまず、本隊20万は尾張に本拠を置き、まずは伊勢に入り、権中将様を恭順なされた後、伊勢の兵も伴って東海道と中山道をそれぞれ東に進みます。そして、残る10万は北陸を進み、信濃から上野に進軍するのがよろしかろうと存じます。そして、それぞれが道すがら各大名を恭順させ、兵を増やしながら進むがよろしかろうと思います。」
「そうだな。」
「たとえ、歯向かう者がいたとしても、単独でこの兵力に対抗できる者はおりません。」
「そうだな。それでは儂自らが東海道を畿内兵で進もう。中山道は内府殿、北陸は五郎左を総大将として進むものとする。」
こうして軍議は終わり、各地の大名に使者を送りつつ、進軍を開始した。
『これはもう、決まったようなものでおじゃるな。』
『ああ。普通なら裏でやる権力争いを、いきなり全軍動員だからな。』
『まあ、上様らしいと言えばそうじゃが。』
『引き金は間違い無く内府が引いたものだぞ?』
『麿はのう、何かあの頃の記憶が曖昧なのじゃ。ほとんど麿の意思で喋って無かったからのう。』
『傍から見れば神の如き知恵者なのにな。』
『みんな騙され易いのじゃのう・・・』
『神どころか、知力7なのにな。』
『麿はそう簡単に騙されんぞよ。いくら何でも知力7ではないでおじゃる。』
『まだ諦めてないのか。』
『人間、生涯を閉じるその時まで、分からないものでおじゃる。』
『知力の話でなければ立派な言葉なんだがな。』
『相変わらず無礼でおじゃる。麿は正二位内大臣でおじゃるぞ。』
『義弟の七光りだがな。』
『総領様の方が、麿の七光りぞよ。』
兼定はまあ、万事このとおりである・・・
伊勢には幕府軍20万が堂々と進軍を続け、松ヶ島城(松阪市)を包囲すると、信雄は抵抗すること無く降伏した。
そして、伊勢の兵を加えた幕府軍は、ここで兵を二手に分け、進軍を開始する。




