泰平の世
天正11年(1583年)6月
あれから5年半の時が過ぎた。
天正六年三月に織田信長によって開かれた幕府は、日々その機能を充実させながら、新たな世を民に示し、そして問い続けている。
そして、本拠地も大坂に移された。
やはり安土では手狭だし、都は何かと煩わしい。
将来的には、兼定の進言により、関東に移される予定ではあるが、まだあそこには政治・行政に関するインフラはおろか、町すらない。
今は大坂で正解だろう。
諸侯も今のところは静かだ。
史実では北条や伊達が好きにやっていたが、蝦夷地まで織田軍が進軍して反抗的な諸侯を移封してしまった。
もちろん、織田家に反感を持つ者はいるだろうが、一郡や二郡しか保有していない小大名に、盤面をひっくり返す力はない。
本能寺の変も、もちろん起きなかった。
起きる要素は皆無であったが。
兼定はというと、松山と都、そして大坂を巡る生活をしている。
もう領国経営に専念できる立場では無いので、栄太郎に家督を譲り、自由な立場で動き回っている。
そして、大坂では城内に屋敷をもらい、行けば毎日ドンチャン騒ぎである。
また、本家の総領様が関白に就任し、兼定自身も何度か昇進を繰り返して正二位内大臣になった。
一条家はというと、未だ家臣不足は解消されていないが、島左近や前田玄以といった浪人を補充して何とかやっている。
まあ、重松鬼八郎を門司城代にする程度には困っているが・・・
そして、家臣といえば、土居宗珊が隠居し、筆頭家老として孫の左衛門太郎がお雅とともに帰って来た。為松も近々家督を譲って隠居する。
子供たちも元気だ。
栄太郎は次男正佐丸をもうけ、鞠や峰にも二人づつ子ができた。
房時は丹羽家から妻を娶り、新徳丸も西園寺肋左衛門公篤と名を変えて当主となった。
お浜も来年には黒田家に嫁ぐ。
領内の整備も急ピッチで進んでいる。
松山、高智、徳島の町もほぼ完成し、四国内では吉野川新河道と今治城の一部を除けば、ほぼやるべき仕事は終わっている。
そして四国でもそうだが、九州では戦乱が収まったことによる人口増加が顕著だ。
こうなるとまずは食料であり、新田開発やそれにともなうため池や灌漑整備が加速している。
また、産業面での発展も著しく、銅や染め物、蜜柑はすでに市場を支配しているし、磁器についても先進地として圧倒的なシェアを誇る。
『それにしても、泰平の世は良いものよのう。金がガッポガッポ入る。』
『戦をしない分、出費もないからな。』
『そう考えると、何故皆、戦をしていたのでおじゃろう。』
『最初に始めたヤツが、相手の物を奪うのを見て、皆が真似を始めたのだろう。』
『こっちの方がずっと楽じゃというのに。』
『皆が内府のような考えなら、世が乱れずに済むのだがな。』
『凡人に、麿と同じ境地になれと言うのは難しいでおじゃるか。』
『相変わらず絶好調だな。』
『愚問じゃのう。泰平の世こそ、麿の真骨頂よ。』
『もう何年も馬に乗っていないからな。』
『あんなものは、武を極めた者が乗ればいいのじゃ。麿は輿で構わぬ。』
『何を年寄り臭いことを言ってるんだ。まだ四十だろ。』
『麿はもう惑わぬ。馬には乗らぬ。』
「ご隠居様、こちらにおられましたか。」
「おお、お松か。良いところにきたのう。茶でも飲むかのう。」
「そうですね。では、すこし温めのものをいただきましょう。」
「もう、四国もすっかり様変わりして、どこに言っても平和そのものじゃ。」
「そうですね。町も栄え、家も栄え、何も言うことはございません。さすがはご隠居様でございます。」
「そなたとお秀には苦労を掛けた。じゃが、お陰で平穏な暮らしが手に入ったぞよ。」
「栄太郎もしっかり頑張ってくれておりますね。」
「何か、官位をもらって張り切っておるのじゃ。」
「父と同じ、左近衛少将ですからね。」
「万千代も八つじゃし、頑張り時じゃのう。」
「ええ、母として、これほど充実した幸せを感じられるなんて、嫁いだときには思ってもみませんでした。」
「そこは・・・思って欲しかったのう。」
「申し訳ございません。」
すると、廊下の向こうから誰かの走ってくる足音が・・・
「父上、一大事にございます。上様が、倒れられたとのこと。至急、大坂にまいるよう使いがまいっておじゃりまする。」
「何じゃと!栄太郎、すぐに徳殿にも知らせるのじゃ。すぐ大坂にまいるぞ。」
「はいっ!」
泰平の静けさを保つことはできるか?




