都に行かないつもりだったのに・・・
都に行っていた栄太郎達も無事に戻り、いつもの賑やかさも帰って来た。
祝言は大変立派な物であった上に、信長から安土城に招かれ、それは大層な歓待を受けたそうである。
城も大変ど派手で、天守閣だけでなく、御殿や蔵に至るまで朱、金箔、漆、漆喰で彩られた目映いもので、その巨大さと奇抜さに度肝を抜かれたらしい。
もしかして、大坂城も?
何て、ここまではよかったが、蝦夷地までの仕置きが終わり、論功行賞案を詰めているので安土に来るようにとの書状も携えてきた。
まあ、来いと言われて行かない訳にいかないので、すぐに旅支度して都に向かう。
それなら一緒に行っておけば良かったなあ・・・
8月4日に都に着いた兼定は、宗太郎と新妻静子殿への挨拶もそこそこに、安土に向かう。
敢えて馬に乗らない兼定は6日、安土に到着する。
「おお左近殿!よう来たな。待っておったぞ。」
「日の本統一、おめでとうごじゃる。」
「はははっ!これもそなたのお陰だな。感謝しておるぞ。」
「まあ、ほぼ弾正殿の力ではあるがのう。して、奥州の様子はいかがかの。」
「伊達や南部は多少、歯向かって来たが、苦もなく払ってやったわい。」
「それは重畳におじゃる。それで、麿を呼んだのは?」
「息子の祝言に来んとはどういうことだ。まあ儂は徳と万千代たちに会えたから良いが。」
「それで呼んだでおじゃるか。」
「まあ、それだけではないな。論功行賞案がほぼ固まったから、そちに相談したくてな。」
「麿に何か役に立てることがあるかのう。」
「まずだ。一条家には恩賞として大友の領地を与える。」
「何と!しかし、それほどは・・・」
「まあそう言うな。そちは今まで儂から恩賞を受けたことが無いだろう。天下布武の建前上、それはいささか不味い。」
「なるほど。一条が確かに織田家の下に付いているという証が必要なのじゃな。」
「そういうことだ。済まぬが、儂の都合良く動いてくれ。それだけの功は確かにあるのだからな。」
「そういうことなら、喜んでいただくぞよ。」
「それでだ。これが今の案だ。見てみるか。」
何か大きい紙に一覧でまとめてある。製本するより却って見やすい。
「気になったところはあるか?」
「蝦夷地は途轍もなく広いぞよ。安東が支配している所など、先っぽに過ぎぬ。そこだけ認めて後は織田家の直轄にしてしまうのが良いぞよ。」
「それは何か理由があるのか。」
「まず広すぎる。そして人は少なく言葉も違う。農業にも適さぬ寒い地でもある。織田家ほどの力が無いと、統治することは叶わぬ。」
「そんな土地、要らないのではないか?」
「確か、探せば金鉱もあるはずじゃし、彼の地の民から珍しい物産も手に入る。農業も寒い所で育つような作物を南蛮から取り寄せても良いでおじゃる。とにかく、土地というものは、誰かに取られる前に持っておくものでおじゃる。」
「なるほど。確かに左近殿の言う通りだな。」
「これから職にあぶれる足軽や浪人を行かせる手もあるぞよ。相当寒いがの。」
「そういったことも、戦がなくなれば考えねばならんか。」
「それと、関八州は織田家で押さえたかのう。」
「ああ、そこは上手く調整できたぞ。」
「それと、佐渡は直轄領なのじゃな。」
「金が出るからな。」
「ここは、まだ見つかってない大きな金鉱があるでの。」
「何、まことか。」
「甲州以上にたくさん出るぞよ。」
「よく左近殿は佐渡を所望しなかったな。」
「麿は四国と九州以外に興味はないぞよ。」
「全く、儂と並ぶ英傑がそちであって本当に良かったと思うぞ。」
「他は特に言うこと無いぞよ。見事でおじゃる。」
その後はいつものドンチャン騒ぎだった。
『のうのう、英傑と言われてしもうたぞ。』
『ある意味、間違ってはいない。ある意味では世紀の勘違いだがな。』
『人を褒める時は、もっと素直になった方が良いぞよ。』
『分かったよ。しかし、四カ国ももらったな。』
『九州全部じゃぞ。ただでさえ家臣が足りんというのに。』
『幸三郎を豊後に移動させるか?』
『いやまあ、せっかく行ったことじゃし、船なら大して遠い訳でもないからのう。』
『まあ、越後に比べればな。』
『それで、どうする。』
『まあ、直轄領じゃな。後の事は栄太郎に任せるぞよ。』
『何だ、引退する気満々じゃないか。』
『何か良い案でもあるかの?』
『まあ、筑後に伊予の領主を移せば、家臣は足りずとも、多少は治めやすいと思ってな。』
『そうじゃの。宇和郡の者達を移すか。』
『そうだ。転封なんて若い当主には荷が重い。中納言が済ませてやるのが一番だ。それに、いくら何でも三十四で隠居は早すぎる。』
『なら、いつまでじゃ。』
『世の中と家中が落ち着くまでだな。』
『遠いのう・・・』
『しかし、大友殿には文句を言われるな。』
『そうよのう。でも、仕方無いでおじゃる。天下人様の仕置きじゃからのう。』
『そうだな。しかし、尼子復活にはビックリした。』
『麿は武田と北条と上杉に領地が認められたのがビックリじゃ。』
『武田は嫡流ではなく、信玄の弟の子という、微妙な所を衝いてたがな。』
『しかも本州最北端で半郡なんて、嫌がらせかのう。』
『後は、関東総領に弾正殿の三男で、奉行人が羽柴殿か。妥当と言えばそうだが。』
『弾正殿お気に入りのお猿さんが、領地無しとはのう。』
『子がいないからな。こちらの方がいいという判断なのだろうし、領地は世襲という意思を内外に示したとも言える。』
『逆を言えば、子がおらんと領地没収でおじゃる。』
まあ、徳川の世も同じようなもんだ。
(参考1)大名配置一覧
【蝦夷地】 蠣崎氏・・・渡島半島南端部(それ以外は織田家直轄領)
【陸奥】 堀尾氏・・・津軽郡
武田氏(信豊)・・・北郡のうち下北
稗貫氏・・・北郡のうち、七戸
戸沢氏・・・北郡のうち、八戸
龍造寺氏・・・二戸郡
佐野氏・・・三戸郡
【陸中】 岩城氏・・・九戸郡
那須氏・・・閉伊郡
江馬氏・・・鹿角郡
稲葉氏・・・岩手郡、紫波郡、稗貫郡
畠山氏(河内)・・・江刺郡、胆沢郡
遠山氏・・・磐井郡
【陸前】 小笠原氏・・・栗原郡、玉造郡
多賀谷氏・・・気仙郡
二階堂氏・・・本吉郡
森氏・・・・・宮城郡、名取郡、黒川郡、加美郡
小野寺氏・・・柴田郡
安東氏・・・・遠田郡、志田郡
結城氏・・・・登米郡、桃生郡、牡鹿郡
【羽後】 佐竹氏
【羽前】 最上氏・・・・最上郡
村井氏・・・・村山郡
真田氏・・・・置賜郡
北条氏(氏規)・・・田川郡
【岩代】 佐久間氏・・・河沼郡、会津郡、大沼郡、耶麻郡
宇都宮氏・・・安達郡、伊達郡、信夫郡
南部氏・・・・安積郡
浅利氏・・・・岩瀬郡
【磐城】 相馬氏・・・・宇多郡、行方郡、標葉郡
上杉氏(景勝)・・・白河郡
太田氏・・・・白川郡
二本松氏・・・石川郡
田村氏・・・・田村郡
浪岡氏・・・・菊多郡
小山田氏・・・楢葉郡
中川氏・・・・磐前郡
小田氏・・・・磐城郡
正木氏・・・・刈田郡
真里谷氏・・・伊具郡
可児氏・・・・亘理郡
【上野、下野、武蔵、相模、安房、上総、下総、常陸】・・・織田直轄領
【越後】 前野氏・・・・岩船郡、沼垂郡
金森氏・・・・蒲原郡
平手氏・・・・古志郡、刈羽郡、三島郡
一色氏・・・・魚沼郡
津田氏(信澄)・・・頸城郡
【信濃】 不破氏・・・・水内郡
伊達氏・・・・高井郡
氏家氏・・・・埴科郡、更級郡
安藤氏・・・・小県郡
武田氏(若狭)・・・佐久郡
堀氏・・・・・筑摩郡
十市氏・・・・安曇郡
水谷氏・・・・諏訪郡
林氏・・・・・伊那郡
【甲斐】・・・・織田直轄領
【伊豆】 里見氏
【駿河、遠江、三河】 徳川氏
【越中】 筒井氏
【飛騨】 姉小路氏
【伊勢、伊賀】 織田氏(信雄)
【志摩】 九鬼氏
【能登】 畠山氏(能登)
【加賀】 浅井氏
【越前、若狭】 柴田氏
【美濃、尾張、近江、大和、山城、攝津、河内、和泉】・・・織田直轄領
【播磨】 織田氏(長益)・・・明石郡
別所氏・・・美嚢郡、加東郡
池田氏・・・加古郡、印南郡、神東郡、神西郡、飾東郡、飾西郡
佐々氏・・・揖東郡、揖西郡、赤穂郡
山内氏・・・宍粟郡
前田氏・・・佐用郡
【丹波】 明智氏
【丹後】 細川氏
【紀伊】 滝川氏
【但馬、因幡、伯耆、美作】 大友氏
【出雲】 尼子氏(勝久)
【石見】 蜂屋氏・・・安濃郡
蒲生氏(賢秀)・・・邇摩郡
荒木氏・・・邑智郡
織田氏(信包)・・・那賀郡、美濃郡、鹿足郡
【備前、備中】 宇喜多氏
【備後、安芸】 丹羽氏
【周防、長門】 毛利氏
【淡路、四国、九州】 一条氏
(参考2)一条家与力大名配置一覧
【阿波】 土居氏・・・勝浦郡
黒田氏・・・三好郡
東條氏・・・那賀郡
海部氏・・・海部郡の南部
日和佐氏・・・海部郡の北部
【讃岐】 寒川氏・・・大内郡、寒川郡
伊東氏・・・香川郡、山田郡、三木郡
河野氏・・・阿野郡
西園寺氏・・・那賀郡
香川氏・・・多度郡、三野郡、苅田郡
【伊予】 石川氏・・・宇摩郡
金子氏・・・新居郡
黒川氏・・・周敷郡、桑村郡
宇都宮氏・・・伊予郡、喜多郡
【筑後】 渡辺氏・・・三潴郡
越智氏・・・山門郡
法華津氏・・・三池郡
勧修寺氏・・・上妻郡、下妻郡
河野氏・・・・生葉郡
安国寺氏・・・山本郡
北之川氏・・・御原郡
【対馬】 宗氏
【肥前】 大野氏・・・三根郡、杵島郡
安芸氏・・・佐賀郡、神埼郡、基肄郡
香宗我部氏・・・養父郡
鍋島氏・・・小城郡
松浦氏・・・松浦郡
宇久氏・・・五島列島
大村氏・・・彼杵郡
有馬氏・・・高来郡
【肥後】 長宗我部氏
【日向】 島津氏
【薩摩】 津野氏・・・出水郡、高城郡
片岡氏・・・薩摩郡、甑島郡
為松氏・・・日置郡
安並氏・・・阿多郡
敷地氏・・・頴娃郡
羽生氏・・・河辺郡
源氏・・・・給黎郡
土居氏・・・鹿児島郡、谿山郡、揖宿郡




