幸寿丸、大隅に旅立つ
天正5年(1577年)4月
年が明けて春、幸寿丸も数えで十二となり、この日、元服した。
名は幸三郎房時である。
「そなたは栄えある一条と武門名高き長宗我部の血を受け継ぐ者じゃ。これから遠き大隅の地を治め、これを豊かな地に変えていかねばならぬ。父の期待に応えてたもれ。」
「父上、良き名をいただき、誠にありがとうございました。この幸三郎、お役目を全うし、必ずや立派な一国の主となってみせましょうぞ。」
「よう言うた。それでこそ、麿の息子ぞ。」
「母も嬉しくて胸が一杯です。皆と仲良く、そして身体にはくれぐれも気を付けるのですよ。」
その後は元服祝いの、そして別れの宴が始まる。
「兄上~、大隅というのは、遠いのでおじゃりまするか~。」
「そうだなあ。当分は会うことができないなあ。」
「寂しいでおじゃる~。」
「日吉も、じゃびしいでおじゃう。」
「そうか、日吉丸でも分かるのじゃのう。だが大丈夫じゃ。たまには帰ってくるから、元気にしておるのじゃぞ。」
「だっこ・・・」
「鶴はいつも抱っこじゃな。菊もか?」
「うん。」
「お浜はもう大きいからダメじゃぞ。」
「分かっておりまする。」
「もう幸三郎も大人じゃの。ちょっと飲んでみるでおじゃるか?」
「実は、前に少しいただいたことがあって・・・少々苦手でございまする。」
「何じゃ。麿と秀の子じゃというに・・・」
「そういうこともございますよ。別に、どうしても飲まないといけないものでもございません。」
「それはそうであるがのう・・・それはそうと、次は幸三郎の嫁探しと新徳丸の元服よの。」
「お浜がおります。」
「この子は愛いからのう。ずっと家にいても良いぞよ。」
「そういう訳にはまいりません。どこか良い所を探していただかないと。」
「まだ八つじゃからのう。もうちょっと良いじゃろう。」
「鶴と日吉丸の面倒も、よく見てくれていますからね。」
「なら、官兵衛ところの松寿丸(黒田長政)にしよう。城にも時々来ておるし、領地も近い。」
「そんなに簡単に決めて良いのですか?」
「別に政略結婚などせんでも良いぞよ。」
「そう言えば、宗太郎の婚儀も近々ございますね。」
「花山院家から迎えるそうじゃの。あそこも三条家や西園寺家に並ぶ名家よ。」
「一条家もお公家様から正室を迎えたりするのでしょうか?」
「無いとは言えぬが・・・高祖父(房家)も母は側室で加久見家の出じゃし妻は平松から、祖父の妻は大内家で父は大友家じゃ。」
「お武家様ばかりでございますね。」
「そうじゃの。公家の血は大分薄まって来ておるのう。」
「では、日吉丸辺りは、そうしても良いかも知れませんね。」
「その辺は、栄太郎が考えるでおじゃろう。」
「好きにさせるのですね。」
「栄太郎も良く考えておるし、心配ないでおじゃるよ。それより、秀はやっぱり寂しいかの?」
「そそそ、そのようなことはございませんわ。私は我が子の門出を・・・」
「秀はいつも秀じゃ。それで良いが、頑張り過ぎるでないぞよ。」
「何のこれしき。どうということはありませんのよ。」
「幸三郎よ、たまには松山に帰ってくるのじゃぞ。母を喜ばせてやらんとのう。」
「分かりました。新年の評定には松山に来るようにいたします。」
「うむ。それなら良いでおじゃる。」
こうして宴は終わり、次の日には早くも出立する。
「では父上、母上、奥方様、若様、五徳様、行ってまいります。」
「道中、気を付けて行くのですよ。」
「はい。」
「では真田殿、くれぐれもよろしゅうのう。」
「お任せあれ。確かに承りましてございまする。」
こうして房時は大隅に旅立っていった。
「また一人、減ってしもうた。」
「皆、元気でやっておりますよ。」
「秀よ、減った分、増やさねばの。」
「私にはまだ日吉丸がおります。五徳殿にお頼みください。」
「いや、孫は栄太郎の目が厳しゅうてのう。なかなか思うに任せぬ。」
「父上にはあげません。」
「ほらぁ、見事にこの通りじゃ。もっと忙しくしてやらんといかんかのう。」
「麿は我が子との時間がもっと欲しゅうおじゃりますが?」
「ほら、今頃反抗期なのじゃ。もう二十歳なのに・・・」
「数えでございます。」
「誰に似たのかのう・・・」
間違い無く父親だと思うが?




