すっかり栄太郎に任せているが・・・
戦と長旅。この二つを癒やすのはなかなか大変なことである。
せっかく都に帰ってきたので、もっと宗太郎や峰と一緒に居たかったが、きっと遊びすぎるとまた、栄太郎が怒り出すに決まっている。
このため、仕方無く8月4日に都を発ち、松山まで全て海路を使い、11日には松山に帰り着いた。
そして帰ると、また仕事の日々である。
まず、領内の整備状況であるが、四国の要塞化はようやく一応の完成を見た。
い、ろ、は、三区分の城の整備とそれ以外の廃城。狼煙台と砲台の設置や主要街道や水軍用の船溜まり整備が一体となった革新的なものである。
室山(高松)や丸亀、土庄(小豆島)、撫養(阿波)、三崎(伊予)野根(土佐)といった要衝にも城がお目見えした。
天主閣を有する城も四国と淡路で十三にもなり、一条家の威光を示すにも十分であろう。
今後は、松山防衛の前哨基地として、今治城の設計に入る。
そして、街道整備については、主要以外の幹線街道、所謂「ろ」の道の整備も行っている。
四国では高智から徳島に向かう阿佐海岸沿いと宇和島から須崎(土佐)、徳島から神山を経由して穴吹に至る街道の整備を集中して行い、九州では延岡から油津(日南市)と隈本から鹿児島の間を集中的に整備している。
また、堤防については、讃岐の土器川と香東川が両岸とも完成し、仁淀川も西岸は完成した。
九州でも筑後川の肥前側を当家の資金も投入して大々的に行っている。
完成の暁には、宗麟に怒られること請け合いだ。
その他の建設工事については、鹿児島港の拡張工事がもうすぐ終わる。
これから油津や志布志、唐津でも整備が始まる予定だ。
そして、いつまで経っても出来ない吉野川新河道建設であるが、進捗はおよそ三割とのこと。
幅半里、延長四里、最大深15尺(約4.5m)の穴は、徳島に六つの中州とそれを囲む堤防を出現させたが、まだ三割である。
また、この掘削した川底には、所々畝状の仕切りを設けることにした。
完成後はここだけ水深が浅くなる。
これは、完成後に堰を切った際の海水の遡上を緩和し、安全対策、汐留・下流農地の塩害対策、環境激変緩和対策のほか、掘削量軽減や将来の架橋に備えたコスト軽減を狙ったものである。
産業面でも進歩があった。
明国から技術者を招聘し、有田と伊万里で開発を進めていた磁器がようやく実用に耐える水準に達し、生産を始めたのである。
これから薩摩や砥部でもこの技術を取り入れ、大量生産を目指す。
また、讃岐における製糖も急速に伸びてきている。
とはいっても、生産量増加には限度もあるので、琉球でのサトウキビ栽培奨励をこれから交渉する考えだ。
さらに、長崎や高松で新たな菓子づくりも命じた。
これらも新規の雇用と金を生み出すはずだ。
その他の産業奨励については、あまり生産量が伸びない九州の酒造と各国一箇所以上の農具を始めとした打刃物生産を再度奨励した。
もう、刀から生活用品中心の時代がすぐそこまで来ているのである。
『しかし、栄太郎もいろいろ仕事はやっておるのじゃのう。』
『疲れた顔してたもんな。』
『でも、あんまり怒って無かったぞよ。』
『もう戦は無いだろうし、宗珊もいるからな。もう自分が中心になってやらないといけないという自覚も出てきたんじゃないか。』
『それは良い傾向よの。もう立派な父なのじゃから、子に大きな背中を見せねばならんからのう。』
『まあ、そうだな。中納言が言うと、おまいうな気もするけどな。』
『おまいう?何じゃ、また神の世界の言葉か。』
『まあ、そんなところだ。それに、親は無くとも子は育つとも言うし。』
『何か、分かってきたぞよ。どうやら失礼な意味じゃな。』
『それはそうと、鞠の婚儀と幸寿丸の元服、新徳丸の養子縁組も進めておかないとダメだぞ。』
『婚儀は10月、元服は年明け、養子縁組はその後で、十歳で元服させた後、西園寺の所に行くと決まったぞよ。』
『それで、大隅に行く家臣はあれで良かったのか?』
『他におらんからのう。真田と香西、後は肝付、蒲生、北原、伊地知の大隅衆に任せるぞよ。』
『妙案、出ずか・・・』
『仕方無いでおじゃろう。後は成松か新納くらいしかおらんのじゃから。』
『もう少し、備前や播磨から引っ張って来ておけば良かったか。』
『今にして思えばの。』
『まあ仕方無い。家臣が少ないのは、褒美を与える余地があるということだからな。』
『そう思うことにするぞよ。』
さて、このままあと数年で信長によってゲームがクリアされそうだが、それで終わりでは無い。
戦乱の時代から安定した時代に対応した家臣団の改革や、短気な信長との緊迫感溢れるお付き合い。
そして、これからのラストスパートでどれだけ国が豊かになるかが、生き残りのための重要な要素だ。
こういったことが栄太郎に引き継がれるまでは、もう少しだけ兼定に頑張ってもらおう。




