息子の成果を確認する
天正4年(1576年)3月
さて、一手に頑張ったという栄太郎の成果を確認する必要がある。
まず、新田開発であるが、伊予浮穴郡や阿波名東郡を中心に千町歩ほど拡大している。
これは、灌漑設備が充実しつつある証左であろう。
また、瀬戸内を中心にため池も増えてきており、さらなる耕作地の拡大や干害に対する強化も進むだろう。
そして、讃岐の製糖も上手くいっているようで、今秋から和三盆という名で都に出すそうだ。
さらに、塩田についても、伊予・讃岐で九百町歩を超えたそうだ。
こちらも戦乱の鎮静化による人口増加が現実になれば、いくら作っても売れるはずの品である。
その他、阿波半田の素麺や、中村や阿波の脇における本格的な味噌の出荷も始まった。
まあ、これらは栄太郎がいなくても進むことであるが、彼の発案で街道の整備優先順位が「い」、「ろ」、「は」に分類されていた。
城郭整備を参考にしたとのことだが、真面目にやっていたんだなと思う。
「い」は主要幹線、「ろ」は迂回路、「は」は街道と認定されるレベルのもので、修繕についてのみ、当家が費用負担を行うものだそうである。
「い」は中村~白地の土佐街道、松山~洲本の南海道、徳島~川之江の阿波街道、高智~松山の久万街道、松山~中村の宇和街道という、ほぼ整備済みの五道が指定されていた。
同じ取り組みは九州でも導入される予定とのこと。
また、堤防建設については、高智の鏡川南岸と仁淀川下流西岸が着工し、伊予川北岸が完工していた。
城郭についても板島城と川島城、大洲城が完成した。
徳島や高智もほぼ出来上がっており、これで一条家直轄で築城中の大きな城は鹿屋のみといってもいい。
各直臣の取り組みとしては、長宗我部が球磨川、島津が大淀川の改修に取りかかっている。
街道についても同様で、肥後と日向ではさかんに整備が行われている。
城郭については、寒川氏の引田、伊東氏の土庄がやや遅れ気味であり、四国の要塞化完成のために発破を掛けているそうだ。
これらが新年の評議で報告された事項であり、全て処理済みとのこと。
そして、九州の統治については、今のところ歯向かう地侍もおらず、問題無く統治が行われているようだ。
こちらも筑後川を始めとした治水と新田開発、街道整備、築城といった様々な整備が各大名により行われている。
幸寿丸の大隅行きについては、鹿屋城内堀と、その内側に配される本丸と二の丸の構造物が完成した後、ということに決まった。
恐らく一年半後くらいだろう。
そして香川次郎右衛門の婚儀も決まった。当主之景の弟の孫でお初という。
これでも一族の中では一番嫡流に近い女性とのこと。
また、元親の子信親が来年正月に元服するというので、鞠との婚礼を本格的に進めることにした。
ただし、どうせまた戦があるので、正確には未定のようなものだ。
「栄太郎よ、今日はもう、徳と万千代の所に戻ってよいぞよ。」
「さすがは父上でおじゃりまする。」
「早う行ってやるが良いぞ。」
「はい。失礼いたします。」
『すっかり父親の顔になっていたな。』
『麿以上に子煩悩で、麿以上に仕事嫌いぞよ。』
『そうか?宗珊はそうは言って無かったぞ。』
『宗珊は栄太郎に甘いでおじゃるな。』
『中納言が栄太郎に厳しいんじゃないか?自分を差し置いて。』
『そうかのう。麿は差し置いてくれても良いぞ。』
『中納言が今の栄太郎の歳だった頃は、秀と祝言を挙げていたな。』
『もう十分魅力的な大人じゃったのう。』
『いや、目も当てられんかったような。』
『土佐の神童と呼ばれておったことを、よもや忘れた訳ではあるまい。』
『一体誰のお陰だと思っているんだ?』
『そなたが何と言おうが、地団駄を踏もうが、麿の手柄じゃ。』
『ホントいい性格してると思うよ。我で無ければ見放しているところだ。』
『これからもよろしく頼むぞ、悪霊。』
『それはそうと、また宍喰屋から兵糧を調達しておけよ。』
『まったく、いくらあっても足りんのう。』
『遠征続きだからな。遠い分、負担が馬鹿にならん。』
『これを負担してくれれば、どうということは無いのにのう。』
『次は少々少なめに動員するか?九州も物入りだし。』
『そうよのう。少しは甲斐や信濃の衆に頑張ってもらいたいところよのう。』
『それは言えるな。』
『それと、関東が平定されれば、世の大勢は決まるのじゃろう?その後はどうするのじゃ?』
『いくつかの案を考えている。それを弾正に選んでもらうことになるな。』
『一条はどうなるのじゃ。』
『もちろん、現状のままで生き残るように考えている。』
『そうか。なら、そちらもお任せするぞよ。』
『どこまでもいい性格だよな。』
『そりゃあ。麿が考えても仕方ないからのう。』
『何だよ、それ・・・』
どうやら、知力8になることは、諦めたらしい・・・




