波紋を呼ぶ
中村に帰ってみると、お松の方が男児を出産していた。
「松よ、でかしたぞよ。」
「御所様、ありがとうございます。お役目が果たせてとても安堵しております。また、此度の大勝、おめでとうございました。無事のお帰り、まことに嬉しゅう存じます。」
「うんうん。本当に目出度いことが続くのう。お義父上にもすぐに知らせねばのう。」
「それで、名をお付けいただければと思いますが。」
「そうじゃの。では万千代としよう。麿の幼名と同じじゃ。」
「まあ、御所様の・・・」
「将来は立派に育ち、跡取りになるのじゃからのう。」
こうして兼定は、久しぶりに妻とゆっくり過ごした。
までは良かったのだが・・・
「御所様、伊予の河野伊予守(通宣)から、書状がまいっております。」
「して、何と書かれておるのじゃ?」
「はい。西園寺を打ち倒したことの抗議でございますな。河野は遠交近攻策を採っており、西園寺とは比較的良好な関係でしたから。」
「西園寺に旧領を返せとでも言うてきておるのか?」
「そこまでは書かれておりませぬ。河野としても、独力で事態を打開できる力は無いでしょうから。」
「自力で?ということは他力があるのか?」
「河野の後ろには村上水軍と毛利が付いておりまする。」
「毛利は大内の仇であり、大友の敵じゃのう。どうあっても対立するしかないのかのう。」
大内義隆の養嗣子であった晴持は、義隆の姉と兼定の祖父、房冬との間に産まれた子であり、長らく友好関係にあった。
また、河野氏は頻発する国内の謀反の鎮圧に毛利氏の力を借りており、既に半ば傀儡のような状態であった。
「しかし、宇和の地は未だ落ち着いておりません。」
「当面は宇都宮に盾になってもらい、領内を落ち着かせる他はないのう。特に西園寺旧臣が謀反など起こさぬよう、監視を強めておかねばならんのう。」
「全くその通りでございます。」
「何より危ないのが、麿が兵を挙げて余所に遠征などした時じゃの。」
「ええ、逆に言えば、こちらが隙を見せなければ、容易に歯向かったりはしますまい。」
「特に、義理堅い者と簡単に乗せられる者には注意じゃな。」
「それを言いますと、ほぼ皆そうでございますが。」
「それでも勧修寺や渡辺がこちらに付いているうちは、容易に動かぬであろう。」
「ええ、それに、津島や法華津、紀などは、比較的安心かと存じます。」
「やはり西園寺、河野、土居あたりは危ういかのう。」
「そうですな。河野は元を辿れば伊予守と祖を同じくしますし、土居も西園寺と姻戚関係にありますので、は容易に靡かないでしょう。西園寺は論外ですな。」
「京都に奏上して、官位でも準備しようかのう。」
「いっそのこと、西園寺は京都に放逐・・・そう言えば、京の本家からも抗議の書状が来ておりますな。」
「ああ、義弟殿は此度の戦、喜んではおるまい。」
兼定は父の死後、京都の本家を継いでいた一条房通(房家の次男)の養子となり、元服まで京で暮らしていた。
義弟とは、房通の次男で、後に関白となる内基のことである。
「ご本家は、一条が武士の真似事をするのを大層毛嫌いされますゆえ。」
「しかし、中村の収入あってこその一条だからのう。その荘園を守るために仇成す敵と戦うのは、致し方なきことよのう。」
「さすがは御所様。先代様も正にそのようにお考えでございました。」
「しかし、確かに公家は血を嫌うからのう。麿もそれはよう知っておるぞよ。ところで、父はまこと自害なのかや?」
「・・・それは、それがしにも分かりかねまする。」
「宗珊が言うならそうであろうな。」
『京都の本家はどうするのが良いであろうな。』
『無視して帝にあれこれ吹き込まれても困る。一度京に出向き、釈明しておいた方が良い。場合によってはそなた同様、万千代君を京に送り込むことを視野に置くべきだな。』
『そこまでせねばならぬか?』
『とにかく、本家は権力中枢と直結しているので、敵に回すと厄介だ。それに、西園寺だって往時の勢いこそ無いものの、藤原北家を祖とする名門だ。』
『仕方ないのう。一度京に赴くか・・・』
『ついでに伊勢や熱田神宮に参拝してくるといい。』
『おお!悪霊にしては珍しい心遣いよのう。分かった。良いぞ。行こう。』
コイツの知力が8に上がることはあるのだろうか・・・
『まあ、それはしばらく後でいい。取りあえずは領内を落ち着かせることと、長宗我部の動向を見極めることが重要だ。』
『そうよの。彼奴らも本山とやり合っている最中だからのう。』
『本山も長くは持つまい。しかし、この冬で決着が着くかどうかは分からん。』
『悪霊でも分からんのか?』
『そのくらい、拮抗しているということだ。』
何でこんな時だけ鋭いんだろう。
『やることはたくさんあるのう。』
『それでも、この冬は大きな敵を一つ片付けた。最早そなたを無能と罵る者はおるまい。』
『そうよの。そうよの。おほほほっ!』
やっぱり、元に戻った。
『とにかく、年内はゆっくり休んで、その後は領内の様子を見て回るといいだろう。』
『分かったぞよ。』




