内政の成果
兼定が一条の舵取りを始めて、間もなく18年が経つ。
あの頃、まだ元服したての十三だった少年は、もうすぐ三十二になる。
そして、これまで行ったきた仕事の成果は、しっかりと実を結んでいる。
まず、新田開発であるが、最初から進めてきたこともあって、宇和と祖谷を除く土佐で10万貫を超えている。
これは江戸初期の水準に等しく、まだ拡げる余地はあるそうだ。
同様のことが四国内全体で起きているなら、兼定による食糧増産計画の柱は成功したと言える。
今後は、九州でも同様の流れは進むだろう。
また今回、各領主に検知を命じ、さらに田を上中下の三区分に格付けして年貢の査定を行うように指示している。
これで実際の実入りが増えるのか減るのかは分からないが、より公平で精度の高い徴税になるだろう。
そして、その他の食料生産であるが、麦、塩、蓮根、胡麻、柑橘、茶、乾麺、乾物、鰹節、酒類ほか醸造品については、国内を代表する品質と評価が高い。
また、その他の農産物についても、綿、藍は広く流通している。
その他の産物としては、銅、漆喰、竹細工、和紙、木材、炭、陶器、硫黄、絣を始めとする織物が主な産品であり、さらに近年は讃岐の製糖、薩摩を始めとする打刃物も軌道に乗ってきており、新たな目玉として期待している。
また、新技術の導入として、明から磁器職人、都から染織職人を呼び、さらなる産業育成を図っている。
基盤整備としては、洲本、徳島、高松、松山、宇和島、高智、中村で町割を整備し、周辺からの移住も促進した結果、町として大きく成長しつつある。
他にも引田、丸亀、善通寺、池田、小松島、安芸、川之江、新居浜、西条、大洲、佐賀、唐津、長崎、諫早、熊本、八代、人吉、出水、鹿児島、鹿屋、延岡、佐土原、都城で各領主が同様の取り組みを進めており、人口の増加も相まって、経済振興の各となる日も近いだろう。
港についても、洲本、鳴門、小松島、佐喜浜、手結、浦戸、宇佐、須崎、久礼、佐賀、下田、宿毛、宇和島、今治、西条の整備は終えており、更に鳴門、日和佐、海部、三津浜、八幡浜、延岡、飫肥、志布志、西之表、鹿児島、本渡、八代、長崎、平戸、佐世保、大村を整備させる予定だ。
街道については、四国を周回する街道と高智から池田へ抜ける街道と、川之江から徳島に抜ける街道は整備を終え、現在は高智と松山、高松と阿波を結ぶ街道に注力している。
九州はまだこれからであるが、大友とも協力して、博多から各地を結ぶ街道を早期に繋ぎたい。
干拓治水事業についても大きく進展した。完工したものは一つも無いが、中村の渡川、後川、中筋川はほぼその域に達している。また、高智についても、干拓は鏡川南岸の潮江が中心になってきているし、堤防建設も鏡川北岸と江ノ口川、久万川については完了し、現在は東部の国分川が事業の中心となっている。
松山は石手川の整備を終え、現在は伊予川の中流域及び下流南岸を残すのみである。
徳島は吉野川新河道がいつになるのかは分からないが、いくつかの中州は堤防も含めて完成しており、かなり広大な土地が新たに産まれた。
九州についてはこれからであるが、筑後川は大友とも諮りながら整備したい。
また、その他の分野については、朱子学の学問所は、当初の倍近い規模となり、病院も宿毛のほかに中村と松山に開設した。今後は医師の育成を図りながら普及を図って行く。
さらに、耶蘇教の浸透具合であるが、これは史実どおり、肥前を中心に広く布教が進んでおり、村によっては仏教徒の数を圧倒しているところもあるという。
四国はまだ、宿毛近辺のみで、大して広まってはいないが、ここは気まぐれな弾正殿の心情を探っていかねばなるまい。
これらが内政における、この18年の成果と進展である。
これに城郭整備、軍制改革、水軍創設、銃砲装備などの軍事と掟書や家臣団整備といったものが加わる。
これを政治力22でやり遂げたのだから、大したものだと言えよう。
『こ、これが、麿の才覚か・・・』
『何を言ってるんだ?』
『いやしかし、これは時代を変える快挙ぞよ。他ではやっていない事を次々成し遂げておるではおじゃらぬか。』
『まあ、他の戦や策略ばかりの大名どもとは一線を画しているが、中納言の力ではないぞ。それは断言できる。』
『そんなに断言しなくても良いぞよ。』
『大体、政治力が人並み以下ですぐサボるんだから。ほとんど我と宗珊の力だろう。』
『何を言う。麿の政治力は122じゃ!』
カンストさせやがったよ、コイツ。
『結果を見れば、誰のお陰かは一目瞭然だと思うがのう。ほれほれ、もっと褒めてくれても良いのじゃぞ。』
『中納言のそういう所、全く成長せんな。』
『変わらぬ良さもあるぞよ。麿は意外に頑固でおじゃる。』
『そうかあ。結構意思は弱いと思うぞ。』
『そんなことはあるまい。まさか・・・ いや、そんなはずが・・・』
ほら、弱い・・・