内と外
天正3年(1575年)1月
年が明け、直臣達のほとんどが挨拶に来た。
別に九州くんだりから、わざわざ来なくてもいいのだが、宗や宇久といった者達までやってきた。全くご苦労なことである。
ここで家臣団を整理してみた。
(直臣のうち、一門衆、家老衆、譜代衆)
東小路、西小路、入江、勧修寺、渡辺、長宗我部、安芸、宇都宮、伊東、西園寺、香川、土居、為松、安並、羽生、源、敷地、津野、加久見、伊与木、小島、立石、依岡、一圓、佐竹、山本、本結、中脇、興、河淵、松田
(直臣のうち、出世衆)
土居、黒田、東條、海部、日和佐、由岐、寒川、河野、北之川、石川、金子、黒川、越智、法華津、河野(分家)、島津、宗、大野、香宗我部、片岡、鍋島、有馬、大村、松浦、宇久、奈留、安国寺
(陪臣のうち、城持ち)
安富、羽床、土持、豊永、菅生、阿蘇、相良、肝付、北原、北郷
(その他の有力な陪臣)
中西、窪川、吉田、細川、黒岩、久武、江村、中島、福留、大平、奈良、香西、財田、七条、一宮、重清、伊沢、平岡、忽那、赤松、小寺、木沢、新納、伊地知、蒲生、百武、江里口、円城寺、小河、納富、甲斐、赤星、城、名和、天草、川上、頴娃、菱刈、東郷、種子島
こうして見ると結構なもんだが、これを統率していくのはなかなか骨が折れる。
しかし、根切りの効果は確実に出ており、有力者同士が裏で連携することは防ぐことができていると思う。
また、一条直轄領が依然として多く、それなりの軍事的抑止力を保持している点も大きいだろう。
一条家直轄地としては、淡路、阿波六郡、宇和郡は黒瀬と板島のみだが、それ以外の土佐、伊予六郡、肥前長崎周辺、大隅及び島嶼地域を保有している。
石高に換算すると、およそ70万石になるようだ。
これは新田開発によってまだまだ増える余地があるし、直臣からの上納や特産物、交易を始めとする商業から得られる税などを合わせると、莫大な富を産んでいる。
また、外交面では織田、大友以外の勢力とは接しておらず、朝廷との関係も良好であり、内外ともに非常に安定している。
さて、そんな中、栄太郎が帰郷し、重臣達も揃っていたので、もうすぐ満十三を迎える志東丸の元服の儀を執り行い、香川次郎右衛門房景として香川家に入嗣させた。
これも内を固める一環である。そして、お雅と土居定盛夫妻を始めとする家臣達が領国に帰ると御所は静かになる。
まあ、栄太郎は夫妻だし、年長の二人が巣立つと、自然とこうなる。
『新年早々、バタついてしもうたが、急に静かになってしもうたの。』
『寂しいか?』
『うむ。やはり子が旅立つと、そうじゃのう。寂しいというか、力が抜けてしまうのう。』
『まあ、最後に残るのは栄太郎だけだ。そうでないと困るしな。』
『次は誰かのう。』
『松翁丸は今年で数えの十歳だろう。そろそろ本家に行かせる年齢だ。』
『元服まで待ってはだめかのう。』
『公家の作法を本格的に学ぶのであれば、早いに越したことはない。』
『また松が寂しがるのう。』
『じゃあ。子が産まれたら考えろ。』
『そうじゃな。一目見てからでないと、いかんでおじゃる。』
『後は西園寺殿だな。』
『あそこはまだ四十手前じゃ。まだ死なんから後でも良いでおじゃろう。』
『相手の気が変わらぬうちに、進めた方がいいぞ。』
『いや、まずは松翁丸だけで勘弁してたもれ。』
『おいおい。峰も一緒に都に行かせるんじゃないのか?』
『またそんな殺生なことを言う。麿が悲しむ姿をそんなに見たいのでおじゃるか?』
『いや、都に行く松翁丸の方がよほど心細いだろう。せめて峰でも一緒なら、気も紛らうじゃないか。』
『それはそうでおじゃるが。』
『すぐに子は二人増える。そう落ち込むな。』
『その二人もすぐに・・・』
『全く面倒くさい奴だ。そんなことを言っていたら切りが無い。』
こんな風に、核となる兼定はグダグダであるが、一条家は外はパリッと中はトロッとして盤石である。