お雅の嫁入り
天正2年(1574年)6月
信長は丹波と紀伊における戦を加速させると同時に、伊賀にも侵攻を開始した。
時期は異なるが、天正伊賀の乱、といったところか。これは、足利義昭の逃げ場を近隣から無くしてしまおうという思惑もあるらしい。
また、柴田勝家が加賀を全て平定したようで、北陸も徐々に落ち着いてくるだろう。
そうして、信長が忙しくて手が離せない隙に、こちらもやるべき事を済まさないといけないと考え、お雅の婚儀の準備を急ぎ、ようやく本日、縁を結ぶことになったものである。
お相手は宗珊の孫、土居左衛門太郎定盛。未来の筆頭家老ある。まだ元服間もない数えの十七である。しかし、何でみんな子に親と同じ名を付けるんだろう。
父も左衛門太郎基長である。まあ、栄太郎も幼名は父と同じだったが・・・
さて、今回の挙式は椿神社で挙げる。兼定が松山に本拠を移してからは、お馴染みの場所だ。
「本日は、若い二人のために、御所様、奥方様、祖父や父、ご家老衆の皆々様にご参列賜り、誠に恐悦至極でございます。これからは、名門の末席に加えて頂いた恩に報いるべく、更に精進して参る所存。どうかこれからもご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げまする。」
さすがは宗珊の孫である。兼定なんかとはモノが違う。
「さあさあ、今日は無礼講よ。皆飲むが良い。」
今日は日よりも良いので、本殿の下で宴を催している。大丈夫なのだろうか。
皆は祭神の息子が兼定に憑いているので、安心しているみたいだが・・・
「さあさあ婿殿。今日はたっぷり飲ませるでの。これは大人になって初めての試練じゃ。耐えてみせるのじゃぞ。」
まごうことなきアルハラである。
「父上、あまり強いては困ってしまいます。お手柔らかに。」
「お雅も飲め飲め。」
「御所様。雅は酒を飲むのは初めてでございます。そのくらいでお願いします。」
「松がそういうなら・・・仕方ないのう。」
兼定も結構、色んな人に頭が上がらない。
「しかし御所様。本当にありがとうございました。この宗珊、今日ほどお仕えして良かったと思ったことはございません。」
「宗珊には苦労をかけたの。そなた無しでは、今の一条は語れぬ。」
「有り難きお言葉に存じます。老い先短い身ではございますが、今後も変わらぬ忠誠を誓いまする。」
「まあまあ、そんなに畏まらなくても良いぞ。麿も土居家が一門に加わってくれると心強い。」
「そうおっしゃっていただくと・・・最近は涙脆くなりましてな・・・」
「良い良い。今まで散々苦労を掛けてしもうたからの。お陰で四国と九州は泰平の世になったことじゃし、その中での祝言じゃ。いやあほんに目出度いのう。」
「父上がいつも以上に、はしゃいでおりまする。」
「雅よ。麿は本当に嬉しゅうて堪らんのじゃ。最高潮なのじゃぞ。」
「はい。今まで本当にありがとうございました。でも、飲み過ぎです。」
「厳しいのう。夫にはもうちょっと優しくしてやるのじゃぞ。」
「はい。飲み過ぎないよう、気を配ります。」
「左衛門よ。大変じゃの。」
「いえ。私も皆にたしなめられることのないよう、自覚してまいります。」
「左衛門よ。真面目じゃのう。」
「でも御所様。お雅様は大変、お優しいので、何も心配なさることはありませんよ。」
「まあ、秀が言うなら間違いはあるまい。」
「義兄上、姉上、私からも一献。」
「おう、志東丸よ。気が利くではないか。」
「志東、あなたにお酒はまだ早すぎますよ。」
「お松よ、今日くらいは許してやっても・・・」
「御所様。お酒好きと隙を見つけて調子に乗るところは、志東の悪いところですよ。」
「でも、麿に一番良く似ておるのじゃ・・・」
確かにそれは言える・・・
「さあ志東丸。その座は兄に譲るのじゃ。」
「兄上・・・」
「今日、妹と初めて酒を酌み交わすのは、兄も同じぞ。ささ、左衛門殿も飲みなされ。」
「はい。若様。」
「父上。姉上たちはいつまで松山におられうのですか?」
「うむ。そなたの元服まではここにおるぞよ。それまでは父が一人で薩摩を切り盛りするから、大変であろうがの。」
「ああいや、それはご心配無用でございます。将来に向けての試練と思っておりますゆえ。」
「さすがは宗珊の子よの。」
「親子三代、これからも筆頭家老家として、恥ずかしくない働きをして見せましょうぞ。」
何か、宗珊が良い感じに締めてしまった。もちろん、こういう立派な台詞を言われてしまうと、最早兼定ごときの出番はない。
「まあ、今回も良い祝言であったの。」
「はい。松も幸せにございます。」
まあ、これでいい。そう思える夏の一日であった。