再び足下を固める
天正2年(1574年)3月
つい先日、五徳が元気な女の子を生み、名を菊と名付けられた。
父となった栄太郎は、張り切って政務をこなしているが、彼だけにやらせているようではいけない。
これまで播磨や備前などで進めていた施策は、織田家の元で花を開く結果となったし、向こう数年は一時的にではあるが、収入も落ち込むだろう。
それ以上にこれまで手塩にかけてきた四国と、ゼロから始める九州では大きな格差が生じている。
このため、これまで四国で行ってきた施策の九州での浸透から始める。
幸いな事に、四国などから転封した領主も多いので、そういった場所は速やかに作業が始まるだろう。心配なのは有能な内政家に欠ける大隅か?
まずは、新田開発と多発することが予想される洪水対策である。
特に筑後川、球磨川、大淀川といった大河川は早急に実施する必要がある。
その他の中小河川についても、各領主の財政力を見ながら順次指示していく。
また、灌漑整備や特産品開発も進める。
灌漑は、新田開発と洪水対策の両方に効果があるので、足軽を動員してでも行うように伝えた。
特産品については、海苔の養殖と板海苔の製法について、技術開発するように命じ、球磨や伊佐では酒造を奨励した。また、伊万里や有田では陶芸を奨励すると共に、職人を朝鮮に派遣して、磁器の製法を学ぶように指示した。
その他、肥前では蓮根栽培や珊瑚漁、肥後ではい草栽培や象眼、日向では木工、竹細工、和紙生産、大隅では木工、薩摩では太鼓や和紙などを奨励した。
また、九州各地の硫黄鉱山の増産を命じた。
さらに、神のお告げによると、薩摩の永野村や菱刈、串木野の北には金が眠ってるし、鹿児島の福元ではスズが出るぞ、他にもあるから山師を雇って調べて見よと言ったら、領地が減ったと文句を垂れていた家老衆の目の色が変わった。
もうこれ以上何も言わなくても勝手に進むだろうが、本当に現金なものだ。
一方、四国内でも様々な施策の実施状況確認と、新事業を立ち上げる必要がある。
まずは、更なる新田開発はもちろん、灌漑についても、伊予の大洲や宇和の卯之町周辺、砥部、土佐では国分川流域の大津や介良などで進めるほか、中国地方が織田領に編入されたことによる塩田の追加開発、小麦の需要拡大を狙った阿波半田での素麺生産も指示した。
そして、基礎開発の状況であるが、街道は新たに阿波の宍喰から日和佐間、及び高松から阿波の脇の間で街道の拡幅整備が完了したほか、讃岐引田から阿波を繋ぐ街道も、大坂峠の一部区間を残すのみである。
また、城郭については、高智と徳島が今年で完成し、一条家が直轄で整備する予定のものは、阿波の撫養と伊予の板島を残すのみとなった。
その他にやるべきことは、お雅の嫁ぎ先を決めることである。
とは言っても、まだ来月で十四である。そろそろと言えばそろそろだし、まだ早いと言えば早い。
それと、志東丸も来月で数えの十二になる。いつ元服させるかである。
『のうのう、お雅はどこが良いかのう。』
『そりゃあ、まずは妻と宗珊に相談するべきじゃないか。』
『ということは、どこでも特に問題は無いということじゃな。』
『家老衆のところはどうだ?』
『薩摩は遠いから嫌じゃぞ。島津なんかはどうじゃ?』
『残念だったな。あそこは子が小さすぎる。お雅ではちょっと年上過ぎるし、あまり島津ばかり厚遇してもな。』
『そうなのか。では、西園寺・・・は子がおらぬな。』
『新徳丸あたりを養子に出すか?』
『幸寿丸は大隅を与えるつもりじゃからのう。秀がそれで良いなら。』
『それと香川にも子がおらぬぞ。一族は多いようだが。』
『皆何をやっておるのじゃ?乗っ取り放題ではないか。』
『むしろ、男子が足りんなんて珍しい。』
『普通は余って相続で揉めるものじゃぞ。』
『志東丸も香川行きだな。』
『いや、お雅・・・』
『淡路は五徳の子が治めるしかないな。』
『まだおらぬ先から・・・』
『まだ峰と鞠と浜がいるぞ。』
『あれ?今年、鞠が数えで十一、峰が十になるでおじゃるか?』
『ああ、戦ばかりやっている間に皆、成長したな。』
『子の一番可愛い時期を、麿は逃してないかのう・・・』
『そう言える親はいい親だと思うぞ。』
結局、お雅は婿捜しを兼ねて学問所を視察した後にまた今度、ということになった。
そして、西園寺と香川は乗っ取った。