島津四兄弟
さて、九州を平らげた信長は、一旦、在地領主の領地を全て召し上げた形を取り、それを兼定に引き渡した。後の差配は全て兼定に委ねるということである。
龍造寺も島津も、途中で無血開城した大小の国人も、一旦は白紙状態なのである。
そんな中、一条軍本陣に島津四兄弟と、新たに家臣に加わった鍋島直茂を呼び、会見を行った。
ちなみにであるが、龍造寺隆信は信長に押しつけた。
信長は、「左近殿はこういう無骨な大男は好みでないのか」と言って笑いながら引き取ってくれた。
「さて、皆無事で何よりじゃの。麿がこれからそなたらの主じゃ。」
五人は静かに頭を垂れる。
「まずは、又三郞(義久)、又四郎(義弘)、又六郎(歳久)、又七郎(家久)。此度のそなたらの戦振り、まことに見事でおじゃった。これからは一条家臣として仕え、働けばそれに見合う恩賞も与えるゆえ、よろしゅう頼むぞ。」
「はっ、この又三郞、助命いただいた恩を忘れず、さらに精進してまいります。」
「又四郎も同じでございます。これからの働きに、どうぞご期待あれ。」
「又六郎も一条家に忠誠を誓いまする。」
「それがしも、この槍をもって、恩に報いてまいります。」
まあ、内心はともかく、一応は働いてくれるらしい・・・
「それと鍋島については、主君と離れることになったが、それはそちの器量を見込んでのこと。これを重々承知した上で、一条に仕えることじゃ。」
「はっ!お言葉、しかと承知いたしました。」
「これから、そなたらの処遇については重臣とも諮った上で後日伝える。そちらにも松山に来てもらうぞよ。」
「承知仕りました。」
「して、麿に何か言いたいことがあれば申してみよ。答えられることであれば、この場で答えるぞよ。」
「いえ、我ら敗軍の将。主に申し上げたきことなどございません。」
「そうか。まあ、これから長い付き合いになるのじゃ。焦らずともよい。では、皆の者、ゆるりと休むが良いぞ。」
こうして、会見はあっさり終わった。
『のうのう、皆、怖そうな面構えじゃったのう。』
『顔だけじゃ無い。皆、相当怖いからな。しかし、使える者たちだ。』
『宇喜多殿と比べたらどうじゃ。』
『皆、同じかそれ以上かもな。全員、総大将に選んでも間違いない者たちだ。』
『それは凄いのう。』
『ああ、いつの間にか一条の人材不足も解消されたな。』
『それで、論功行賞はどうするのじゃ?西国六カ国を弾正殿にやってしもうたから、とんでもなく大移動になってしまうぞよ。』
『良い機会じゃないか。それに、西国に領地を持っていた家臣は家老衆と片岡、津野くらいのものだろう。』
『言われてみたら、他のものは皆、籍を移してしもうたのう。』
『得た領地の方が多いのだ。何とかなるさ。』
『得た方が多いのか?』
『国の数は少ないが、広さは九州の方がかなり広い。それは実際に進軍した弾正殿も薄々は分かっただろう。しかし、これから武田と戦うのに遠い薩摩のことなんて考えてはいられないだろう。』
『だからくれたのか。』
『恐らくな。それに、播磨が自由になれば、丹波攻めにも便利だろう。』
『その通りじゃな。』
『それに、安芸や石見から都に兵を出すのに、いちいち当家に伺いを立てる必要もないし、当家がかなり手を入れて豊かになってきている。向こうも大儲けだと思うぞ。』
『ならば良いか。』
ということで、兼定は納得し、陣払いを命じる。
11月27日に鹿児島を発った兼定は、日向飫肥から宿毛に渡り、12月8日に松山に帰還した。
その後、論功行賞を12月16日に公表した。
その結果、肥前であるが、松浦郡の五島列島を除く地域を松浦氏、五島は宇久氏や奈留氏に、高来郡は現在の長崎市の区域を除いて有馬氏に、彼杵郡も同じく現在の諫早市までの区域を大村氏にそれぞれ安堵し、その他の彼杵半島と長崎半島は直轄地とした。
そして、小城郡を鍋島氏に与え、残る佐賀、神埼、基肄を安芸氏に、養父郡を香宗我部氏に、三根、杵島の二郡は大野氏を直臣に格上げした上で与えた。
肥後は長宗我部氏に、日向を島津氏にそれぞれ与え、大隅については一条家直轄とした。
将来は幸寿丸に継がせる考えだ。
薩摩は出水、高城の二郡を津野、薩摩、甑島の二郡を片岡、日置郡を為松、阿多郡を安並、鹿児島、谿山、揖宿の三郡を土居宗珊、河辺郡を羽生、給黎郡を源、頴娃郡を敷地の各家老衆などに与えた。
また、これに伴い、四国内でも大移動があるのだが、あまりに分かりにくいので、参考として以下に記すことにする。
【参考】
(淡路) 一条家直轄地
(阿波) 板野、名東、名西、阿波、麻植、美馬の六郡・・・一条直轄地
三好郡・・・黒田氏
勝浦郡・・・土居氏(晴清)
那賀郡・・・南条氏
海部郡・・・海部氏、日和佐氏ほか
(讃岐) 大内郡、寒川郡・・・寒川氏
香川郡、山田郡、三木郡及び小豆島一帯・・・伊東氏
阿野郡・・・河野氏(守護家)
鵜足郡・・・北之川氏
那賀郡・・・西園寺氏
多度郡、三野郡、苅田郡及び塩飽諸島・・・香川氏
(伊予) 宇摩郡・・・石川氏
新居郡・・・金子氏
周敷郡、桑村郡・・・黒川氏
越智、野間、風早、和家、温泉、久米、浮穴、宇和の一部・・・一条直轄地
伊予郡、喜多郡・・・宇都宮
(土佐) 一条直轄地
宇和郡・・・越智、渡辺、勧修寺、法華津ほか
(肥前) 松浦郡・・・松浦氏、宇久氏、奈留氏
彼杵郡・・・大村氏
高来郡・・・有馬氏
三根郡、杵島郡・・・大野氏
養父郡・・・香宗我部氏
佐賀郡、神埼郡、基肄郡・・・安芸氏
小城郡・・・鍋島氏
(対馬) 宗氏
(肥後) 長宗我部氏
(日向) 島津氏
(大隅) 一条直轄地(種子島からトカラ列島を含む)
(薩摩) 出水郡、高城郡・・・津野氏
薩摩郡、甑島郡・・・片岡氏
日置郡・・・為松氏
阿多郡・・・安並氏
鹿児島郡、谿山郡、揖宿郡・・・土居宗珊
河辺郡・・・羽生氏
給黎郡・・・源氏
頴娃郡・・・敷地氏
もう、一条家は53将どころではなくなっているだろう。
それと、当然のことながら、移動したがらない者の領地はなかなか増えない。
ちなみに、織田家との協議の結果、伊予の島嶼部のうち、因島村上氏に属していた島々も一条領となった。