九州統一
信長率いる軍勢は、島津義弘隊を追うように11月19日朝には鹿児島に入り、すぐに敵の本拠である内城の包囲に掛かる。しかし、この城は要害でも巨大な城郭でもない。
島津義久は抗戦を諦めて信長の陣に自ら赴き、城兵の助命と引き替えに降伏を打診し、これを認められた。
兼定も、島津降伏の知らせを受け、22日に鹿児島に入り、主を失った城内で信長と会談した。
「おお左近殿、そちらも上手く行ったようだな。」
「途中で足止めをくらい、一番の手柄を逃したでおじゃるよ。」
「はっはっは!今回は儂が最後を決めたからな。しかし、これで九州まで我が物よ。もう、武田や上杉など目ではないわ。」
「そうよの。紀州と丹波が落ち着けば、最早日の本を平らげるのも時間の問題じゃの。」
「それでも、そちの働きはデカいぞ。ところで、恩賞はどうする。また貸し四つに増やすのか?」
「いや、ここで貸しを使うぞよ。」
「何だ、ここで使うのか。てっきり全てが終わった後に、東国全てくれ、とか言うかと思ったぞ。」
「いくら何でも、麿はそこまで強欲ではないでおじゃる。」
「分かっておる。むしろ控え目だな。それで何だ。」
「一つは島津義久の助命でおじゃる。」
「ああ、容易いことだ。龍造寺すら助命したのだ。特に遺恨の無い島津の首など欲しい訳では無い。」
「二つ目は換地をお願いしたい。」
「換地?領地替えか。良いが、五畿内は勘弁してくれよ。」
「あんな面倒な所、やると言われてもいらんでおじゃる。麿の持つ播磨、因幡、伯耆、美作、備前、備中と、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩に対馬を交換して欲しいのじゃ。」
「何と、西国六カ国か。それは何故だ?」
「弾正殿にとっても、旧毛利領と一体で領地を持っておくと何かと便利であろうし、都から薩摩はあまりに遠い。これまで中央の影響をほとんど受けていない場所じゃ。麿が持っておった方がやりやすいじゃろう。」
「まあ、儂にとっては好都合だが、西国六カ国と九州五カ国では釣り合わんな。」
「そこで三つ目じゃ。備前と備中二カ国を、宇喜多家に安堵してもらいたいのじゃ。」
「まあ、そうなるとは思うが、良いのか、それで。」
「麿は大満足でおじゃる。」
「分かった。そちにも何か企みがあるのだろうから乗ってやるぞ。まあ、それでも儂の方が得た物は遙かに大きい訳だしな。」
そうは言うが、面積も石高も九州の方が大きい。何せ西国六カ国とはいえ、岡山と鳥取と兵庫の一部である。片や佐賀、長崎、熊本、宮崎、鹿児島の5県であり、長崎や平戸の港が何気に手に入る。決して一条が損をする訳ではないのだ。しかも遠いから信長の無茶振り出兵の機会も減るだろう。実は良いことずくめである。どうせ、統治が難しいのはどこも同じである。
「それで三つだ。今回の恩賞はいらぬのか?」
「考えてなかったぞよ。まあ、酒でも飲みながら考えようかの。」
「それはいいな。一緒に考えてやるぞ。」
こうしてやっぱり戦勝の宴は行われる。
「御所様、大変お名残惜しゅうございます。」
「そうは言うが、直家殿ならいつでも大歓迎じゃ。また、松山に遊びに来るとよいぞ。」
今回、宇喜多を織田方に移籍させる一番の要因は、彼が大身すぎたからである。彼を抱え続けるのに、今の領地は小さい。
「約六年ですか。楽しゅうござりました。」
「そなたはよう働いてくれたからのう。本当は連れて行きたかったが、そちには伝来の領地があるからのう。九州に転封は嫌でおじゃろう?」
「申し訳ございません。」
「せめてもの手土産に、麿が持っておった備前三郡はちゃっかりそなたの領地にくっつけておいた。せめてもの手向けじゃ。」
「ご厚情、まことに感謝いたしまする。毛利を打ち払い、最早、懸念すべきことは何もございません。」
「そうじゃの。海を渡った所が宇喜多殿の領地というのは、何とも心強いし、気安くてよいのう。」
まさか、あの宇喜多直家に心強いなんて言葉を掛ける日が来るとは・・・
「まさに、御所様のおっしゃるとおりでございます。」
「また、都で会うことも多かろう。達者で暮らすのじゃぞ。」
「お言葉、痛み入ります。」
「しかし、いろいろ楽しかったのう。」
「私は吉田郡山の城攻めに参加したことが一番でございます。」
「そこに麿はおらなんだがの。」
「失礼をば。やはり、土佐で広き海を見た時でございますな。何と言っても新しい主を仰いだ時の不安な気持ちが晴れ申した。」
「麿はそんなに怖くはないぞよ。いたって凡庸でお茶目な男ぞ。」
「今は、よく分かります。しかし、御所様が土佐ではなく、備前の主であったら、今頃は・・・」
「滅多なことを申すでないぞよ。もう一度、歴史を繰り返したとしても、日の本を統べるのは弾正殿じゃ。よく仕え、家を繁栄させるとよいぞ。」
「ははっ!お言葉、肝に銘じます。」
誤字報告いただきました皆さん、本当にありがとうございました。