兼定と栄太郎
5月14日、山陽道を東に進んだ兼定はこの日、安芸の己斐(こい・広島市)に入った。
すでにここも味方が掃討作戦を行った後で、戦闘を行うことなくすんなり陣を張れたが、辺りは戦場特有の光景が広がっている。
「栄太郎よ、目の前の惨状を見て、そなたは何を感じるでおじゃるか?」
「はい。二度と見とうない光景でおじゃります。」
「そうよの。麿は何度も見てきたが、同じ事をいつも思うぞよ。」
「父上も、そう思いまするか?」
「ああそうじゃ。麿は戦が嫌いじゃ。本当を言うとやりとうない。」
「そうだったのでおじゃりまするか。」
「さっき、小さな港を見たでおじゃろう?風が順風なら、一日で松山に着いてしまう。ここはそれほどに近い。」
「そんなに近い所で、戦が・・・」
「そうじゃ。四国は戦が無くなってからしばらく経つが、実はそういう所はこの国のほんの一部じゃ。」
「本当は、まだこれが普通なのでおじゃるのですね。」
「今回、麿の隊は大した戦をしておらぬし、初陣と言うには少しおこがましいが、それでも戦の空気には触れたじゃろう。」
「はい。色んな物が焼けた臭いや血の臭い、うめき声など、身に染みてしまいました。」
「そうじゃろう。麿も嫌いじゃし、たまに夢に出てくるぞよ。」
「戦は無くならないのでしょうか。」
「戦を無くすために、最後の戦をしておる、と言うと、何だか言い訳がましくなるのう。しかしじゃ、麿がこの地で起きる最後の戦をして、汚名を被って済むのなら、その方が良いと思うておるぞよ。どうせ、麿の後世の評価など、たかが知れておるからのう。」
「そのようなことはおじゃりませぬ。麿は父上を尊敬しているでごじゃる。」
ふぅー、と兼定は長い意気を吐く。本当に長い息だ。
「麿も家臣の手前、強がっているだけで、本当は怖くて堪らないのじゃ。」
「麿も同じでおじゃります。父上。」
「しかし、そなたもいずれ家臣を引っ張る立場になるから、どうしても見せねばならんかった。そうでないと家臣に侮られ、また無用な争いが起きてしまうからのう。」
「麿が今ここにいる意味は、そこにあるのでおじゃりまするね。」
「ああそうじゃ。しかし、徳のお腹の中の子が、これを見ずに済む世になってくれれば、それに越したことはないのう。」
「本当に、そう思いまする。」
「栄太郎よ、今日のこの景色を決して忘れるでないぞよ。そして、そなたは戦を知らない子や孫に、必ずこれを伝えねばならぬ。」
「確かに、承りました。」
「そして、戦にはやる者がおれば諫めよ。滅多なことでするものではないからのう。戦は、無益な血が流れるばかりで、元に戻すのに何年もかかるものじゃ。やって利のあるものではおじゃらぬ。」
「しかし、どうしても避けられない時はあるのではおじゃりませんか?」
「そうじゃのう。もし、これが最後の戦になると確信があるなら迷わず進め。そうでないなら、迷わず止めよ。これが、何度も戦をした父が、たった一つ分かった理ぞよ。」
「分かりました。」
「そなたなら大丈夫じゃ。そなたは父より優れた資質を持っておるでのう。」
「まさか。父より優れているはずなどおじゃりませぬ。」
「麿に憑いている神がいつもそう言っておるから間違いはない。ただ、いつも謙虚に誠実にいてくれれば良いぞよ。」
「神が、麿を見ておられると?」
「もちろんじゃ。そなたが幼い頃からずっと見ておるぞよ。まあ、氏神様というのは相当怪しいと踏んでおるがのう。」
うん?風向きが怪しくなってきたが・・・
「それは嬉しゅうおじゃりまする。」
「まあ、そんなに有り難がらずともよいぞ。実際に話してみるとガッカリもするしの。」
「でも、迷った時に相談ができるというのは、羨ましいでおじゃる。」
「そうよの。麿の言葉の多くは、あれの受け売りじゃからの。」
「父上は正直でおじゃる。」
「麿に隠し事などないぞ。そなたも悪心なく家臣や領民に向き合えば、皆、大事にしてくれるぞよ。ただし、信用できる者を見分ける練習は必要ぞ。」
「肝に銘じます。」
「今日はいろいろ喋ってしもうたの。」
「大人になってからは初めてでおじゃりまする。」
「そうよの。大人になったら、父親と話すことなど無くなってしまうからのう。まあ、麿は七つで父はいなくなってしもうたが。」
「麿は果報者でございます。」
「息子にそう言ってもらえるのは、麿も果報者なのであろうのう。」
「大丈夫でおじゃりまする。これから何度でも言うでおじゃる。」
「さすがはお松の子じゃ。ようできておる。」
「父上は?」
「麿はまあ、こんなもんじゃ。ではそろそろ陣に帰ろうかの。」
それにしても、兼定でも三十にもなれば、それなりのことが言えるようになるんだなあ・・・