次なる標的
天正元年(1573年)2月
さて、久しぶりの松山だが、残念ながらそれほどのんびりとしてはいられない。
早速、三の丸御座所に宗珊と官兵衛を呼び、今後の方針について協議する。
「お戻りになられたばかりですのに、大変、申し訳ございません。」
「良いのじゃ。何せ、世の中の動きが目まぐるしいからのう。」
「それで、公方様が備後に下向されたとのことでございますが。」
「そうよ。東国に行ってくれれば慌てずに済んだものを。」
何故か、こういうところは史実準拠してくれる。とても迷惑だ。
「しかし、東海道、中山道、東山道、北国街道いずれも戦をしておりましたので、兵庫から船で毛利領を目指すのが最も確実だったのではないかと。」
「その辺の獣道でも通れば良かったのじゃ・・・」
「落ち武者ではございませんので。」
「似たようなものでおじゃったぞよ。」
「まあまあ、しかし、ある意味袋のネズミでございます。」
「そうよの。もう逃がさぬ。しかし、毛利を討てとすぐに言ってくるでおじゃろうのう。」
「はい。勝てはしましょうが、こちらの損害も大きいでしょう。」
「毛利に公方様を追い出すよう、働きかけて見るかのう。」
「毛利にその力は無いのではございませんか。」
「追い出すだけじゃぞ。」
「しかし、毛利がこちら側に付くと、大友殿が離れてしまう恐れがございます。」
「それはマズいのう。あちらを立てればこちらが立たぬか。」
「ならば、毛利の方がまだマシかと。」
「そうじゃのう。やむを得ぬのう。しかし、一条が攻めるのは避けたいのう。何と言っても天下布武の主宰は弾正殿じゃ。織田の武勇を知らしめて、天下の安寧に導いてもらわなくてはのう。」
「確かに。西国では織田より一条の名の方が轟いておりますからな。」
「ならば毛利に対しては静観し、害意のないことを示しつつ、弾正殿の御出座を願うという策で良いかのう。」
「しかし御所様、さすがに毛利もそこまで愚かではないでしょう。」
初めて官兵衛が口を開く。
「確かにそのとおりでおじゃる。しかし、公方様を匿った。これだけでもう決まりでおじゃる。普通は、愚かで無ければこのようなことはせんでおじゃろう。」
「そこに裏が無ければ、ですが。」
「しかし、上杉と武田は退いたぞよ。」
「まだ滅びた訳ではありますまい。それに公方様もまだ健在でございます。必ず次がございますれば、積極的に打って出ることを提言いたします。」
「相手に動く暇を与えるな、ということであるな。」
「さすがはご家老様。放っておいて益などありますまい。」
「官兵衛、分かったぞよ。しかし、毛利を叩くのは織田軍。これは変えぬぞよ。」
「ではそれがし、急ぎ都に向かい、織田家に当たりを付けて参ります。」
「まあまあ、それなら麿が書状を書くぞよ。しかし、どう書けば弾正殿が乗ってくれるかのう・・・」
「そこは三人で考えましょう。」
と三人で雁首並べて考えてはいたが・・・
「ところで御所様、攻めるといっても、どこから攻めるので?」
「何じゃ。そこは軍師の仕事でおじゃろう。」
「基本的に入口は三箇所ですなあ。そして兵を分けるとすれば七箇所でございます。」
「そんなにあるのか?」
「毛利領は広いですからなあ。一つは出雲の志道から山越えで吉田に向かう道。これは毛利が尼子を攻めたのと同じでございます。二つ目は備中井原から山中を通り、馬通峠を超えて吉田に入る道で、三つ目が笠岡から山陽筋を進み、太田川から三篠川を遡る道でございます。水軍を使う場合でも、同様でしょう。」
「しかし、どこも守りは堅いぞよ。」
「ええ、山陰が最も守りは弱いでしょうが、あそこは吉川殿がおりますからなあ。」
「山陽には小早川ですか。」
「ならば、水軍を使って下関から攻めてはどうかの?」
「宗麟殿が兵を動かさぬというなら、我が軍がそれを行うのも良いですな。」
「吉川も小早川もおらん所が良いぞよ。」
まあ、コイツはそうだろうな。
「どちらにしても、本気で攻めるなら、一条は負けません。」
「しかし、相手が死にものぐるいで抵抗するなら、さすがに長期戦は避けられませんぞ。」
「今なら武田も上杉も動けないでしょう。北条さえ出て来なければ。」
「さすがに北条は無いでおじゃろう。」
「でも、上杉は来ましたからな。」
「武田と対立しておるから、絶対に出て来ぬと思うておったがのう。」
「それが公方様のお力、ということでしょうな。」
「そういうことも含めて、書状にするぞよ。」
「よろしくお願いいたします。御所様。」
「官兵衛は手伝ってくれんのかえ?」
「それは御所様の仕事ではございませんか。」
「・・・」
いや、兼定では官兵衛に敵うまい・・・