手取川の戦い
元亀3年(1572年)10月12日
山城を発った兼定は、早くも10月10日に北之庄に入り、上杉軍の状況を把握してすぐ、北上を再開した。そしてこの日、加賀の手取川河畔に到達した。
対する上杉謙信も圧倒的な強さで尾山御坊を制圧し、手取川河畔の舟場島に陣を張った。
信長率いる三万は、上杉の陣より東の湯屋という所の高台に本陣を敷き、兼定は上杉の正面に当たる能美に陣取り、川を挟んで対峙している。
数の上では織田方が倍の兵力を有しており、鶴翼の陣を敷いた形だ。
ちなみに、先ほど、能美に陣を張り、などと偉そうなことを言ったが、そこにいるのは長宗我部元親であって、兼定は遙か後方の佐野という所に兵千余りを率いて戦況を密かに見守っている。しかも、せっかくの鬼組はここにいる。
『しかし、本陣の後ろに更に陣とは、さすがの謙信も気付くまい。』
『何か、深慮遠謀であるかの如くのたまわっているが、自慢にはならないからな。』
『分かっておる。謙信の統率が100で、麿が12なのじゃろう。』
『ああ、たとえ50万の兵を率いても奴には敵わん。その点、弥三郎なら90は超えているからな。兵力差を考えると問題無い。』
『分かっておる。分かっておるが、納得いかぬぞよ・・・』
それを分かってないと言う・・・
『しかし、斥候の知らせでは、上杉は一万五千ほどではないかと言っておったのう。』
『間違いなく別働隊が動いているだろう。機動力のある別働隊は砲兵の天敵だぞ。』
『そこは弥三郎が何とかする。』
『お主は、命がけの場面でも他力本願なのだな。』
『麿は麿をよく知る者なり。』
『始まったぞ。』
まだ、濃い朝靄が立ちこめる辰の刻前に、鬨の声が上がる。恐らく両軍の兵のものだ。 こちら側の作戦では、上流部に位置している柴田勝家率いる織田軍がすぐに渡河を開始し、敵の背後に回る手筈となっているが・・・
そして、ここまで銃声が聞こえる。
残念ながらこの視界では、まだ砲撃はできないようだ。さすがは上杉軍、騎馬隊を用いた渡河作戦の要領を、よく心得ている。
恐らく銃弾をかいくぐり、乱戦になるだろう。
「申し上げます。織田軍、手取川の渡河を開始した模様!」
「申し上げます。上杉軍は正面から陣の突破を図っております。」
「敵を取り囲むよう、伝えるのじゃ。」
「ハッ!」
『のうのう、使い番が皆、怖い顔をしておるぞよ・・・』
『怯むなよ。しかし、そう言えば、お主が陣から指示を出したことなど、今まで一度もなかったな。』
『遠く離れた城から指示を出すことしかしておらぬぞ。三間では一応、陣にはいたが。』
『疲れて寝ていただけじゃないか。』
『そうそう、仁淀川でも陣におったぞ。』
『あれは味方が渡河を終えた後に陣に帰り着いただけ・・・いや、漏らしたものの後始末、大変だったな。』
『そんなことばかり思い出さんでもよいのでおじゃる。戦に集中するのじゃ!』
合戦が始まってそろそろ2時間、午前9時頃といったところか。
「申し上げます。上杉謙信ひきいる軍勢が、河口付近の葦原に潜んでいた模様!横会いを衝かれます。」
「すぐ左翼の安芸勢を展開させよ。数はこちらが上ぞ。」
「ハッ!」
兼定のいる場所は確かに高台にはあるものの、前線の戦況が分かるほど高い場所にあるわけでは無い。だが、敵が鶴翼の外に回り込んだとなれば、ここも安全ではないだろう。
『ここは能美まで前進するべきではないかの。』
『何故だ?』
『麿が赴けば兵も落ち着くし、士気も上がろうぞ。と言うか、ここは心細いぞよ。』
『だめだ。ここは我慢だ。お主自分の統率と武勇を知っているだろう。妙な勇気を出すな。上杉の先鋒がここを見つけたなら、後方に下がる。良いな。』
『しかし麿の統率力のことは悪霊が言っているだけぞよ。』
『まあ、ここは我に従え。』
兼定の気持ちは分かるが、統率12が本隊に合流したら、勝てるものも勝てない。
どうやら、上杉軍の大将旗は西の根上辺りにいるらしく、旗が本物であれば、謙信は川を渡った少数を率いていることになる。そちらは安芸備後率いる阿波兵が対応している。
そして正面は乱戦ではあるものの、こちらは鉄砲の数がハンパない。それに、渡河したことで騎馬の突進力が削がれたせいか、一条軍でも善戦している。
そしてすっかり視界が晴れた午の刻頃に、渡河を終えた織田軍が上杉軍の背後に回り込む動きを見せると、上杉方はあっさりと撤退を始めた。こういうところはさすが戦上手。鮮やかだ。
こうして、手取川の戦いは終わり、両軍併せて千名近い死者を出して終わった。
こちらの損害も決して軽くは無いが、どちらかというと、銃創による死者が多かったと報告があった。
とにかく、これほどの強さを誇る相手と戦ったのは初めてであったが、どうにか勝ち認定で差し支えないだろう。